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薬師寺 大講堂の弥勒三尊像

 奈良のお寺を巡るとき、距離が近いお寺をセットにしてまわる順序を決めます。奈良公園では興福寺と奈良博から東大寺へあるいはその逆順で、斑鳩は法起寺から歩き始めて法輪寺の次に法隆寺・中宮寺へ、当尾だと石仏を巡りながら浄瑠璃寺と岩船寺にできれば円成寺も加えて、佐保路なら海竜王寺と法華寺、西大寺と秋篠寺の組み合わせ、西の京は近鉄の駅からすぐの薬師寺と唐招提寺、といったようにします。
 興福寺から奈良博へまわり快慶展を観たあと、ぼくとミキオ君は遅いお昼を食べてから、雨の中を西の京へ行きました。


西の京
薬師寺金堂 たっぷり時間をかけてしまった奈良博のあとは、あまり雨に濡れることなく行けそうな薬師寺と唐招提寺をまわります。が、まずはなにか食べます。腹ペコです。食べようという話になると決まって、奈良に美味いもの無し、とミキオ君は言います。志賀直哉が何かに書いてからそう言われるようになったそうですが、去年食べたものはおいしくなかったし、おととし食べたものは終末的なひどい味だったから、以前はそれほど意識しなかったのに、やっぱり志賀直哉説を支持すべきだろうかと、このごろは思うようになっています。
 とにかく今回はなにをどこで食べるか、適当にしないで慎重に選びたいものです。雨に降られて不味いもの食わされたでは、転んだ上から踏まれて涙が出るほど痛いたいところへ蜂が来て刺したようなものです。が、西の京まで行ってからにしようという選択肢はありません。そろそろ1時半になろうとしていました。そう、選びたいのに時間がないから、結局、運を天に任せて近鉄奈良駅近くで目に入った最初の店に入ります。で、どうだったのか、・・・、志賀直哉説支持にならずに済みました。ホッとした。

 ホッとして近鉄奈良から乗った難波行きの普通電車を大和西大寺で橿原神宮行きの快速急行に乗り換えると次の停車駅が西の京で、降りて右へ行けば薬師寺、左へ行けば唐招提寺です。奈良在住のミキオ君は、快速急行に乗ってみたかったんだと喜んでいます。どこが違うんだろう。電車を日常的に利用しないぼくにはよくわからない話です。

 薬師寺は法相宗で天武天皇が発願し持統天皇を経て文武天皇のときに完成した、だからはじめ藤原京にあったのが平城遷都で奈良に引っ越してきたお寺で、律宗の唐招提寺は鑑真さんが聖武天皇から薬師寺の横にあった皇族の屋敷跡をもらって、聖武天皇などが造営したお寺です。仏像はといえば、白鳳仏の薬師寺に天平仏の唐招提寺です。わかりきったことを、こうしてあらためて並べ立ててみると、このふたつのお寺に共通点はありません。セットにして訪ねる意義を求めるなら、ただ隣り合っているから便利というだけでしょうか。

薬師寺
 快速急行を西の京で降りると傘を広げて右へ、薬師寺を目指して歩きます。雨は小降りになっていました。こっちから行くと北側の出入り口から入ることになります。
 ところで、薬師寺はいつ来ても工事をしています。はじめてのときは学生だった40年ほども前ですが、金堂の再建工事中で本尊薬師三尊像は仮住まいのうえに中尊は本来の台座ではない木製の台に載せられていました。シルクロードを思わせる特異な意匠で知られる国宝の台座ではなかったんです。残念に思っていたら、それがたまたま、ここは何だろうと覗いたお堂に本来の台座があるのを見つけて、こんなところに、と目を疑ったのを憶えています。そこは資材置き場かなんかだったようで、加工された木材に混じって上部だけ布で覆われているのが、少し開いていた戸の隙間から見えていました。その次に訪れた空自の幹部候補生だったときは西塔が再建工事中で、今日は東塔をオーバーホールしています。

 北受付から入ると雨のしとしと降る境内はシンとして人影はありません。玄奘三蔵院も一緒になっている拝観券を買って、やっぱり雨だと人は来ませんね、と受付の女の人に何気なく話しかけると、その人はニコッとして、そうですね、ゆっくりお参りしていただけます、と切り返したのはベテランの応対でした。
 北側から入ったので大講堂から観ていくことになります。その手前のなんなのかは知らない大きな建物を通り抜けようとしたら、だれもいないと思っていたのに、修学旅行らしい50人ほどの学生の一団が静かに講話を聞いていました。大講堂につながっている休憩所のような広い部屋のすみっこで、黒っぽい服の女の子がひとりぽつんと、台に腰かけて頻りに大きなレンズの付いたカメラをさわっています。撮ったばかりの写真を見ているんでしょうか、それともカメラを雨に濡らしてしまったんでしょうか。こんななんということもない光景が、静かな雨の日を演出していました。

大講堂の弥勒三尊像
薬師寺 大講堂 大講堂は平成15年の再建です。壮麗な金堂に比べるとこちらはとても質素ですが、金堂の倍もある横長の大きな屋根が堂々とした印象です。その本尊は余り知られていない如来三尊像で中尊は弥勒如来です。興福寺東金堂の両脇侍によく似た感じで金堂の薬師如来三尊像同様に白鳳の金銅仏ですが、残念なことにすこし野暮ったい造形です。しかもぼくが若かったころは、中尊は薬師如来と呼ばれていました。
 この三尊像は伝来がはっきりしないらしく、飛鳥の藤原京にあった本薬師寺(もとやくしじ)の薬師三尊像だったとか、どこかのなんとかという古いお寺の薬師三尊像だったとか、とにかく薬師三尊像として議論されていました。
 薬師如来として議論されたのは明治になってからのことだったようで、それ以前は旧弥勒堂に弥勒如来として、あるいは旧講堂に阿弥陀如来として安置されていたんだそうです。大講堂が再建されてからは弥勒如来になっています。よくわからない話ですが、両脇侍を伴ったその姿を開け放たれた扉越しにすこし離れて眺めれば、金堂の薬師三尊像によく似ています。と、ここで北受付から入って良かったと気が付きました。南から入って初めに金堂の薬師三尊像や東院堂の聖観音像を観てしまうと、もう十分な気がして、大講堂はさっさと済ませてしまいそうです。

 そんな弥勒三尊像を観てミキオ君は、いい顔しているなぁ、と感じ入っているじゃありませんか。この四角い顔がいい顔・・・、と思ったものの、ミキオ君がそう褒めたのは、いや、これは随分と供養になったはずで、弥勒さんもきっと大喜びで・・・、

そこの若いの、何気ない顔して、うまいことゆうて、ふふふっ、いい顔してるやなんて・・・、うれしいやないか、よし、今日はタダにしてやる、帰りに受付で拝観料返してもらい、ぼんさんにあんじょうゆうといたる
・・・・・・
かまへんかまへん、礼なんかゆわいでもええ、わいは気分がええねん
・・・・・・
なに連れがいる、
連れって、その横でボーと立ってはるおっさんのことか
・・・・・・
なんやて、このお方の分もついでにタダにしてあげてほしい、
おっさんの分もかいな、あつかましいやっちゃな
・・・・・・
わかったがな、しゃないな、今日は特別や

と上機嫌な声が聞こえてきそう・・・な訳ないですね、やっぱり。

金堂の薬師三尊像
 大講堂の外へ出ると正面に龍宮城みたいな金堂です。その左は東塔を解体修理している白とグレーの縦縞の建屋で、右では金堂仕様で再建された西塔が雨に濡れて寂しげです。
 すーっと金堂に入って薬師三尊像の前に立ちます。薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、今さら言うことは何にもない仏様たちです。ミキオ君はここでも、いい顔しているなぁ、と呟いていました。この薬師三尊像ならだれが観てもそうでしょう。この「いい顔しているなぁ」はミキオ君流の最大級の賛辞のようです。しかし、考えてみるとあっちでもこっちでも言っていたみたいです。
 裏にまわって台座の北側の四神玄武も観たら、さあ、次はお隣さんへ、唐招提寺です。雨はもうほとんど止んでいるようです。北側の出入り口に戻る途中、見れば、カメラの子はまだ同じ場所にすわっていました。


 なにか忘れていますね。そう、東院堂の聖観音像です。観るのを忘れたんです。玄奘三蔵院にも行っていませんが、そっちは拝観料を損しても、見る気など初めっからなく、東院堂は楽しみにしていたのに完全に忘れてしまったんです。金堂を観たら唐招提寺に行くことしか、ぼくもミキオ君も頭にありませんでした。時間も押していましたが、興福寺も薬師寺も工事中で雰囲気がなかったから、唐招提寺で早く天平の空間に浸りたいという思いに、知らずしらず駆られていたのでした、聖観音像もどこかへいってしまうほどに。(メキラ・シンエモン 2017年6月7日)

写真:メキラ・シンエモン


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