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飛鳥路シリーズ

聖林寺の十一面観音菩薩像 天平の観音様は気高く

 「即位礼正殿の儀」の日、飛鳥路を歩いたぼくらは先に桜井の聖林寺と安倍文殊院を訪れました。ぼくが近鉄京都駅から乗る橿原神宮前行の急行に、ミキオ君は大和西大寺駅から乗ってきます。西大寺に着いてすぐ、まだドアが閉まらないうちにミキオ君が声を掛けてきました。しばらくぶりだからあれこれ話をしていると終わらないうちに大和八木駅です。ここで大和朝倉行に乗り換えます。八木駅を出ると窓からは耳成山がすぐそこに大きく見えてあっと言う間に建物の陰に隠れてしまいました。ああ残念、と思う間もなく桜井駅です。

 まず聖林寺へ行きます。国宝の天平仏、十一面観音菩薩像をどうしても今日の一番に観ておきたかったんです。桜井駅構内のファミリーマートに寄りお昼に山田寺跡で食べるおにぎりとお茶を買うと、観光案内所で道を教えてもらいます。一度来ていますがずいぶん昔のことで、どこをどう通ったかなんて憶えていません。道が確認できたら案内所の親切なおばさんがくれたJRが出しているらしい拝観料の割引券付の地図を手にして出発です。ぼくらは時間を節約するために談山神社行のバスで行くことにしました。見上げれば、さっきまで空を覆っていた雲は薄くなり青空が見えています。


聖林寺
 ぼくは学生だったころにも来ていました。ほかに拝観者はいなくてぼくひとりでした。聖林寺の住職さんは、テレビの古刹巡りの番組で見ましたが、今は尼僧、すなわち女性ですが、そのときは年配の痩せた男の人が住職さんで、不機嫌そうにブツブツ言いながら、本堂から長い階段を上った高いところにある収蔵庫の錠を開けてくれました。なにかしていて忙しかったのか、あるいはちょっと前にだれか来ていて今降りてきたばかりだったのかもしれません。扉を開けるとさっさと降りていってしまいました。帰りに、ありがとうございました、と声を掛けましたが返事はありませんでした。バスを降りてすぐの聖林寺が見える橋のたもとに立てば、フッと頭をよぎる、そんなことがあった、と、今では懐かしさだけになった遠い昔の記憶です。


 橋を渡って200メートルほど、聖林寺は三輪山を東に見る眺望のよい丘の中腹にあります。春は境内のしだれ桜がきれいだそうです。創建は奈良時代の初めで、中臣鎌足の長男で僧侶だった定慧(じょうえ)、つまり藤原不比等の兄が父親の菩提を弔うために建てたといいます。

 拝観料を払って靴を脱ぎ本堂に入ると爺さんがひとり、あぐらをかいて座り開け放たれている障子の間から桜井の方を眺めていました。
 ご本尊をお参りしたらさっそく収蔵庫に上がります。どうも扉は開けっ放しらしく、昔来たときのように鍵を持って住職さんが先導してくれる様子はありません。屋根が覆うだけの階段の登り口は朝まで降っていた雨で所々濡れていました。ちゃんとスリッパが出してあります。もっとも濡れているからというわけではないようで、長い階段を上り下りすれば靴下も汚れます。靴下が汚れれば本堂も収蔵庫も汚れます。段ボール箱に入ったスリッパがかなりたくさんだったのは、一度に大勢が来ることもあるのでしょう。門の下には広めの駐車場がありました。でもこの日この時間の拝観者はぼくらとあぐらの爺さんだけのようです。


十一面観音菩薩像
 聖林寺のご本尊は、両脇に童子を従えてなにやら密教的な雰囲気のある、白い顔が印象的な錫杖を持って座る巨大な石のお地蔵さんです。十一面観音菩薩は、元はほかのお寺にあった、いわゆる客仏でした。元々は大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺大御輪寺(おおみわでら)のご本尊で、明治の廃仏毀釈の折り、聖林寺へ移されたのです。白布に包まれて大事に運ばれてきたといいます。竹藪に捨てられていたという話もありますが、この観音様にだれもそんなことはできないでしょう。

 収蔵庫の扉は半開きで観音様が見えています。スリッパを脱いで中に入れば、やはりだれもいませんでした。

 木心乾漆造り、豊かな肉付き、均整の取れた体、しなやかな右手指先の動き、気品のある顔立ちで、光背はなく白い壁を背にしてすっくと立つ姿は気高く、傑作の多い十一面観音菩薩像の中にあって、間違いなく屈指の名作です。高さ2メートルを超える大きな観音様を、好きなように真正面から右から左から立って座って仰ぎ見すれば、写真では得られない、この目で見たときだけに知り得る感動に心は満たされます。

 拝観受付でもらったパンフレットによると、東大寺の造仏所で造られ発願は天武天皇の孫の智努王(ちぬおう)とする説が有力だそうです。智努王とはだれのことだか知りません。さらに、薬師如来一万体が描かれた板絵のあるお堂で、四隅に四天王が、左右にはたくさんの仏様が並んで、前立観音が立っていたと書いてありました。お前立があったということは、普段は拝むことができない秘仏だったんでしょうか。光背は崩れてしまっていて、その断片が奈良博に寄託中だそうですが、宝相華唐草紋様の立派なものだったことが壁に掛けてある写真からわかります。

 しばらくしてぼくらだけだった広くもない部屋に二人連れが入ってきました。中年の夫婦に見えます。隅っこで遠慮がちに畏まっています。ぼくの声が大きかったのか、顎髭を伸ばしたミキオ君の顔が怖かったのか。ぼくらは場所を譲ることにし、もう一度横から天平の観音様を見上げると収蔵庫を出ました。本堂に戻ればあぐらの爺さんはもういませんでした。



 山門を出て坂を下っていくと、下からひとりのお坊さんが手に大きめのレジ袋を提げて登ってきます。近くに来ると若くもない年でもないきれいな女の人でした。今の住職さんにちがいありません。すれ違う時、ありがとうございました、と言って頭を下げてくれました。ぼくも、ありがとうございました、と応えてお辞儀しました。呼び止めていればきっと昔の話をしていたでしょう。聞かされて愉快ではない話を・・・。(2019年11月13日 メキラ・シンエモン)


写真:メキラ・シンエモン




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