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東寺の両界曼荼羅と兜跋毘沙門天像

 戒壇堂を一緒に観た友人とは去年5月に東寺を訪れていました。二人で仏像を観に出かけたのはこのときがはじめてでした。そのときの様子を彼に話してもらうことにします。ぼくはシンさんと呼ばれています。



 部屋の壁に貼ってある両界曼荼羅を眺めながら、あの日の東寺を想い起こしてみることにする。

近鉄京都駅
 金沢からサンダーバードで来るシンさんとは近鉄京都駅で待ち合わせた。京都駅から東寺へは歩いても行ける距離だが近鉄で行くことにしていた。
 切符売り場でどちらが先にということもなく見つけて、まず自分が、お久しぶりです、と声をかけた。シンさんは、お久しぶり元気だった、と返してきたが、嬉しさが顔に出てしまうのがきまり悪いのか照れ笑していた。自分も同じだった。わずか2ヶ月ぶりなのに、もう長いこと会っていなかったように思えた。

東寺
 東寺と書かれた大きな提灯が両脇に下がる南大門から入る。正面には堂々とした桃山建築の金堂が見えていた。朝からの雨は上がっていたものの蒸し暑く、駅から500mほど歩いてきただけなのにもう汗ばんでいた。
 春期特別公開の期間で金堂と講堂のほかに五重塔、宝物館なども見ることができる拝観券を買うと、シンさんは近くのベンチに腰を下ろし、金沢は雨でね、こっちはどうかと思っていたんだけど、降っていないからいいけど暑いね、と言って脱いだ上着をデイパックに押し込み明るい格子柄の半袖ボタンダウン姿になった。自分は家を出るときから黒のポロシャツだった。

金堂
東寺金堂 金堂から観る。金堂は薬師堂で、本尊薬師如来像は桃山時代の作ながら薬壺を持たない古い様式をとり、左右に脇侍の日光・月光菩薩像を配し、眷族の十二神将像は本尊台座下の周りに組み込んで置くという珍しい配置になっている。そのため台座の後ろ側になる3体は見えない。金箔・彩色がよく残っている。
 まだちゃんと観ていないうちに、この十二神将がいいできでね、とシンさんが言う。そうなのかと思って台座の十二神将を見る。すると今度は、この薬師如来は講堂の大日如来よりいい顔だよ、といきなり本尊を褒めるから、あわてて上を見上げた。そんな自分にお構いなくシンさんは、あの後ろになっているのが見られたらいいのに、と今度は残念がるから、えっ次はどこだってとよくわからないまま、そうですよね、と相槌だけ打っておいた。

講堂
 金堂が現世の幸せを願う祈りの空間なのに対し、講堂は空海が見せてくれる密教の世界で、内陣の中央は智拳印を結んだ若々しい顔つきの金剛界の大日如来像を中心とした五智如来が、向かって右に金剛波羅密多菩薩像を中心にした五菩薩が、左には日本最古の不動明王像を中心に置く五大明王がずらり勢揃いする。菩薩部の右に四羽の鵞鳥が支える台座に載った三面四臂の梵天像が、明王部の左は象の背に半跏に坐る色白の帝釈天像が控え、内陣の四隅は二匹の邪鬼を踏みつける四天王像が立つ。合わせて21体の密教仏が濃密に集合していた。
 ね、この大日如来より金堂の薬師如来のほうがいい顔だった、とシンさんは本尊の前でやっぱりそうだよという顔をした。ほんとだと自分も思ってしまう。なんだかさっきからシンさんに言われるままに観ているようだが、その通りでこのときまで仏像をこんな風に観たことがなかった。
 シンさんは金沢で大学院在籍中にバイト先で得た知己で、あるとき若いころ仏像を見てまわったという話しをしてくれた。大学院を修了すればとりあえず奈良の家に帰ることにしていたので、自分も仏像巡りをしてみたいものだと思い、いろいろ教えてもらったのだった。それ以来DVDを見たり本を読んだりして仏像に関する知識を少しずつ増やしている。

持国天像
 次にシンさんは前列右端にある持国天像の前に立つと、この迫力はすごいね、バランスのとれた隙のない構えで忿怒の相も真に迫っている、多聞天の邪鬼は、あれは兜跋毘沙門天仕様だね、と講釈してしばらく眺めたあと反対側の増長天像の前に移動して、ほかはちょっと落ちるよ、広目天なんてだいぶ落ちる、ほら硬直してのけぞっている、と批評した。なるほどそうか確かにそうだと感心して聞いていると、広目天が国宝なのは持国天あってのことで、スピットファイヤの活躍でハリケーンまで名機になったのと同じだよ、と今度はわけの分からないことを言い出した。第二次大戦中のイギリス空軍の戦闘機のことだそうで、なんでもバトルオブなんとかという戦いで・・・えーっと、あとは忘れてしまった。シンさんは無類の飛行機好きで時々ついていけないことがある。オタクと言うと怒るから注意がいる。
 気が付くとシンさんは帝釈天像を見ていて、やー美男子だ、このごろの言い方だとイケメンというやつだ、と褒めたかと思うと、五菩薩の方へいったり五大明王の方へいったりして楽しそうだ。自分はシンさんのあとを付いていくのをやめ、ひとりで堂内を歩きまわった。

修学旅行生
東寺 講堂 広い講堂内をあっち行きこっち行きしていると、さっきまで自分たちのほかには明らかに大阪のおばはんとわかるご婦人のグループしかいなかったところに、修学旅行の女子生徒たちがガヤガヤと入ってきて、おばはんたちだけでも十分にうるさかったのに、ますます騒々しくなった。自分たちも信心深く仏さんを拝んでいたわけではないから、まあ、その意味ではみんな同類だった。
 やがて生徒たちが出ていき、おばはんグループもいなくなった。もう一度気になる仏像を眺めて心にしっかり留めてから外へ出ると、特別公開されていた五重塔の内部を見て宝物館へ向かった。
 宝物館は春と秋の二回、期間限定で特別公開されている。展示内容はその時々で変わるらしい。今回は兜跋毘沙門天像が出ていると知ったシンさんは、前に来たときには見ることができなかったからと大喜びしていた。

両界曼荼羅
 宝物館の二階でシンさんは幸せそうな顔で兜跋毘沙門天像に見とれている。この像はかつて羅城門の楼上に置かれていたといわれ、スリムな体を西域風といわれる膝下まで覆う裾の長い鎧でつつみ込み、大きな目を吊り上げた異様な顔立ちの頂部には鳥の意匠がある背の高い冠を載せている。足元は地天女という女性が雲の中から湧き出たみたいな姿で像の両足を真下から持ち上げ、尼藍婆・毘藍婆という名前からすると婆さんなのかと思ってしまう二匹の鬼が左右からそれを支えていた。講堂の多聞天像の台座がこれと同じ様式で、兜跋毘沙門天仕様だとシンさんが言っていたのはこのことだった。毘沙門天は四天王のなかの多聞天のことで、単体でまつられる時に毘沙門天と呼ばれる。彫刻としては彫りが深い精緻な作りで唐時代のものだそうだ。
 一方、自分は両界曼荼羅が気に入っていた。両界曼荼羅は胎蔵界金剛界の二つの曼荼羅で構成されている。講堂の大日如来が金剛界のというのは、金剛界曼荼羅に描かれている姿の大日如来ということで、胎蔵界と金剛界では大日如来の印相が異なっている。
 今回の特別展は多くの曼荼羅が展示されていて、有名な国宝の両界曼荼羅曼も金剛界曼荼羅がそのなかに含まれていた。実物が見られるなんて・・・。感激したので、これはぜひ部屋に飾りたいものだと思い、帰りにミュージアムショップでポスターになった金剛界と胎蔵界の曼荼羅を買った。この二枚は今自分の部屋の壁に貼ってある。



 はじめて東寺を訪れた冬の日の夕暮、拝観時間終了間際の薄暗く人気のない講堂で不気味な静けさと張りつめた冷たい空気に普通でないものを感じて思わず身震いしたことを、この日思い出していました。(2016年5月31日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


追記 2018年6月19日


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