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興福寺 東金堂と北円堂の四天王像

 四天王の名前と方角は、昔は東から時計回りに「地蔵買うた」と憶えたものです。つまりジ・ゾウ・コウ・タで「持増広多」となり、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天です。安置するときは南の増長天が本尊の前でじゃまをしないよう45度時計回りに振って四隅に置くので、向かって右の前が持国天そのうしろに多聞天、左の前は増長天でそのうしろが広目天となります。ぼくは四天王像をこの順番で観ていく癖がついていて、持国天像から始めてそのうしろの多聞天像はわざと飛ばして増長天像と広目天像を、そして最後に多聞天像です。


銅造仏頭
 仮講堂のあとは、おととしは時間がなくてよく観ることができなかった東金堂へまわりました。たたんだ傘を傘立てに置いて、左側にある入り口から入ります。まずは持国天像から観ようと右へ急ぐと、あれっ、こんなところに・・・、と驚いたのは、国宝の銅造仏頭(山田寺仏頭)が持国天像の右横にあったのです。国宝館が耐震工事中でこっちに引っ越していました。阿修羅像たちが仮講堂に移されたのもそのためでした。
 銅造仏頭と呼ばれる、破損した頭部しかないこの仏像は、美術愛好家のあいだでは頗る持て囃されていますが、それにしては素材別分類名みたいな、なんとも気の利かない名前です。山田寺仏頭とも呼ばれているのはこの仏頭が、近ごろは「乙巳(いっし)の変」と言っている「大化の改新」で、中大兄皇子に協力した蘇我倉山田石川麻呂が、飛鳥に建てた山田寺の講堂にあった本尊の薬師如来像だったといわれているからです。この薬師如来像は白鳳仏で、讒訴によって殺された石川麻呂の一族の冥福を祈って、天武天皇の皇后で自らも石川麻呂の一族だったという後の持統天皇が発願して造らせたものだったといいます。それがなんで興福寺にあるんでしょう。
 平安時代末期、平家の南都焼き打ちに遭い焼失した東金堂が再建されたとき、お堂はできても本尊がなかったので興福寺の坊さんたち(たぶん僧兵でしょう)が、飛鳥の山田寺から薬師如来像を略奪してきて、本尊にしてしまったんだそうです。東金堂はそののちまた火災に遭って山田寺の薬師如来像も焼けてしまいました。現在の東金堂と本尊は室町時代に造られたものですが、昭和12年に行われた修理のとき、本尊薬師如来像の台座の中から、火災で焼け落ちたとみられる銅製の如来像の頭部が、木箱を台にして安置されているのが発見され、これは山田寺の薬師如来像の頭部だということになったんだそうです。
 略奪され火災に遭って焼け落ちひどく破損した頭部だけになっても、なお清々しい表情で人々に語りかける、どこか怪奇の匂いがする仏像です。

東金堂の四天王像
 銅造仏頭に驚いたあと、2年前に後ろ髪をひかれた四天王像を今回はしっかり見ます。この貞観仏の四天王像はほんとうにおもしろい。おどけたようなポーズのメタボの体にもクリクリの目をしたまあるい顔にも力が漲り、どうしたらこんな造形を思いつくんでしょう。
 持国天から観ていって多聞天にたどり着くと、持国天はハツラツとしてやる気満々だったのに、多聞天はなにをしょげているのか元気がないようすで、普通は目よりも高く掲げる宝塔を胸の前まで降ろしているし、顔はちょっと横を向いて俯き加減に視線を落として、いいんだ、ぼくなんか・・・、と拗ねているみたいにションボリしています。きっと仏師はひとりで4体全部を造っていて、持国天像から意気込んで始めたのはよかったけど張り切りすぎて、最後の多聞天像まできたときには、もうだいぶくたびれていて、それでこうなったんじゃないのかなぁ、と想像してしまいます。
 足の下の邪鬼もおもしろくて、首も腰もこれじゃ骨が折れてしまうだろう、というくらいにムチャクチャに踏みつけられているのに、明るい顔してむしろ踏まれることを楽しんでいるみたいに見えます。これは仏師がノリノリで彫った証拠で楽しんで造ったに違いない、とにかく四天王像の傑作です。

 東金堂は須彌壇が高いから十二神将像がよく見えないと、まえにも書きました。ミキオ君が入口の敷居と同じ高さに作ってある台に上って、ここならよく見えると言います。上がってみると、なるほどよく見えました。十二神将像も上半身だけ出ている本尊の両脇侍もよく見えてなかなかの絶景です。
 台から下に降りたぼくらのところへ、身分証を首から下げたガイドらしいおばさんが近づいてきて、説明いたしましょうか、と言ってくれました。そんな必要を感じていないから、いいえ、だいじょうぶです、なんども来ていますから、と断ったのは、ちょっと悪いことをした気がします。見渡せば、堂内にはぼくらだけでした。説明を聞かせてもらえばよかった。

北円堂
興福寺北円堂 仮講堂の横、すこし離れたところに興福寺でもっとも古い建物といわれる北円堂があります。南円堂は線香の煙が絶えることがないのに、北円堂はいつもひっそりしています。
 仮講堂を出るとき、北円堂が公開されているみたいに見えました。ミキオ君は、違うでしょ、と否定的ですが、年に一度しか来ないぼくにはこんな機会は少ないから、奈良博に行くまえに、雨は降っているし逆方向になりますが、ものは試しだと東金堂から北円堂にまわってみることにしました。ミキオ君はあまり気乗りしないらしく、うしろをトボトボ付いてきます。近くまで行くと、果たして拝観受付にじいさんがふたりいるのが見えました。ホッとしたから思わずニコッとしてしまった。

無着像と世親像
 お堂に入って運慶作の本尊弥勒如来像を拝すると、すぐ後ろの左右に別れて安置されている2体の僧形像が本尊以上の存在感を示しています。法相宗の祖といわれる無着と世親の兄弟の像で、こちらも運慶作です。本尊より存在感があるのはその大きさのせいで2メートルほども高さがあります。運慶さんが等身大よりかなり大きくこの2体を造ったのはなぜなんでしょう。信仰の巨人だから大きくした、なんていう理由ではないはずです。
 八角形のお堂をまわりこみ近くでふたりの顔を見上げれば、兄の無着はおだやかな老人の顔、弟の世親は若々しく厳しい表情で、どちらも生きているようなリアルさです。そのリアルさは厳しい修行を重ねた求道者の、絶対の自信と強い意志を備えた人格のきちんとした表現です。
 裏にまわって背面をみれば無着像も世親像も、がっしりとした肩が驚くほど印象的です。その背中は木の彫像とは思えない、生きているようで吸う息吐く息の肩の上下が見えるみたいです。そんな背中を見ていると、なんだかなんでも頼ってよいような安心感を与えてくれるみたいな気がしてきます。

 そう言えば、以前はこの2体は後ろ向きでした。そんな写真を見た覚えがあります。本尊に背を向けて奥に安置されていたんです。本尊弥勒仏像と無着・世親像がセットで造られたことが弥勒仏像の台座の銘からわかるといいます。そうすると無着・世親像の本来の置き方は本尊に背を向けたものだったんじゃないのかなぁ。本尊を圧倒するような存在感を感じさせる今の置き方はちょっと変だし、あの人柄を感じさせる背中の表情は、正面からは後ろ姿しか見えない置き方を想定して、背中にすべてを語らせようという運慶さんの構想があったんじゃないでしょうか。
 等身大より大きく造ったのもきっとそのためで、本尊のじゃまをしないよううしろを向かせて奥に置いても、お参りの人がふたりに気が付いてくれるよう大きくしたんでしょう。東大寺の南大門の金剛力士像を下から見上げるときの見え方を考えて、胴長短足六等身に造ったのと同じセンスです。そう思うと、運慶さんは人の容姿を彫ったのではなくて、人格や人柄という非視覚的な姿を彫ったようです。

北円堂の四天王像
 北円堂の四天王像は同じ堂内の無着像と世親像がリアルな人間の姿をしているからか、なにか爬虫類のようなとても奇妙な生き物を見ているような感じがします。東金堂の四天王像よりもっと奇怪な面相で、両腕にユーモラスな動きがあります。
 持国天は目の玉が飛び出していて、なんのつもりなのか体の前で左右の腕を交差させています。増長天は戟がなくなっているから、まっすぐ挙げた右腕とお腹を抱えているように見える左腕が、おそ松君のイヤミがシェーをしているみたいで、それが真剣な顔をしているもんだから思わず拍手したくなります。多聞天は宝塔を失った右手が、お盆を載せるのにちょうどよい指の開きで、いかがでしょうかと言っているように首をちょっと傾けて、スクッと立っているところはホールでサービングしているみたいです。
 では広目天はどうかというと・・・どことなくぎこちなく見えないこともなく、元は剣を持っていたんでしょうか、ならば左利きなのか、左腕を振り上げて威嚇するようなしぐさで、普通に勇ましい守護神らしいポーズです。でも、これが、ほかの3体のポーズがおもしろすぎるから、勇ましいのが逆に平凡すぎて、あんただけどうしてまじめにしているのと訊いてみたくなります。
 この四天王像は貞観仏だから、きっとどこかのお堂から持ってきて置いたんでしょう。(大安寺にあったと聞いたことがありますが記憶があやふやです。)その造形は奇怪で個性が強く漫画的なのに、落ち着きと真剣さに満ちた無着・世親像と一緒の堂内でも違和感がないのは、その自己主張が出しゃばっていないからで、むしろ無着・世親像の人間らしさを際立たせているようでした。


 興福寺は四天王像がなんと楽しいお寺なんでしょう。国宝館の耐震工事のお陰なのか春期公開中だからなのか、東金堂でも北円堂でも国宝館に展示されていた像が本来の持ち場に戻っていて、4体揃った四天王像を観ることができました。北円堂の外に出ると雨と風がすこし強くなってきたのか、受付のじいさんは立看板をかたずけようとしていました。(2017年5月31日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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