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当尾 大門仏谷の磨崖仏

 きのうまでの雨でできた水たまりがまだ残る山道を、左へ緩やかにまがりながらくだっていくと谷側の傍らに道しるべがありました。丸太の杭に取り付けられた三枚の板きれが、それぞれ別の方向を指しています。そのまま進めば「加茂青年山の家」、来た道を戻れば「浄瑠璃寺」です。そして谷の方を指している板の文字は「大門仏谷(だいもんほとけだに)」となっています。谷を挟んだ向かい側の斜面に阿弥陀如来の大きな磨崖仏があります。でも、ここからは見えません。足元を見れば下におりていく道があるのか、草に人の通ったらしい跡がぼんやりとついています。この辺りは東大寺から北東方向へ、山を一つ越えたところにある京都府木津川市加茂町で、当尾(とおの)と呼ばれています。


当尾の石仏
 台風21号が各地に雨と風の大変な被害をもたらして去ったあとの、秋晴れの青い空が気持ちよく高い日、いつものミキオ君と当尾の石仏巡りに出かけました。ぼくは40年ぶりです。当尾にある古刹、岩船寺と浄瑠璃寺のあいだの山野には平安時代の藤原期から南北朝時代にかけて彫られたという石仏が点在します。石仏といえば、お地蔵さん、と通り相場は決まっていますが、この辺りの石仏は堂々とした阿弥陀如来の磨崖仏が多く、昔読んだ本に、磨崖仏というのは本来、密教・修験道といった山岳仏教の中から生まれたもので、当尾の磨崖仏は奈良の大伽藍の仏教に挑戦して造られた、というようなことが書いてありました。それが正しいのかどうかは知りませんが、奈良からそれほど遠くない山の中で見る磨崖仏には、都の仏教とは相容れない信仰あるいは異なる価値観の表現が感じられるのは確かです。そして立派なお堂に安置された巧みに彫られた仏像にはない魅力、親しみやすさと厳しさを兼ね備えた不思議な感覚を見るおもしろさがあります。

岩船寺から浄瑠璃寺へ
三体地蔵磨崖仏 近鉄奈良駅から乗った奈良交通の浄瑠璃寺行きのバスを終点で降り、コミュニティーバスに乗り換えて岩船寺へ行きます。岩船寺から歩き始めようという魂胆です。当尾に入るには京都側のJR加茂駅からバス、あるいは奈良側のJR奈良駅か近鉄奈良駅からバスという二通りの方法があります。奈良側から入るとスタート地点は、普通、浄瑠璃寺または岩船寺ですが、どちらから歩き始めてもたいして変わりはないというのは、石仏は一本道に都合よく並んでいてはくれないからで、どちらから歩き始めても同じ道を行ったり来たりすることになります。違いはひとつだけ、岩船寺からだと浄瑠璃寺まで道は概ねくだりの連続となることです。今日ぼくらが近鉄奈良駅からバスに乗ったのは、それが金沢からのぼくと奈良在住のミキオ君には一番便利だからで、岩船寺から歩くことにしたのはミキオ君の案でした。

 岩船寺の参道入口前で、左右に分かれている道のどちらへ行けば良いのかを、手にした案内図で慎重に確認してから出発です。この案内図はコミュニティーバスを降りたときに、バス停前にあるなにを売っているのかよくわからない店の、なにを言っているのかよくわからないことをベラベラとよくしゃべる婆さんが、頼みもしないのに親切にもくれたもので「ひと足のばして もっと京都 新発見 当尾石仏の里ウォーキング」などと書いてあって、どうもJR西日本が作った案内図らしく、JR加茂駅からの往復コースが描いてありました。ぼくらは近鉄奈良駅からでしたが、どうせ歩く道は同じだし、せっかくだから、あらかじめ用意してきた地図は仕舞ったままにして、この案内図を頼りに歩きます。

ミロクの辻
ミロクの辻 最初に出会う石仏は「三体地蔵磨崖仏」です。大きな岩の右上の端っこ、下から見上げる位置に彫られています。三体のかわいいサイズのお地蔵さんが、こけしをみっつ並べたみたいに行儀よく立っています。まんなかの像が左右のものよりやや大きくて、三体とも地蔵菩薩なのに如来三尊像のような構図です。
 道なりに進んでいくと「ミロクの辻」という道が分かれているところに出ます。大きな岩に人の背丈ほどの高さの如来像が線刻で描かれています。線がかなり薄れてしまっていますが弥勒仏だそうです(だからここがミロクの辻なんでしょう)。雰囲気として、室生の入り口にある大野寺弥勒磨崖仏を矮小化したような印象です。作者は、銘があって、中国の宋から帰化した石大工だといいます。(石大工の名前は伊末行。)

 ミロクの辻を右に曲がりその先へ行こうとしたら、通行止めの看板が出ていました。ミキオ君は、行けないんじゃないの、と言いますが、見極めの早いミキオ君とは逆にぼくは諦めが悪いから、まあ、行ってみるさ、と歩き出したところへ、向こうからトコトコと夫婦らしい二人連れが歩いてきて、途中で崩れていますよ、と道路情報を提供してくれるじゃないですか。ぼくが、車は通れないということだろう、と言って進んで行くと、あまり行かないうちに左側の山の斜面が崩れ土砂が道に溢れていました。台風の仕業みたいです。幅1メートル高さ30センチほど積もって道を塞ぐ土砂の上を歩いて先へ進みました。進まなければ「わらい仏」に会えません。

わらい仏あるいはサンタイ
 天気が良くて気温も高く日が差すところでは汗がにじんでくるほどです。でも、舗装してない道はところどころぬかるんでいるし、石敷きになっているところも濡れているから、うっかりすると滑って転びそうです。足元に注意し汗を拭いながらしばらく行くと大きくカーブしたくだり坂の途中に「一願不動」とか「岩船藪中不動磨崖仏」とか呼ばれている不動明王の磨崖仏があり、さらに坂を下の道までおりて左へ少し進んだところに「わらい仏(わらいぼとけ)」の通り名で知られる、当尾の石仏中の一番人気「岩船阿弥陀三尊磨崖仏」が左側の少し高い位置に見えます。すぐ前まで登っていけるように段々が付けてありますが、この段々は、以前はなかったように思います。
岩船阿弥陀三尊磨崖仏 わらい仏と呼ばれているのは、中尊の阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の両脇侍の顔が笑っているように見えるから、と言われていますが、見えるどころか、もう、はっきりニコニコ笑っています。この顔は一度見たら忘れられない。中尊は定印を結んだ手がかわいらしく、彫ってある岩の上部がベレー帽かハンチングキャップみたいな形をしていて、それが少し張り出していているから屋根代わりなって雨が直接当たらないのか石肌も白くとてもきれいで、山の中で見ているのがなんだかとても不思議な気がします。「サンタイ」という名で呼ばれることもあるみたいで、いくつも通称を持つなんて、800年の時を越えて当代の人気者です。
 ところで、この辺りの岩は花崗岩でとても硬いからノミでサクサク削って彫るというわけにはいかず、タガネをあてて深く彫るのも微妙な線を出すのもかなり難しいのに、この磨崖仏はしなやかな線で表情を出し肉厚にまあるく彫られています。中尊が80センチほどで小ぶりながら当尾の石仏中、彫刻としてもっとも完成度が高いと言われているのはもっともなことです。作者は、やはり銘があって、ミロクの辻の弥勒磨崖仏と同じだそうです。こんな石仏を彫った人はどんな人物だったんでしょう。やっぱりいつもニコニコ笑っていたのでしょうか。

 わらい仏を飽きるほど観たら来た道を戻って、さっきおりてきた坂の下を通りすぎてそのまま進んでいけば「唐臼の壺(からすのつぼ)」というところに出るはずです。「阿弥陀・地蔵二面磨崖仏」が待っています。ぼくが当尾で一番見たいと思う石仏です。つづく・・・。(2017年10月31日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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