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小惑星B612の小さな王子さま

 小惑星B612は一軒の家ほどの大きさしかない小さな星で、死火山ひとつを含むみっつの火山があってバラが一輪咲いています。夕日が大好きな男の子がひとりいて、毎朝身繕いをしたあと火山の掃除をし、バラに水をやって世話をします。その男の子は地球から木箱に入れて連れてきたヒツジを飼っていて、バオバブの木がはびこって星が砕けてしまわないように、バオバブがまだ小さいうちにヒツジに食べさせています。そして男の子はヒツジがバラまで食べてしまわないように、夜はバラにガラスケースを被せます。
 7月31日が近づいてくるとこの星はぼくの真上に現れます。そうするとぼくはその星の男の子とバラのことを思い出します、ヒツジはバラを食べていないと信じて・・・。ぼくのほかにもそういう人は、きっとたくさんいると思います。


 サン=テグジュペリの「星の王子さま」(「Le Petit Prince 小さな王子」)をぼくが初めて読んだのは、たしか転校するまえだったから、小学4年のときだと思います。

 第二次大戦における自由フランス空軍の予備役少佐だったサン=テグジュペリは、1944年の7月31日にコルシカ島からドイツ占領下のフランスへ高高度写真偵察飛行に出撃して未帰還となりました。去年は、そのときの搭乗機のことなどを「シムーン 7月31日」という題でなんとなく書きました。今年は「星の王子さま」の物語についてなんとなく書いてみます。
 Web上にそれこそ星の数ほどもある著名な人から普通の人まで多くの人が書いたこの本の、だれも読まない「読書感想文」がひとつ増えるだけのことで、人に迷惑を掛けるわけでもないから「夏休みの宿題」気分でやろうと思います。なんで「読書感想文」で「夏休みの宿題」なのかというと、さっき目の前を小学生が通りがかったのを見てなんとなく、これだな、と頭に浮かびました。
 そうと決めたもののフランス語の原典なんて読めないし、20種ほどもあるらしい邦訳を全部読んでというのは「夏休みの宿題」としては大袈裟すぎます。小学4年のとき読んだ内藤濯訳の「星の王子さま」(岩波書店)はとっくの昔に失くしてしまったから、山崎庸一郎訳の「小さな王子さま」(みすず書房)と、河野万里子訳の「星の王子さま」(新潮文庫)の2冊を読みます。なぜこの2冊なのかというと、たまたま家にこの2冊がありました。

「小さな王子さま」
小さな王子さま 山崎庸一郎訳 みすず書房 この物語を「星の王子さま」ではなくて「小さな王子さま」と呼ぶことにします。原典に忠実な訳だからというよりもその方がふさわしいと思えるからですが、「星の王子さま」にすると噺家の5代目三遊亭円楽を連想してしまう人がいるかもしれない、という危惧もあるからです。ちなみに韓国語版は「オリン ワンジャ(こどもの王子)」となっています・・・が、関係なかったですね。
 そんなことよりサン=テグジュペリはこの物語をこども向けに書いたのでしょうか、それとも、聖書に次ぐ世界的ベストセラーだというし、解題や解説を試みた本がたくさんあっておとなが真剣にとやかく言うんだから、おとな向けに書いたのでしょうか。どっちもだよ、と普通には言われているようですが、いや、やっぱりこども向けだ、とぼくは思います。こどもなら喜びそうなたくさんのへたくそな挿絵と、物語に入る前の「献辞」に書いているこどもに向けた執拗な言い訳をみれば、きっとそうに違いありません。
 それに、対象がおとなにしろこどもにしろその両方でも、「小さな王子さま」は枕の代わりにもならないような哲学の本でもなければ、到底実行不可能な自己啓発本でもないんだから、山ほどの知識や鋭い洞察力なんて持ち合わせていなくても読めるようにサン=テグジュペリは書いたはずです。もしそうでないなら、ぼくはどうあがいてみても読めないことになってしまいます。

ゾウを飲み込んだ2枚のボアの絵
 ぼくが小学4年で初めてこの物語を読んだときなにを思ったのかというと、それが・・・あのゾウを飲み込んだ二枚のボアの絵しか記憶に残らなかったようで、高校1年の夏休みに市内の本屋で、親に連れられた幼稚園の子がこの本を広げているのを偶然見かけて、あれ、あのウワバミの話ってこの本だったのか、と思ったくらいだから(ボアもウワバミとして記憶していたのです)、肝心な部分についてどう思ったのかは、なんにも覚えていません。星の王子さまの眠る海 ソニー・マガジンズ
 それからだいぶ経って、このHPの第1部でサン=テグジュペリのことを書いたすぐあとに、雑誌の「航空ファン」で未帰還になったときの搭乗機と思われる機体の一部が発見されたという写真を見て、ほんとうかなと思って、でもそのあと忘れていたら、それから何年か経ってこの機体の発見と引き上げの一部始終について書いた「星の王子さまの眠る海(Saint-Ex La fin du mystere)」(エルヴェ・ヴォドワほか 香川由利子訳 ソニー・マガジンズ)という本を郊外の本屋で偶然見つけて、これはこれは、と買ってきて読んでいたら、なんだか「小さな王子さま」を読みたくなって、ちょうどそのころこの本の翻訳と出版に関する制限がなくなったことで雨後の筍みたいに出現したたくさんの邦訳の中から、先に挙げた2冊山崎庸一郎訳の「小さな王子さま」(みすず書房)と河野万里子訳の「星の王子さま」(新潮文庫)がなんとなく良さそうだと思い買って読みました。ぼくはそれがなんであれ、きっかけはいつも飛行機です。

「飼いならす」
 「小さな王子さま」のテーマはなんなのか。キツネが王子さまに教える言葉、「とても簡単なことだ。心で見なくちゃよく見えない。大切なことは目には見えないんだよ。」(山崎庸一郎訳)がそうだということで、普通はみんなが一致して納得しているようです。でもこれって、だれかから説教じみた言い方で言われると、そんなこと言われなくてもわかっているよ、とだれもが言いそうな、実にありふれた言葉です。

 ぼくはキツネが王子さまに言う「おねがい……ぼくを飼いならしてよ!」(山崎庸一郎訳)というセリフに捉まってしまいました。「飼いならす」ってなんのことだろう、とね。
 この「飼いならす」はとても重要な言葉に思えますというのは、この部分を含む王子さまとキツネの出会いは、とても気になる大事な場面なんですが、この「飼いならす」がその核心と言えるみたいだからです。
 ちなみに河野万里子訳は「飼いならす」が「なつく」となっています。フランス語はapprivoiserだそうで、これは動物にたいして用いられる言葉で、意味はまさに日本語で普通に使う「飼いならす」の意味ですが、人間に使うと悪い意味になると山崎庸一郎訳の注釈に書いてありました。日本語でも人に対して「飼いならす」を使うときは普通じゃない意味です。河野さんが「なつく」と訳したのは王子さまが、花が自分を飼いならした、とキツネに語る場面があるから、そういうことも考えてか、あるいは「なつく」と訳した方がしっくりする部分があるからで、例えば「飼いならされていないから」というキツネの言葉は「なついていないから」とした方がぴったりきます。でも、ほかの場所では逆で、例えばさっきの「飼いならしてよ」は、河野訳では「なつかせて」になっていて、なんだかぎこちない日本語です。きっとこの言葉の訳には随分と悩んだことでしょうね。

キツネの絵、バラの絵
星の王子さま 河野万里子訳 新潮文庫 ところで、なぜキツネなんでしょう。ついでに王子さまの星に生えた花がなぜバラなのか、王子さまが砂漠で最初に遭遇するのがなぜヘビなのかということも気になるところですが、解説や注釈なんかに書いてあるバラ、キツネ、ヘビがなにを意味しているとか、あるいはなにを象徴しているとか、そういった探るような見方から離れて、ぼくは物語の雰囲気をつくり出すために、作者独特の(飛行機好きという)感性がそうしたんだ、と考えたいと思います。そして、ほとんど取り上げられることがない、サン=テグジュペリ自身が描いたへたな挿絵も、またそうした雰囲気を空間で見せようとした作者の感性の表現なんでしょう。
 ぼくはへたな挿絵だと書きましたが、味わいあるおもしろい絵だとも思います。が、やっぱりへたくそな絵です。キツネの絵は耳がツノでも生えているみたいに長くて、しかもしっぽを猫みたいにピンと立てていてキツネらしくないし(サン=テグジュペリが耳の長いキツネを飼っていたという話もあるようです)、バラの絵も「イチゴのかき氷」みたいで、ちっともバラには見えません。ヘビなんて文章抜きで見たら地面に落ちている縄です。でもそんなそれらしく見えないへたな挿絵が、物語の雰囲気にぴったりに思えます。炊きたてのご飯にバターを載せて食べるようなとても微妙な感覚です。
 あるいは物語の語り手であるサハラ砂漠に不時着して王子さまと出会うパイロットは6歳のとき画家になることを断念させられたという設定に合わせて、わざとへたに描いたのかもしれません。王子さまがパイロットの自信作だったバオバブの絵を見てキャベツみたいだと笑うんだから、キツネやバラをじょうずに描いたら、それは雰囲気ぶち壊しというもんです。そう思えばへたな絵も納得です。
 挿絵のことはこのくらいにして、王子さまとキツネの出会いの場面のことです。

 寂しいから遊んでほしいと頼む王子さまにキツネは、飼いならされていないからできない、と拒否してしまいます。そこで、飼いならすってどういうこと、と王子さまはキツネにくり返し訊きますが、キツネはなかなか答えてくれません。そして3回目にやっと「すっかり忘れられていることだけどね。絆をつくり出す?……っていう意味だよ」(山崎庸一郎訳)と王子さまに教えます。
 まるで「三国志」の「三顧の礼」ですが、こんどは「絆をつくり出す」の意味が、王子さまにはわかりません。つづく・・・。(メキラ・シンエモン 2017年8月3日)




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