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唐招提寺 天平の甍

 ぼくは焦っていました。薬師寺から唐招提寺へ行く途中ですが道を間違えていたんです。もう4時20分すぎでした。
 唐招提寺は薬師寺の北にあります。薬師寺を北受付から出たのだから、そのまままっすぐ北へ行き、突き当りを右に曲がると築地の先に南大門です。間違えるような道じゃありません。それに初めてじゃないのに、でも間違えてしまったんです。
 ぼくが前になって雨が降っているようないないような空模様に、傘を差したりすぼめたりして歩いていました。もう着いてもよいころなのに築地も見えないなと思っていたら、目の前に近鉄の線路です。右に曲がるところをなぜか左に曲がっていました。
 ミキオ君が地図で確認して来た道を戻り、間違えて曲がったところを過ぎると、すぐに見覚えがある築地が左に見えました。南大門に着いて時計を見れば4時半の拝観受付の終了時間まであと5分でした。まったく形無しです。もう雨はすっかりあがっていました。(写真は薬師寺から唐招提寺への道。)


唐招提寺
 孝謙天皇の宸筆だという扁額の模作をあげた南大門を、右側にある拝観受付から入ると正面に大きな屋根の金堂です。現存する唯一の天平時代の金堂だそうです。玉砂利の長い参道、寄棟の大きな屋根と八本の太い柱の列、そして両端に鴟尾を載せた屋根の上には(晴れていれば)高い空、すべてが天平そのものに思えます。
 この景観が天平時代から変わっていないはずはありません。中門と回廊があったというし、金堂の屋根はもっと低くて勾配も緩やかだったそうです。でも、それはいいんです。学生のころに井上靖の「天平の甍」を読んで以来、これが天平だとぼくに思わせ続けてくれている唐招提寺の金堂です。

金堂
 金堂の前まで来ると若い女の人と幼稚園くらいの小さな女の子が、開いている正面の扉からお堂の中をのぞき込んでいるのが見えました。女の人は青色の、女の子は水色のレインコートを着て、持ち物は水色の傘と白い手提げ袋だけで、買い物に出たついでにちょっと寄ってみたといった感じです。近くに住む親子だろうか、だとすれば、こんな雨の日になにしているんだろう・・・。
 金堂の列柱がすてきです。柱の中央付近がふくらんでいてギリシャの神殿建築のエンタシスの影響を受けていると学校で習います。でも、そう言われてみればそうかな、です。ふくらみがはっきりわからなくてもいいんです、ずらり並んだ八本の太い柱の列は気持ちがスーとして、いつまで見ていても飽きません。
 ぼくらも開いている正面の扉から中の仏像を見ます。扉の内側は網がかけてあって、鳩が入らないようにしているんでしょうか。もっとよく見たいと思い入口はと横にまわったり裏に行ってみたり、でも開いている扉がありません。たしか以前は横から中に入れたと思うんだけど・・・。開いている扉から中をのぞくしかないようです。網目は大きいから網越しにでも3体の巨大な仏像は十分見られます。でも、その迫力を頭の上に圧し掛かるような圧力で感じることはないし、四天王像もよく見えません。

巨大な乾漆像
 金堂内には巨大な乾漆像が3体です。まん中の蘆舎那仏坐像は約3メートルの脱活乾漆造りで、向かって左の千手十一面観音立像は5メートル以上もあり、右の薬師如来立像は3メートル以上でともに木芯乾漆像です。蘆舎那仏坐像の両脇には梵天像と帝釈天像が、四隅には四天王像が並びます。6体とも木造でほぼ等身大ですが、乾漆像3体があまりに巨大だからもっと小さく見えます。これら安置されている仏像群の構成は鑑真さんが考えて生前に指示したものだそうですが、造ったのは鑑真さんに伴って唐からやって来た仏師だったといいます。
 ミキオ君が、あの手は何本ある、と千手十一面観音立像に観入っています。完成時は千本あったのが、今は950本余りになっているそうです。解体修理をしたとき再び組み立てようとしたら、小さい手がどうやっても何本か余ってしまったといいます。そんな話をするとミキオ君は信じられないという顔をしながらも、いい顔しているなぁ、と気に入っているようすです。

 金堂のうしろにある講堂に右側からまわると、右手に二階建ての小ぶりな楼閣が見えます。鼓楼といい毎年5月19日に「うちわまき」という行事があります。鎌倉時代の唐招提寺に殺生を嫌って顔にたかる蚊を殺さない偉いお坊さんがいて、それを見た弟子かだれかが蚊をうちわで追い払ったという話に因むもので、鼓楼の上からハートの形をしたうちわを撒いて、それを参拝者が競って拾うという、節分の豆まきみたいなことをします。でも、拾わなくてもうちわは手に入ります。拝観受付でくれるんです。もらったことがあります。記念の粗品というほどのうちわですが、行事に参加して拾わないといけないものだと思っていたから、うれしかったのを憶えています。

 講堂をすこしだけ見てすぐに金堂に戻ってきました。あの親子はもういません。金堂の石段の乾いているところを見つけてすわっていると、雨あがりの広い境内は静かに濡れていて、しっとりとした空気に心が落ち着きます。ミキオ君が横へ来てすわり、雨の日のお寺がこんなにいいもんだと思わなかったと言って、しみじみとしています。こんな雨の日に誘ってしまったのにミキオ君は喜んでいる。ぼくも来て良かったと思っていました。すっかり心が和んでしまった空間と時間を惜しみ、そのまま門が閉まるまで石段にすわっていました。


 今年はミキオ君と大和西大寺駅で別れました。40年近く前、法華寺町にある航空自衛隊幹部候補生学校に入った日、どうやって行けばよいかと電話で基地に問い合わせたら、大和西大寺で降りてそこからバスで来てくださいと言われ、それだけで切られそうになったので慌てて、どこ行きのバスですか、と訊くと、航空自衛隊行きです、とあっさり言われて、ああそうだった、法華寺へ行くときはそうしたんだったと思い出して、笑ってしまったことがありました。
 そのころの大和西大寺駅は、京都、奈良、難波の間にあるただの乗換駅でしたが、今はショッピングモールを備えたちょっとした駅ビルになっていて、乗り換えの乗客と買い物客でたいした賑わいです。ぼくらはパン屋のちいさなテーブルを挟んでコーヒーを飲みながら、時間がある限り、この一年にあったことなどを話しました。

 薄暮の大和西大寺駅のホームで電車を待つたくさんの人たちに混じって、ぼくはひとり京都行きの電車を待っています。線路を挟んだ向こうのホームにも大勢の人たちが電車を待っています。みんな仕事を終えて家路を急いでいるんでしょう。一日が終わろうとしている黄昏時の、そんなあわただしさだけの光景が、なぜか寂しく見えて心にしんみりと感じていました。大和西大寺は懐かしい駅なのに、はじめて来た駅のように思えました。来年もまた来るんだろうか。(2017年6月9日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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