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シムーン 7月31日

 暑い日が続いています。エアコンの効いた建物から外に出るとビルの谷間から吹いてくるムッとした風に襲われます。サハラ砂漠に吹く熱風をシムーンというそうですが、こんな感じなんでしょうか.。もし同じだったとしても、幸いにしてここは日本の金沢です。サハラ砂漠ではないから、夜明けに現れた小さな男の子の「ねえ……ヒツジの絵を描いて!」という声に目が覚めることはありません。・・・なんて書くと、あんた、この暑さで頭がイカレタね、と言われそうですが、そうは思わないでニコッと笑った人もいるでしょう。

サン=テグジュペリ
 72年前の7月31日はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが地中海の上空で偵察飛行中に行方不明となった日です。
 その日、1944年7月31日の午前8時45分、自由フランス空軍飛行33連隊第2偵察大隊のサン=テグジュペリ予備役少佐はPRブルーに塗装されたロッキードF−5Bライトニング偵察機223号機の操縦席にその44歳の巨体を押し込むと、地中海に浮かぶコルシカ島のボルゴ基地を離陸、グルノーブル・アンベリュー・アヌシー方面へ高々度写真偵察飛行に飛び立ちました。午後1時までには戻ってこられる任務でした。しかし彼のライトニングは燃料タンクが空になる午後2時30分を過ぎても帰投しませんでした。(ロッキードF−5Bライトニング偵察機はロッキードP−38Gライトニング戦闘機を改造した写真偵察機。)
F-5B-1-LD 223 機体は長いあいだ見つかりませんでしたが、サン=テグジュペリのブレスレッドが漁師の網に掛かったことがきっかけで、2000年にマルセイユ沖にあるリュー島近くの海中から排気タービンや主脚柱などの残骸が発見され、その3年後に引き上げられました。
 未帰還となった理由は特定されていません。まあ、サン=テグジュペリのことです、あんまり海がきれいだったから、ちょっと海面すれすれまで降りてみようと思ったら、そのまま海に落っこっちゃった・・・というようなことは、・・・やっぱり、ないでしょうね。(墜落の原因については諸説あって、ルフトバッフェのフォッケウルフFw190D戦闘機に撃墜されたという説や酸素マスクが故障したという説から自殺説まであります。)
 ちなみにサン=テグジュペリに関する本や資料では行方不明になったときの機体をPー38と書いているものがほとんどですが、飛行機が好きで空軍パイロットとして第二次大戦で戦い最後は地中海の空に散ったサン=テグジュペリに敬意を表する意味で、また飛行機ファンとしてもここは正確にFー5Bと書いてこだわっておきます(より正確にはF−5B−1−LO シリアルナンバーは42−68223)。またイラストではエンジンの下にあるオイルクーラーの空気取り入れ口の顎が張っていないF−5Aになっているものがあり、サン=テグジュペリがこの型に搭乗している写真もありますが、行方不明時の機体のシリアルはF−5Bのものです。F−5BはPー38Jと同じようにオイルクーラーの空気取り入れ口の間に主翼前縁にあった中間冷却器用空気取り入れ口を移設した型で顎が張っています。機体の塗装に関してはPRブルーとしましたがこれは確証がありません。(写真はハセガワ1/72のP−38Jを改造して作ったF−5B 223号機の模型。)

「星の王子さま」
 16年前にこのHPの中でサン=テグジュペリのことを書いているので今ここで書くのはダブってしまって良くないんですが、やはり7月31日が来るとどうしても頭に浮かんできてしまって、あまい話ですがこうしてまた載せてしまいました。あまいついでに少しこの記事の解説をすると、最初の方に「夜明けに現れた小さな男の子の『ねえ……ヒツジの絵を描いて!という声に目が覚めることはありません。」と書いた箇所がありますが、これはサン=テグジュペリの「星の王子さま(LE PETIT PRINCE)」を読んだことのある人ならなんのことかはすぐにわかったはずです。ではその前の部分で「・・・外に出るとビルの谷間から吹いてくるムッとした風に襲われます。サハラ砂漠に吹く熱風をシムーンというそうですが・・・」と書いたのはなにか意味があったのか、あるいはなぜだったのか・・・。
 「星の王子さま」はサン=テグジュペリがリビアの砂漠で遭難したときの経験が元になっていると言われていますが、遭難したときの乗機がフランスのコードロン社製のシムーンという飛行機でした。ですからここも「星の王子さま」に関係していて、ただしちょっと強引につなげようとした感じになっています。ところで、このシムーンとはどんな飛行機だったのか。

コードロンC.630シムーン
 「星の王子さま」は1974年にパラマウントでミュージカル仕立てにして映画化され、ボブ・フォッシー(マイケル・ジャクソンの振り付けでも知られるダンサー)が蛇の役を演じて話題になりましたが、この映画の中で砂漠に不時着するパイロットの乗機がちゃんとシムーンでした。
コードロンC.630シムーン シムーンはフランスで1934年に造られた乗客用に4座席を持つ軽輸送機で外見はいかにもフランス的で洗練されたおしゃれなスマートさがあります。胴体は木と金属の混合製のフレームに全体に布張してあり、翼は木製で表面に布を張って仕上げてありました。いくつかの型がありエンジンはルノーの180馬力から220馬力を搭載していました。生産機数は各型合わせて70機余りだったようで多いとは言えないものの航空史に名を残す名機といってよい飛行機です。サン=テグジュペリの乗機はC.630だったようで、実機の写真はwebで検索すればいくらでも見ることができます。掲載した写真はシリーズ最終型のC.635のプラ模型(エレールHeller の1/72)です。(ご覧の通り手を付けたものの未だに完成させられず放置してあります。みっともないので見せたくないのですが参考にと載せました。)
 写真でシムーンの模型の下に敷いてあるように見えるのは本で、山崎庸一郎訳の「小さな王子さま」(みすず書房)です。「星の王子さま」の原題は「LE PETIT PRINCE」で「小さな王子様」が正しい日本語訳のようです。10年以上前になるでしょうか、この本の日本における著作権だか翻訳権だかよく知りませんが、その期限が切れたとかでこれまで一種類だった邦訳が今は複数の訳が出ています。子供のころ親父に買ってもらった「星の王子さま」はどこかへいってしまって、ぼくが今持っているのはこの「小さな王子さま」というわけです。

山手線の読書
 本の話題ついでに夏の読書について。暑い夏の日、ぼくなんかはなにをするにも決意が要りますが読書はとくにそうです。そんな夏の読書で思い出すのは昭和50年代の前半、東京で大学へ通っていたころ本を読むのは山手線の電車のなかだったことです。今と違ってそのころの山手線は全車が冷房車ではありませんでした。先頭(と最後尾もかな?)の車両が冷房車でそれ以外は扇風機だったんです。それも一部の編成だけで冷房車が全くない編成の方が多かったかもしれません。冷房車かどうかは屋根を見ればわかりました。まあ、屋根を見なくても先頭車だけが混み合っていれば間違いなく冷房車なんですけど。
 ぼくは夏になると学校の帰りなんかに本を読むためにわざわざこの山手線の冷房車に乗っていたんです。冷房車が来るのを待って乗るわけですが混んでいても二つ三つ駅に停まれば座れました。山手線は一周約1時間ですが、それだけ冷房車に乗っているとさすがに冷えるので寒くなったら一旦ホームに降りて休み、暑くなってきたところでまた乗ります。まるで爬虫類です。こうやって何周もするわけではなく2周もすると嫌になります。それでも2時間になるので結構読めたものです。そんなことしないで図書館でもどこでも他に涼しくて読書に適した場所に行けばよいのにと思うでしょうが、それが山手線じゃないといけなかったんです。東京はどこへ行くにも地上か地下を走る電車で行けるのが便利ですが、乗っている間はなにもすることがないから本を読みます。電車の中で読む癖がついていたんです。地下鉄はダメで、まずぐるぐる回っていないからいけませんが、駅の構内を冷房していて電車は冷房なしの扇風機だけで、まあ暑かったこと。今なら考えられないようなことをしていたもんです。(2016年7月31日 メキラ・シンエモン)

模型制作と写真:メキラ・シンエモン


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