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元興寺の智光曼荼羅と瓦

 仏教公伝は552年または538年だといいます。552年というのは日本書紀に出てくる年で、538年は元興寺縁起によるものです。元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建てた法興寺が平城遷都に伴い移転してきたお寺で世界遺産にも登録されているほどの古刹ですが、仏像ファンにとっては知名度の高い仏像がないため拝観の優先度は下がってしまいます。白毫寺や元興寺の支院だった十輪院より下でしょう。また、話は全然違いますが、奈良ではオバケのことを昔はガンゴと言い元興寺に関係するということを柳田國男の「妖怪談義」で読んだことがあって、なんとなく気味が悪くて、ならまちにあるのに一度も行ったことがありません。

十輪院
 新薬師寺で薬師如来と十二神将を観たあとは、予定では大安寺へ行こうと考えていましたが、お昼ご飯に時間を掛け過ぎたので・・・というより掛かってしまって、いや掛けられてしまってというのが真相で、席に案内されるまでずいぶん待たされてしまい、三輪そうめんを食べたんですが待たされた分おいしかったわけでもなく・・・、それはともかく、その結果行き先を変えることになり、近くにあってまだ行ったことがなかった元興寺へ行くことにしました。
 ならまちの方へ歩いていき十輪院の前まで来て、ついでだから見ていこうかと思ってちょっと覗くと、御用の方は呼び鈴を押してくださいと書いてあったので、わざわざ奥から出てきてもらうのも気の毒な・・・と遠慮してしまい、ミキオ君に、ここには石仏が・・・確かあったよ、とだけ言って、そのまま通り過ぎ右へ曲がります。

元興寺
 だいたいこの辺だろうと見当をつけていたところまで来てもそれらしいお寺が見えません。通りがかりの人をミキオ君がいきなり捕まえて道を訊ねると、びっくりしたその女の人はそれでも親切に、そこですよと教えてくれました。見るとすぐ先に元興寺と書いた看板が上がっています。それほど周囲に溶け込んでいます。4時を過ぎ、辺りは少し暗くなってきているようでした。
 境内に入ってすぐにミキオ君は、癒される、と言って、来て良かったという顔をしています。元興寺には文化財が多く立派な収蔵庫もあり、創建時の建物で今も残っている極楽坊と僧坊(禅室)はともに国宝で参拝のお寺というより拝観のお寺だと思うのですが、なにかが違っていて、境内の空気はどこか癒されるところがあるようです。浄土信仰のお寺だからかも知れません。拝観料を払って本堂である極楽坊に入ります。

極楽坊
 靴を脱いで上がると、国宝のお堂は、近所の人が毎日お参りに来ているんじゃないのかなと思わせる雰囲気です。観光客ではない普通にお参りの人からも拝観料を取るんでしょうか。
 極楽坊の本尊は智光曼荼羅です。畳に正座して、まずは手を合わせて拝みます。外国人観光客が何人も来ていて腰掛イスに座っていますが、さすがにお参りしているようすはありません。仏像は拝むもんだとぼくらは決めているからお参りをしますが、そのお参りは信仰心からではなく、何百年もの間、ときには千年以上も日本人がたいせつに守り伝えてきたものに対して、そしてその誠意と信仰に対して敬意を払って、礼儀としてのお参りです。それで良いのだと思います。

智光曼荼羅
 元興寺は世界遺産になるずっと前から智光曼荼羅で知られたお寺です。その昔、奈良時代の元興寺に頼光と智光という二人の坊さんがいましたが、頼光さんが先に亡くなります。ある時、智光さんの夢に頼光さんが現れました。智光さんがそこはどこかと訊ねると頼光さんは極楽だと答えます。どうしたら極楽に行けるのかと訊いたところ、極楽を描いた絵を眺めて極楽に行きたいと願っていれば行けると頼光さんは教えました。
 こうして智光さんが夢で見た極楽の様子を描いたのが智光曼荼羅なんだそうです。いわゆる浄土変相図なんですが、プライベート仕様なので茶の間に掛けるカレンダーほどの小さな曼荼羅です。その曼荼羅は焼失し、室町時代に描きなおした正本といわれているものが現在残っているそうですが非公開で、本堂に本尊として掛けてあるのは江戸時代の写しだということです。


 元興寺は飛鳥にあった法興寺が平城遷都にともない奈良に移転してきたお寺だとはじめに書きましたが、極楽坊と禅室に法興寺のときからの瓦が今も現役で使われているんだそうです。色が褐色なので簡単に見分けがつきます。
 「ここからふりかえって古代瓦をご覧ください」と書いた札が境内の木に掛かっていると数年前に聞いたことがあったので、その木を探しますが・・・見つかりません。ミキオ君に言うと、ここにありますよ、とあっさり答えて地面を指さすから見ると、足元にプレートが埋め込まれていました。最近作ったんでしょうか。とにかく1400年以上昔の瓦です。瓦もこれだけ長持ちすれば世界遺産になります。

石仏
 本堂の横に小型の五輪塔がずらり100基以上並べてあります。元からあったものではなくいろんなところから持ってきたんでしょう。こんなにたくさんあるとなんとなく不気味です。ガンゴが・・・とまでは思いませんが。
 禅室の横には石仏が200体は超えるんじゃないかという数で並んでいます。単体で彫られたもの、二体をひとつの石に刻んだもの、如来像も菩薩像もあって、大きさも様式もばらばらで、梵字を刻んだだけのものもあり、やはり方々から集まってきたんでしょう。端からサーと見ていくといい表情をしているお地蔵さんがいくつもあります。近くでシャガやギボウシ、ヒメウツギが花を咲かせていました。

ならまち
 収蔵庫を見て外に出ました。ミキオ君は、よかったぁ癒されたぁまた来ようっと、と名残惜しそうに振り返っています。奈良に住んでいる彼は、近くまたきっと訪れるんでしょう。西に傾いた太陽がもう本堂の屋根に隠れそうになっていました。
 ぶらりぶらり、帰りの電車の時間まで夕暮のならまちを歩くことにしました。金沢にもあるような細い路地を行くと、和菓子屋の軒下に魔除の「身代わり猿」が垂れ下がっています。寿司屋の行燈に灯が入り窓ガラスに映る街灯の光がいっそう明るくなって、あたりは夕闇が濃くなっていきました。


 近鉄奈良駅でミキオ君と再会を約束して京都行の特急に乗りました。電車が地下から地上に出ると外は薄暮です。左窓際の席から外を見ると、遠く山ぎわの空はほんのり白く、朱雀門が淡いシルエットになって前から後ろへと流れていきました。よい一日でした。また来年。(2016年6月22日 メキラ・シンエモン)


写真:メキラ・シンエモン


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