2-43

「広重」展 石川県立美術館 若冲のつぎは人気の浮世絵師でした

 江戸風景版画の最高傑作は広重の「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」です。と言っていいのかどうか、よくわかりませんが、この絵を観に、ひと月前「若冲と光瑶」展を観た石川県立美術館で開催の「広重」展へ行ったのは、残暑と言うには残暑すぎる8月最後の日曜日でした。夏に雪の絵なんて・・・、今年はあんまりいつまでも暑いから雪景色の絵でも見て涼もうか、というんじゃありません。以前テレビで観ていい絵だったので、いつかこの目で実物を観てみたいと思っていたんです。展覧会の最後の日でした。


風景版画
 浮世絵という版画には日本人の感性が凝縮されているような気がします。特に裕福でもない普通の人たちが買っていたんだから、すごく庶民的な絵画ですが、それが高い芸術性をもっているなんて、日本はやっぱり不思議の国です。
 ぼくは浮世絵の人物画はどれもこれもみんな同じ顔に見えてしまうから、なにか懐かしいものを感じる風景画の方を好みます。となれば葛飾北斎と歌川広重ですが、どちらも自然と対決しないで共に生きる日本人らしさが現れているような気がします。画力は北斎の方が上みたいですが、北斎はデザイン的でどこかわざとらしさを感じさせるのに比べ、広重はとても軽快でリアル、ユーモアがあって抒情的、なんの説明も要らない、見ればだれでもすぐにわかるスナップショットのようです。

東海道五十三次
 四季が美しく変化する穏やかな自然のなかで暮らすぼくら日本人にとって旅は、今も昔もただの苦しい長距離移動ではなくて心をウキウキさせてくれるイベントです。
 江戸時代後期は旅行ブームだったといいますが、それがどんなものだったのか、今のような気軽で手軽な感覚ではなくて、むしろ憧れのようなものだったんだろうと思います。そして揃物(そろいもの)と呼ばれた風景版画の連作、すなわち旅のシリーズものが江戸の人々の旅情をかきたてたのは間違いなくそうだったのだと思います。

 東海道五十三次は風景版画の中でも人気のテーマだったみたいです。北斎の描いた東海道五十三次が先にあって広重は後発でした。それが大ヒットして一気に名前が知られるようになった広重は、方々の版元から依頼を受けてたくさんの東海道五十三次シリーズを描いています。ぼくらが普通に知っているのは「保永堂版(ほえいどうばん)」と呼ばれている広重の出世作となった一番初めに描いたシリーズです。解説を読んでみると概ねそういうことのようです。知りませんでした。今回の展覧会では「保永堂版」のすべての絵と、ほかの版からも一部の絵が来ていました。

 ゆっくり観たいところですが、でも、そうはいかないんです。ぼくは先週観音院の四万六千日へ行ってきてからずっと風邪気味です。行くのは治ってからにしたらと女房が言うので、そうしようと思っていたら、完全に良くならないうちにとうとう展覧会最終日になってしまって、まあいいだろうと、こっそり出かけてきたんです。だから冷房の効いた場所に長くはいられません。一旦外へ出て回復したらまた入るなんてことはできないし、絵の数は150点もあります。ゆっくり全部は観ていられないから、観る順番には拘らずに、これはと思った絵に集中しないといけません。

保永堂版 東海道五拾三次
 一番目の展示室は「保永堂版 東海道五拾三次」です。展示はやっぱり「日本橋 朝之景」からはじまります。ぼくが観たい蒲原(かんばら)は静岡市だから東海道を東京から四分の一ほど行ったあたりですが、まあ、はじめは順に観て行くことにします。

 最終日のお昼ごろなので人は多くありません。列はゆっくり進みます。A4よりちょっと大きいくらいの横長の絵だから、できるだけ近づいて観る方がよいでしょう。目の前にある1枚を観て列が前に進むと次の1枚を観ます。3番目の「川崎 六郷渡舟」は2枚あって、全体は同じ構図で細部の描写や色が異なっています。こういうのを「初摺(しょずり)」と「変わり図」というそうですが、これは描き直しです。つまり初版とあとから出した版では絵に違いがあったわけです。細部のわずかな違いですが雰囲気はがらりと変わります。「変わり図」の方がいい感じです。

 こんなふうに一枚一枚観ていたんじゃどれだけ時間が掛かるやら、やっぱり列を離れることにしようと思います。静岡へ行くのに東京駅で東海道本線の鈍行に乗ってから時間がないことに気が付いて、新横浜駅で東海道新幹線に乗り換えるようなもんです。(蒲原へは静岡まで行ってまた鈍行に乗り換えて後戻りしないといけません。どっちが早いのかは知りません。)

 っと、監視員の男性がいつのまにかこっちに近づいて来ています。厳つい顔しています。ぼくが列から外れようとしているそぶりに気付いて、列を乱すなと言いに来たのかと思ったら、声を掛けた相手はすぐ前にいる若い女性のふたり組でした。この部屋は声が響きます、小さな声で話してください、と丁寧ながらややきつい調子の声で言います。
 女の子ふたりは、あらっ、といった感じで驚いています。すぐ後ろでぼくも、そんな気になるような声の大きさでもないけどなぁ、と思いました。ちょっとかわいい子たちだったからそう思ったんじゃなくて、ふたりの会話は、ここ行った、ここ知ってる、なにこれっ、といったようなことばかりで、絵を論じているわけじゃないから、話声が聞こえていても全然気にならなかったんです。本人たちもそんな大きな声を出していたつもりはないみたいで、そのあとも話しながら見ています。そして、唇に人差指を立てて、しーっとやって、クスッと笑っていました。

蒲原 夜之雪
 蒲原の雪景色はまだまだ先です。一心に絵を見ている人たちの後ろに立って頭と頭の間から垣間見ながら進んで行きます。戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原と過ぎて箱根です。まるでお正月の箱根駅伝の中継です。三島、沼津、さらに進んで蒲原まで来たら、うまい具合に絵の前にいる人はいません。

 ああ、ほんとにいい絵です。雪を載せて連なる屋根、遠くの雪山、雪についた窪んだ足跡、背をまるめて雪のなかを左と右に遠ざかる人々、音のない白い空間、いい感じです。それが夜の雪景色なんだから・・・、まったくいいセンスです。
 でも、蒲原って、海辺ではないようですが、こんなに雪が積もるんでしょうかね・・・、つまらんことを思ってしまった・・・、でも、やっぱり北陸の雪景色とはどこかちがう、静岡あたりではこんな風に雪が降ったんでしょうか。

 そのあとは行きつ戻りつしてこれはと思う絵を中心に観ていました。「鞠子(まりこ) 名物茶店」がやっぱりいいですね。ほかには「四日市 三重川」と「庄野 白雨(はくう)」がなんとも言えないすばらしさです。考えてみると、普通に名作傑作と言われている絵ばかり感心して観ていたんだからぼくも普通の人です。

唐崎の松
 東海道五十三次のシリーズは「保永堂版」のほかに「隷書版」「行書版」「有田屋版」のなかから何枚かが来ていました。絵はこっちの方がじょうずみたいですが、広重らしさの気分は「保永堂版」が一番出ているように思えます。わずかな点数の絵を見ただけでよく知りもしないのに言うのは、忸怩(じくじ)たるものがありますが、広重の情景描写の才能はその最初の作品でもっとも純粋に開花しているようです。

 そのほか狂歌を書き添えた東海道のシリーズ、人物を中心に描いた東海道のシリーズが展示されていました。縦長に描いた東海道五十三次のシリーズもあります。東海道以外の絵もたくさん出ていて、金沢と能登の厳門を描いた絵には比較に今の風景を撮った写真まで並べてあります。どれもこれもおもしろそうで・・・、ああ、一枚一枚ゆっくり観たいけど・・・、と残念に思いながら流すように観ていって、松の木を大きく描いた1枚の前で足が止まりました。どこかで見たような・・・。「近江八景之内 唐崎夜雨」と書いてあります。
 この絵の松は兼六園の霞ケ池に枝を張り出し、冬の雪つりが優美なあの「唐崎の松」の親族の松です。姿がそっくりです。親か兄弟かもしれません。松の木に親だの兄弟だのって、ちょっと似ているからってそんなデタラメを言って、そんなわけが・・・、ないと思ったでしょうが、そんなわけあるんですよ、これが。
 兼六園の「唐崎の松」は13代藩主の斉泰(なりやす)さんが琵琶湖畔の唐崎からクロマツの種子を取り寄せて育てた松なんです。だからあり得ないことではないんです。ちなみに解説にはそういうことはなにも書いてありません。この絵も名作です。

ゴッホの広重
 こうして観てまわって最後の展示室の一番奥まできたら、そこにゴッホの模写がありました。ゴッホやモネなど印象派の画家が浮世絵に入れ込んでいたというのはよく知られている話です。
 
四方から見ることができるガラスケースにゴッホの模写と広重のオリジナルが並べてあります。絵の手前にはゴッホの広重模写を紹介したなにかの本がページを開いておいてありますが細かい字で読めません。いかにも、ご参考にどうぞ、といった展示です。模写は「名所江戸百景 大橋あたりの夕立」と「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」の2枚です。

 これがそうなの、本物なの、模造品か・・・、どうもパットしない感じでした。構図はもちろんそっくりで色のぼかし具合も似ています。大きさもほぼ同じです。でも、表現方法を真似ていても印象はまったく異なります。ゴッホの絵に情緒はなくどこか重い雰囲気で広重のあの透明感のある軽快さが見えません。 油絵だからこうなるんでしょうか。前に写真で見たときはそこまで思わなかったのに、見た写真が小さかったからでしょうか。それともこれがゴッホの観た広重だったんでしょうか。いずれにしても模写をじっと観ていたら、このすごい版画がたくさん摺られて、町で、庶民に、安い値段で、普通に売られていたのか・・・日本という国はおもしろい、とゴッホが思ったかどうかは知りませんが、そんな気分が、模写をしているゴッホの気持のどこかに浮かんでいたような気がしました。


 外へ出れば、まだ夏のままの太陽が冷えたぼくの背中をほどよく暖めてくれます、・・・なんて気取って言っている場合ではなくて、出た瞬間に、ああ暑いっ、です。強い日差しを避けて、美術館の裏へまわって中村記念美術館の方へおりていく夏木立のなかの坂をくだって帰ることにします。木々の葉が重なり合って日の光を遮り、段になって落ちる滝の音が涼しげです。高い木の上で夏の終わりに出る蝉が、ジュクジュクジュクゥオォーシツクツクオーシツクツクと鳴きはじめ、ひとしきり鳴いて、ツクヨーシィツクヨーシィツクヨォーシィィ・・・と鳴きやみました。そしてぼくは、もう少し展覧会の余韻に浸っていてもいいみたいです。(2018年9月1日 メキラ・シンエモン)



 ホーム 目次 前のページ 次のページ

 ご意見ご感想などをお聞かせください。メールはこちらへお寄せください。お待ちしています。