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柳生街道の遭難
去年の春4月ぼくは首切り地蔵の前に立ち44年前の不思議な体験を思い出していた。その年の4月から奈良市法華寺町にある航空自衛隊の幹部候補生学校に入っていたぼくは、初冬の山中を乙武装という戦闘装備で一昼夜歩き通すという訓練のさなかに柳生街道で遭難したのだった。遭難はちょっと大袈裟か、しかし、いや、あれはたしかに遭難事故だった。
<11月下旬の気温が下がった日の深夜、ぼくら一般大卒40名と部内選抜100名の合計140名の候補生は20名ずつの区隊に分かれて緩やかに隊列を組み山の中のわずかに登る道を歩いていた。道は自然石の石畳らしく編上靴(へんじょうか)が踏んでいる路面はゴツゴツしている。星は見えたが月のない夜で暗闇がすぐ前を歩くやつの姿を隠していた。あたりは森のようだが物音ひとつせずみんなの靴音も聞こえない。ぼくらの区隊は隊列の最後尾にいてぼくは区隊のしんがりを歩いていた。うしろにはだれもいない。みんなからやや遅れているような気がして足を速めようとしたとき急に眠くなり忽ち膝から力が抜けていった。妙に気持ちがいい。両膝をつき右肩に吊った64式小銃を下したところまで憶えている。
ペチンペチンとほっぺたを叩かれて気がついた。駐車している管理車両の中だった。意識が戻りかけてすぐにまた気を失ったらしい。眩しかった。どのくらいの時間倒れていたのか、車に運ばれてどのくらい時間が経っていたのか、腕時計を見るともうお昼近くだった。途中の休憩で点呼を取ったときぼくがいないことがわかり区隊全員で来た道を引き返して探すと道の真ん中で小銃を抱えてうつ伏せに倒れているところを見つけたと後で聞いた。しばらくしてぼくはすっかり元気になっていた。あれはいったいなんだったんだろう。ひだる神でも憑りついたんだろうかと思った。車の外には大きな石の地蔵さんが見えていた。柳生街道の首切り地蔵だった。やがてみんなが円成寺の方向からぞろぞろやって来てぼくは訓練に復帰した。>
首切り地蔵を離れ朝日観音と夕日観音を観て柳生街道を奈良公園に向けて歩きながらなぜかこれが9年間続いた奈良の仏像を巡る旅の最後になりそうだと思っていた。それは予感だったが意識しないぼくの意思でもあったのだろう。今年ももう10月半ばだが奈良へは行っていないしこの先も行くつもりはない。来年もきっと行かないだろう。9年間で9回奈良へ行き奈良公園、ならまち、高畑、西の京、当尾、斑鳩路、飛鳥路、佐保路、柳生街道を歩いた。当尾の石仏巡りが一番楽しかった。東大寺大仏殿裏でぼくに寄ってくる鹿がいてかわいかった。慈光院でいただいたお茶がおいしかった。お寺はやはり東大寺が最高だ。仏像は聖林寺の十一面観音が一番印象に残っている。
室生や当麻には行っていないが日帰りでは遠すぎたし若いころに観ていたからまあいいだろう、20代半ばの11ヶ月を過ごした日々を懐かしみ9回も奈良へ行った、なにもかも十分だった、敦賀まで延伸してサンダーバードを北陸線から消し去った北陸新幹線に乗ってまで奈良へ行くことはもうない。還暦を過ぎてからの毎年の奈良旅行のきっかけはミキオ君との偶然の出会いだった。かれには感謝している。
こんなことを今ごろ書いてみるのもやはり10月だからかもしれない。今日は朝からよく晴れて少し気温も上がった。窓を開ければ秋風が心地よく前庭で咲く満開のキンモクセイが強く香る。2024年10月14日とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)
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