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小惑星B612の小さな王子さま つづきの続き ―砂漠の井戸―

 サン=テグジュペリの「小さな王子さま」をぼくがどう読んだか、読書感想文だとか夏休みの宿題だとか言いながら、前回と前々回の2回に分けて書きました。その最後に「砂漠の井戸のエピソード」は象徴あるいは比喩的表現が多いのと、この世の物語ではない気がするから、あえて触れなかったと言い訳して終わりました。でも、ここはとても重要なエピソードだし、この物語をどう読んだのか、そのすべてを覚えておきたくなったから、つづきの続きとして書くことにします。


砂漠の水
 砂漠に不時着した飛行機の乗員の物語といえば・・・、やっぱり、20世紀FOXの映画「THE FLIGHT OF THE PHOENIX」でしょうね。砂漠に不時着した中型輸送機の乗員乗客が、破損したレシプロ双発双胴の機体を単発機に造りあげて砂漠を脱出するという話です。オリジナル版(邦題「飛べ!フェニックス」1965年、)とリメイク版(邦題「フライト オブ フェニックス」2004年)があって、オリジナル版はサハラ砂漠に「フェアチャイルド C−82 パケット」が不時着し、リメイク版ではC−82の後継機として造られた「フェアチャイルド C−119 ボックスカー」がモンゴルの砂漠に不時着します。どちらも飛行機好きにはたまらない映画でしたねぇ・・・(しみじみ)。
 この映画でもそうでしたが、砂漠が舞台になる物語では必ず「水」が、そこに描かれる人間ドラマの主要な動機のひとつになります。その「水」は喉の渇きが求める「水」で、肉体の生命維持にとって不可欠な物質としての「水」です。砂漠の物語で「水」といえば、それ以外のどんな意味も普通は持ちません。
 それが、やはり砂漠に不時着したパイロットの物語なのに「小さな王子さま」では、砂漠の「水」はまったく違った意味を持っています。喉の渇きが求める「水」が、心の渇きが求める「水」になり、それが「たいせつなことは目には見えない」という、キツネが王子さまに教えた秘密に繋がり、そしてそれは王子さまからパイロットへと引き継がれます。王子さまの「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね……」(河野万里子訳)という言葉から、それは始まります。・・・この言葉、なにか神秘的な雰囲気があり、どこか詩的な響きがありますねぇ・・・(しみじみ)。
 ちょっと待った、やたらひとりでしみじみしているみたいだけど、それを言うためにわざわざ「飛べ!フィリックス」を持ち出したの、フェアチャ・・・なんとかという飛行機なんてだれも知らないし、ほんと飛行機から離れられない人だねぇ・・・。そう言わないで、フィリックスじゃなくてフェニックスですよ、黒猫じゃなくて不死鳥。それはいいとして、わざわざ飛行機を持ち出したのにはちゃんとわけがあります。それは、心の中で(犬小屋の屋根でP−40のパイロットになった夢を見ている)スヌーピーみたいに、飛行帽とゴーグルを着けてマフラーをなびかせ飛行機で空を飛んでいる気分になって読んでこそ、まっとうな読み方というもんだ、というのが、ぼくのサン=テグジュペリを読むときの流儀です。きっとそんな気分で書いたのに違いないんです。

砂漠が美しいのは、どこかに井戸をひとつかくしているからだね
 キツネの話のあと、線路のポイントを切り替える鉄道員の話があって、次に喉の渇きを癒す薬を売っている物売りの話があります。どちらもそのまま読めばなんのことだか・・・、という短いエピソードですが、こどもらしい無邪気な疑問の底に潜む、生きるためにせわしなく動き回るおとなへの本質的な「どうして」が、キラリと光っています。そしてこのあとに「砂漠の井戸のエピソード」がきます。

 王子さまから物売りの話を聞いた日、パイロットはまだ愛機の修理が終わっていないのに最後の水を飲み干してしまいます。これで終わりだ、死ぬんだと沈んでいるパイロットに、王子さまはなおもキツネの話をします。さすがにパイロットも堪りかねて切れてしまいます。そんなパイロットの心を見透かしたように王子さまは、ぼくだってのどが渇いているよ、井戸を探しに行こうよ、と誘います。パイロットは呆れてしまいますが、ふたりで井戸を探して砂漠へと歩き出しました。
 何時間歩いたか、夜になって星空を見上げてふたりは話します。
「きみも、のどが渇くのかい?」(山崎庸一郎訳)
「水は、心にもいいのかもしれないね……」(河野万里子訳)パイロットにはなんのことか、意味が分かりません。
「星空が美しいのは、見えない一輪の花があるからだよ……」(山崎庸一郎訳)
「そうだね」どうも気のない返事です。
「砂漠って、美しいね」(河野万里子訳)パイロットは砂漠が好きで、なにもない砂漠になにかが輝いていると感じていたから、この言葉に反応します。
「砂漠が美しいのは」「どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね……」(河野万里子訳)それを聞いてパイロットは、こどものころ住んでいた古い家のことを思い出し、砂漠が輝いているわけを悟ります。
「そうだよ」「家でも、星空でも、砂漠でも、その美しさを生み出しているものは目には見えないんだ!」(山崎庸一郎訳)
「あなたもぼくのキツネとおなじ意見だなんて、うれしいな」(山崎庸一郎訳)

 そうのうち眠ってしまった王子さまを、壊れそうな宝物のように思って抱きかかえ、胸がいっぱいになったパイロットは、砂漠を歩きながら思います。
「ここに見えているものは抜け殻にすぎない。いちばん重要なものは目には見えないのだ……」(山崎庸一郎訳)
「眠っている王子さまをみて、こんなに胸がいっぱいになるのは、王子さまに、一輪の花への誠実さがあるからだ。眠っていてもなおランプの炎のように光を放っているのは、そのバラの花の面影だ……」(河野万里子訳)
そしてパイロットは、いっそう王子さまが壊れやすく感じられて、守ってやらないといけないんだ、という気持ちになります。

 なんだかジーンときますね。生涯にひとりでもいい、こんな想いになれる人に出会えたら、すてきな人生ですね。きっとその人も同じ想いで、その想いをずっと忘れないなら、それは本当の心だから、その人もずっと同じ想いでいてくれます。
 どうすればそんな人に出会えるの。そうですね、それは・・・。でも、出会いたいと強く思えば、そして思い続ければ、きっと・・・ね。

 こうして王子さまがキツネから教えられた秘密をパイロットが受け取って・・・、いや、そうじゃありませんね、遠い昔に忘れてしまっていたことを思い出したんです。

この水が飲みたかったんだ
 パイロットは夜明けに井戸を見つけます。その井戸は、映画「アラビアのロレンス」に出てくるような、砂に穴を掘っただけの井戸ではなくて、南フランスの田舎の村にあるような井戸でした。でしたといっても、ぼくがそんな井戸を見たことあるはずはないので、挿絵を見れば・・・、なるほど、その昔、加賀の松任というところの千代という女の人が、朝顔につるべ取られてもらい水したのもこんな感じの井戸だったのかと思えるほど、桶も滑車もつるべも、ちゃんとそろっています。だから、砂漠にあるはずもない井戸です。
 つまり、目には見えない井戸だということです。それが、いちばん重要なものは目には見えないことを知ったパイロットには見えたんでしょうね。

 つるべを引いて錆びた滑車の軋む音は歌っているようだと喜んだ王子さまが水を汲み上げようとすると、きみには重すぎてむりだよ、とパイロットは自分が桶を取って水を汲みます。
 すると、「この水が飲みたかったんだ」「ぼくにちょうだい……」(河野万里子訳)と、王子さまは嬉しそうにねだります。王子さまがなにを探していたのかがわかったパイロットが、王子さまの口もとに桶を持っていくと、王子さまは目をつぶって飲みます。王子さまはパイロットの汲んでくれる井戸の水が飲みたかったんです。
 そしてパイロットは、こう思います。
「それは、まるで祝祭の喜びのように、心にしみる水だった。からだが必要とするのとは、またまったくべつの水だった。星空の下を歩き、滑車の歌を聞き、僕が力仕事をして得た水だ。だからこそ、それは贈り物にも似た、心にいい水なのだ。子どものころの、クリスマスがよみがえってくる。ツリーを飾るたくさんのロウソクの光、真夜中のミサの音楽、みんなの笑顔のやさしさ、それらすべてが、僕の受けとる贈り物を、光り輝かせていたではないか。」(河野万里子訳)
 パイロットも井戸の水を飲むと、夜明けの砂漠が蜜の色に染まる光景に心が満たされて、どうしてあんなに苦しんだんだろう、そんな必要なかったのに・・・と、気持ちが楽になったようでした。

ぼくの花、ぼくはあの花に責任があるんだ
 そのあとパイロットは王子さまに促されて、約束していたヒツジに付ける口輪を描きますが、急にそんなことを言い出したのはなぜだろと胸騒ぎがして、なにか隠していないかい、と王子さまに訊いてみます。
 王子さまは答える代わりに、あすが地球に落ちてきてちょうど1年になるんだけど、その落ちてきた場所がこの近くなんだ、と偶然通りがかったのではなかったことを明かします。パイロットは、じゃあ、1年目の記念日に戻ってきたということなの、と更に訊きますが、王子さまはやはりちゃんと答えません。
 パイロットが、なんだか不安だなぁ、と言って、なおも探ろうとしますが、王子さまは、機械の修理をしなくちゃいけないんでしょ、ここで待っているから、あすの夕方また来てね、と心配することはなにもないよと言うように、はぐらかしてしまいます。でも、パイロットはすっきりしません。1年目の記念日になにをするつもりなんだろう・・・と気がかりです。

 次の日の夕方、飛行機の修理が終わったパイロットが戻って来ると、王子さまは崩れかけた古い壁の上にすわり、だれかと話しているようです。近づいてよく見ると、壁の下で鎌首を持ち上げている黄色のヘビと話していたのでした。
 ヘビとなにをしていたのかと問いただそうとするパイロットに、王子さまは、あの水のお礼だよ、と言い添えて贈り物をし、その場を凌ぎます。そして気づかれないよう夜になってからヘビのところへ行きます。気づいたパイロットはあとを追い、王子さまを見つけますが・・・、ここから先は・・・、悲しすぎます。

 「ね……ぼくの花……ぼくはあの花に責任があるんだ!それにあの花、ほんとうに弱いんだもの!ものも知らないし、世界から身を守るのに、なんの役にも立たない四つのトゲしか持ってないし……」(河野万里子訳)と王子さまは、このまま行かせてとパイロットに頼むように、あるいはこれから自分の身に起きることの怖さを克服しようとして自分に言い聞かせるように言い、それから「うん……そういうこと……」(河野万里子訳)と、準備はできたからというように言って、自分の星に帰っていきました。
 別れの場面を、王子さまの最後の言葉だけ書いて、王子さまを星に帰してしまいました。でも、いいでしょう、それでも。わかりますよね・・・、なぜだか。・・・そういうことです。

 心のきずなをつくりあげた人と別れることは、それがどれだけ悲しく切なくても、すべて消えてなくなるわけではありません。悲しみはいずれ薄らいでいき、たいせつなことは色褪せることなく残ります。キツネは麦畑を見て王子さまを思い出し、パイロットは星空を見上げて王子さまを思いやります。


 王子さまは(パイロットがそうに違いないと勝手にそう決めつけた)小惑星B612に帰ったし、6年経ってパイロットがなにを思ってこの物語を語ったかは前回書いたから、これでぼくがサン=テグジュペリの「小さな王子さま」を、どう読んだかを覚えておくために書いておくことは、もうなんにもありません。
 と思ったら、ひとつ残っていました。王子さまが星に帰った日、パイロットへ贈ったプレゼント、それはパイロットが大好きだった、王子さまの笑い声、でした。でも、笑い声って、どんな声だったんでしょう。ワッハハではないだろうしキャッキャッでもウフフでもなく・・・、アハハだったんでしょうか、いや、やっぱり違うね。星空を見上げれば、聞こえて・・・。(2017年8月31日 メキラ・シンエモン)




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