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伏見寺の阿弥陀如来像

 1970年代後半のいつだったでしょう、キャンディーズが「普通の女の子の戻りたい」と突然言い出して解散したころ、オリンパスの小型一眼レフカメラOMシリーズのテレビCMですごくおもしろいのがありました。
 京都の小さなお寺で痩せこけ貫録のないけっこうなお年の和尚さんが貧相な顔をキリッとさせ「うちの仏はんはちさいけど魂が入ってはる」と居直ってみせたあと首を傾げて「ほんまやったら国宝なんやけどなあ・・・」と泣きそうな顔で弱々しくつぶやく、というものでした。
 そのころキャノンEFという重い一眼レフカメラをぶら下げて国宝級の仏像を漁るように観て歩いていたぼくは、これを見て思わず吹き出しCMのカメラが欲しくなったものでした。結局買いはしませんでしたけど。
 ところで近頃流行りのなんとかガールの中に仏像ガールというのもあって仏像鑑賞を趣味とする人が増えたような印象ですが、どうしてどうして今に始まった話でもなく、こんなCMが作られるくらいだから、そのころも仏像ブームだったんです。

 このCMが流れていたころ東京にいましたが、何かの用で金沢へ帰省したある年のある日、ついでだからこの機会に伏見寺(ふしみじ)に行っておこうと思い立ちました。このお寺には仏像ファンなら外せない阿弥陀如来座像があります。


金銅阿弥陀仏像
 金沢の伏見寺ねぇ、そんなお寺聞いたことないけど、そんなところに名の知れた阿弥陀如来像がありましたっけ、と訝しがる仏像ファンもいるでしょうね。伏見寺は金沢市内、忍者寺として知られる妙立寺に程近い寺町にある真言宗の古刹で、本尊がその阿弥陀如来座像です。貞観時代の金銅仏で像高22.1センチという小さなものですが、大きめの顔がおだやかな表情ながら全体に太造りでどっしりとしていて、大きな手で下品中生の印を結ぶ姿には風格があります。貞観の金銅仏はほかに残っていないようで、この像が唯一ともいわれ重要文化財です。

伏見寺
 バスの通る道路からよく見えるように門の前には高札みたいな造りの目立つ看板が立ててありました。「国宝級 国指定重要文化財 阿弥陀如来金銅仏像 伏見寺」と書いてあります。重要文化財だけでいいのにわざわざ国宝級と書いていたんです。うちの阿弥陀さんは小さいけど重要文化財や、けど本当は国宝でもいいくらいなんや、という住職さんの誇らしさと悔しさが混ざりあう思いが国宝級と書かせてしまったのかもしれません。ちょっとやりすぎみたいでした。
 住職さんは神経質そうな感じの年配の方でした。いろいろ説明してくれたんですが、国宝級の看板以上の強烈な印象でよく覚えているのは十二神将像の説明です。本尊阿弥陀如来像に付属するように像高20センチほどの小さな十二神将像が左右の雛壇に6体ずつ並んでいました。薬師如来像ではなく阿弥陀如来像に十二神将像です。これはルール違反ですがこのお寺の縁起が関係していて、かつて薬師如来像が安置されていたことがあったそうで、そのときの十二神将像がこうして残っているらしいのです。だからどこかから持ってきたのを適当に並べているのではありません。ちなみにこの伏見寺の創建は金沢という地名の由来と深い係わりがあります。が、その話はちょっと置いといて、住職さんの講釈です。

十二神将像
 十二神将が12体全部揃っているのは日本中でうちの寺だけや、あの室生寺の十二神将も全部はない、と誇らしげにそれも怖い顔で力説したのです。この和尚さんはなにか勘違いしているのか、本当にそう思っているのかとあっけにとられ、でも反駁しないでおとなしく聞いていました。自慢のあまり興奮してしゃべっているのか、なにかに怒っているのかわからない感じで、次はなにを言いだすのかと不安になり、唯一の目的だった阿弥陀如来座像は観たんだし長居はよそうと、そそくさと出てきました。(室生寺金堂には十二神将像が10体しかなく、あとの2体は奈良国立博物館に寄託されています。)

 あのとき住職さんはなにに興奮していたのか、今もって謎です。単に機嫌が悪かっただけなのか、あるいはひょっとすると、根拠希薄で多少こじつけ気味な想像ですが、あのころの仏像ブームでここまでやってくる人がいたとして、ぼくの前に来た人のなかに小さな十二神将が阿弥陀様の眷属になっているのを見て可笑しがった奴がいたか何かで嫌な思いをさせられことがあり、それ以来拝観者にはだれかれなくあんな感じになっていたのかもしれません。


伏見寺再訪
 あれから何十年経ったでしょうか、おととしの6月の末、今度も急に思い立って梅雨の晴れ間の蒸し暑い日、汗を流し流し伏見寺を訪ねました。かなりの時が流れています。門まわりの様子はすっかり変わっていてあの国宝級の高札風看板もありません。伏見寺本堂
 本堂の外には金沢の人ならたいていは知っている芋堀り藤五郎という人のニコッと笑った木像が出迎えるように立ち、金網に守られたかなり傷んでしまっている木像等身大の二天像(持国天と多門天)が守る入口は蒸し暑さからか戸が開け放たれていました。靴を脱いで上がるとすぐに現れたのは好感度上位の青年住職さんで、慣れた様子で寺の縁起やら仏像のことなど丁寧に説明してくれました。手渡されたパンフレットを見るとそこには国宝級の文字が・・・。先代か先々代の思いを引き継いだんでしょうか。
 堂内はエアコンも扇風機もありませんがそれで済む涼しさです。でも外から入ってきたぼくは汗だくです。そうとわかっていて準備してくれていたかのように置いてあったうちわをありがたく借りて扇ぎながら、持っていたタオルで額や首筋を流れる汗を拭き拭き阿弥陀様の前に座りました。昔は確か厨子に入っていたように思うのですが、今は保存のためでしょうか涼しそうなガラスケースに入っています。密教寺院らしく不動明王像や愛染明王像なども安置してあります。昔からあったはずですがこれは全然記憶にありません。
 あの十二神将像はというと、雛壇から降りて室生寺金堂みたいに本尊の前に横一列に並んでいました。ここで迂闊なことをしてしまいました。阿弥陀様に十二神将とは妙な取り合わせですね、と考えもなく住職さんに言ってしまったんです。しまった、知ったかぶりか皮肉と取られるんじゃないかしらと思っていると、青年住職さんは意に介さない様子で丁寧に、当山の開基藤五郎さんは薬師如来を祀ったのですが十二神将だけが残っています、とその由来を簡潔に語ってくれました。

 不用意な発言をしたもんでした。恥ずかしい。若い住職さんに以前訪れたときの話をしてみようかと思っていたのですが、それはもうできませんでした。(2016年7月18日  メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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