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慈光院 石州の庭 

 江戸時代、大和の国に小泉藩という1万3千石の小さな藩がありました。初代藩主は賤ケ岳七本槍のひとり片桐且元の弟の片桐貞隆で、その長男の2代藩主貞昌が茶道石州流の祖、片桐石州です。小泉は加賀藩の百分の一しかない小さな藩でしたが、石州という茶人が出たことで全国に知られるようになりました。今は奈良県大和郡山市小泉町となり大和小泉と呼ばれています。


斑鳩へ行く
 10月中頃の月曜日、1年ぶりに再会したミキオ君と斑鳩の古刹めぐりに出かけました。はじめの計画は斑鳩ではなくて柳生街道でした。忍辱山円成寺からはじめて奈良市内に向かって歩くつもりだったんです。行程後半の滝坂の道で、去年の当尾のように石仏を観てまわろうという考えでした。それが9月の台風で滝坂の道は崩れてしまい復旧の目途がたたないというので行先を斑鳩に変更したのです。元々今年は滝坂の道か斑鳩のどちらかにしようと思っていたから意に反してということではありませんでした。

 去年同様にサンダーバード4号で金沢を出ました。今年は遅れませんようにと祈りながら乗った、ゴードンの操縦しないサンダーバード4号はピッタリ定刻に京都に到着しました。そのままホームを移動して奈良線の区間快速奈良行に乗り換えます。今回は京都から奈良へは近鉄ではなくてJRで行きます。斑鳩を歩くつもりならバスや近鉄よりJRが便利なんです。
 もうそろそろ奈良に着くかというころ、ミキオ君が乗ったバスが遅れているとメールしてきました。JR奈良駅2番線のホームで合流し、天王寺行大和路快速10時1分発に乗ることにしていたんです。でも、大丈夫、ミキオ君はギリギリではなく、といって余裕でというほどでもなく、間に合いました。もっとも、間に合わなくても次の電車はすぐに来るから構いませんでした。

慈光院から斑鳩へ
 斑鳩の仏像めぐりは大和小泉の慈光院からはじめます。慈光院は片桐石州が父親の菩提寺として建立した臨済宗大徳寺派のお寺です。斑鳩を訪れるほとんどの観光客は法隆寺と中宮寺だけ見て帰りますが、仏像ファンなら法輪寺とついでに法起寺(ほうきじ)にも行きます。ぼくらはさらに慈光院を加え、しかも一番はじめに慈光院を持ってきました。それにはちょっとわけがありました。

 奈良から二駅目の大和小泉で電車を降り、西口の駅前商店街を抜けると富雄川に掛かる橋を渡り川沿いの道を歩いて行きます。しばらく行くと左に溜池があって、池の向こう側少し高いところ、生い茂る樹木の切れ目から茅葺屋根が見えています。慈光院の書院です。そのまま進むと慈光院と書いた大きな案内看板がありました。でも、矢印が反対向きです。あれっ、こっちじゃなくてあっちか・・・。いつものことながら、まがるところを見落として通り過ぎていました。(この溜池は「慈光院蓮池」と呼ばれていて、石州は書院の庭の一部と考えていたそうです。ということを、帰ってから見た慈光院のHPで知りました。今回も道を間違えてしまったという、いつもどこかなにか抜けてしまうぼくらのボーとした性格が見せてくれた池から望む慈光院の書院でした。)

 引き返して信号を右へまがり次の信号も右へまがって少し歩くと右手に慈光院へあがる参道の坂があり、見上げると築地が見えていました。参道を登り「一之門」と書かれた木札が掛る簡素な門を入ると、そこは茶室の露地の空気でした。

慈光院
 茅葺二層屋根の山門を潜りなかに入ります。玄関にしゃがんで靴を脱いでいる背中に、いらっしゃいませ、という声が響きました。振り向くと受付の女の子でした。黒縁の眼鏡が似合うその子に払った拝観料は1000円です。高くはありません。茶代込みです。慈光院は茶人片桐石州のお寺だから書院で石州の作った庭を眺めて茶をいただくのです。
 お茶をお持ちいたしますので、どうぞ、あちらの書院でお待ちください、と受付の子に案内されて貰ったパンフレットには懐紙が挟まっていました。茶の作法なんて習ったことはありませんが、それが菓子を取るのに使う懐紙だということぐらいはわかります。

 書院への廊下には禅寺らしく韋駄天の小さな立像が壁の棚に安置してありました。書院の障子が開け放たれていて「方丈」と書いた扁額を揚げた本堂が見えます。まだ新しい建物みたいでした。パンフレットをみると30数年前に建て替えられていました。本尊は禅宗だからもちろん釈迦如来ですが両脇は石州と開山禅師の木像です。
 ぼくらは広間で茶をいただくのですが、書院にはちゃんとした茶室がふたつ付いています。二畳台目と三畳です。書院もふたつの茶室も石州のころのもので国指定の重要文化財になっています。

石州の庭
 ぼくらのほかに客はいません。茶の前に出る菓子が運ばれてくるまでしばらく掛かりそうです。リュックをおろすと庭を眺めてくつろぎます。禅宗寺院の庭ながら禅寺らしさはなく、丸くお饅頭型に刈り込まれた五月と小さな庭石が置かれた茶席の庭です。うしろに見える茅葺屋根の山門が灌木の刈り込みによくなじんで落ち着いた雰囲気です。これが「わび」の気分というもんだろうか。

 庭は丘の上だから東側は開けた空間で、広葉樹の樹冠のむこうに遠くの山並みが少し霞んで見えます。道を間違えた溜池も右に見えていました。(広葉樹は慈光院蓮池から見えていた樹木ですが、お寺のHPによると周囲の土地の開発が進んで、のどかな田園風景が広がっていた庭からの景色がすっかり変わってしまったため、慈光院が庭からの景観を改善しようとわざわざ植えたものでした。わずかに何かの建物の端が見えていますが、やがて木がもっと成長すれば、茶席の庭に要らないものはいずれ隠れてしまいます。)
 ミキオ君は書院と庭の雰囲気が気に入ったようで、いいところだ、メインはここじゃないのにここだけでもう満足してしまった、法隆寺がつまらなくなりそうだ、と言っています。実はミキオ君には、先に法隆寺を観てしまうとほかがつまらなくなってしまうから、こっちから行って法隆寺を最後にするんだよ、と慈光院からまわりはじめるわけを話していたんです。

二度目の慈光院
 縁側に座り庭を眺めていると懐かしさがこみ上げてきました。小泉の町、途中の道、潜ってきた門、靴を脱いだ玄関、本堂の釈迦如来すら、なにひとつ記憶にありませんが、この庭ははっきりと憶えています。慈光院は二度目でした。遠い昔のことでした。
 ぼくが初めて仏像めぐりに出掛けたのが斑鳩です。法隆寺、法輪寺、法起寺という聖徳太子ゆかりの寺を最初に訪れるのが良いように思ったのです。でも、奈良へ行くのは初めてで、旅行慣れしていないからどうやって行けばいいのかわかりませんでした。本屋で方面別にシリーズになっている旅行ガイドのなかから奈良と京都の2冊を買いました。その本に大和小泉駅から歩きはじめて慈光院、法起寺、法輪寺、法隆寺を順にめぐるコースが出ていました。
 みっつの古い寺のみっつの塔に導かれて田園風景のなかを歩いていく自分の姿を思い浮かべたら、二十歳だったぼくは、無性にその道を歩いてみたくなり、これでいこうと決めました。あのころの慈光院の周りは田んぼと畑で、法隆寺までの道も田園風景のなかでした。つまり・・・、そうなんです、今回の斑鳩めぐりはあの時の再現でもあったのです。

菓子と茶
 菓子がきました。毛氈の方へどうぞ、と運んできた年配の女の人に促されて正面に庭が見えるところへ、おっちゃんして座ります。どうぞ楽にしてあぐらをかいて座ってください、と言われてそうしました。(おっちゃんは金沢言葉で正座のこと。)
 菓子は片桐家の家紋(「割羽根ちがい」というそうです。)をかたどった干菓子で、白と紅がひとつずつ小さな器に載っています。女の人は、パンフレットに挟んであった懐紙にお菓子を取ってくださいね、と念を押します。そうだ忘れていました、懐紙をリュックの上に置いたままでした。

 懐紙を取りに行きながら女の人に話しかけてみました。静かですね、ぼくらだけですか。おふたりが今日初めてのお客さんですよ。今日は静かで落ち着きます、前に来たときはたくさんの人でした。あら、そうでしたか、では今日はゆっくりしていってください、あとで履物を出しておくので庭に降りてご覧ください。
 そう言うと女の人は忙しそうに下がっていきました。ぼくは白の菓子を懐紙に取りミキオ君は紅を取りました。ただの落雁かと思った菓子には餡が入っていてちょうどよい甘さでした。


 菓子を食べ終わったころ茶が運ばれてきて膝の前に置かれました。おっちゃんに座りなおします。頂戴いたします。どうぞごゆっくり。
 女の人が下がると、お茶の作法なんて知らないよ、茶碗を三回まわして・・・、とミキオ君は手に持った茶碗を眺めてちょっと困惑しています。席で亭主がいて点てた茶でもないし・・・、ぼくはミキオ君に、ただ飲めばいいよ、と言うと、ぐぅーと飲み干しました。(2018年10月20日 メキラ・シンエモン)

次はコスモスの花に囲まれた法起寺に行きます。

写真:メキラ・シンエモン


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