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日光菩薩と月光菩薩  すてきなナースそしてメッセンジャー

 数ある菩薩像の中で一番すてきだなと思うのはどこのお寺のどの菩薩様、と訊かれたら、菩薩像ですか、さて、どれかな・・・、と、ちょっと迷って即答できないかもしれません。お地蔵さんの中にはちょっと・・・、虚空蔵もやっぱり・・・、文殊、普賢、勢至もすてきとかそういうイメージじゃないし、弥勒菩薩なら京都太秦広隆寺の国宝が・・・、いや、選ぶとすればやはり観音様の中からで、奈良斑鳩中宮寺の如意輪観音、奈良西の京薬師寺の聖観音、奈良佐保路法華寺の十一面観音、奈良桜井聖林寺の十一面観音、奈良斑鳩法隆寺の九面観音、同じく百済観音、京都洛西宝菩提院の如意輪観音などが候補に・・・、ということになるでしょうか、とはならないで、ぼくは日光・月光菩薩から、奈良東大寺の東大寺ミュージアムの塑像と奈良西の京薬師寺金堂の金銅像のどちらかをきっと選ぶでしょう。


 薬師如来、弥勒菩薩、降三世明王、四天王と仏様の4ランクからひとつずつ選んで書いた仏像記の付録として、昔から気になっている日光菩薩と月光菩薩のことをちょっと書いておこうと思います。日光・月光という名前が仏様にしてはとてもオシャレな感じに思えるし、この二菩薩は必ずセットになっていて単独で祀られることはないというところが、ほかの菩薩とのおおきな違いです。

 日光菩薩と月光菩薩はそろって薬師如来の脇侍ですが、東大寺三月堂では最近まで本尊不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)の脇侍が日光・月光菩薩でした。塑像で崩れやすいからと、今は最新の免震機構を備えた東大寺ミュージアムに移されています。この二体は三月堂にあったころから元々は梵天・帝釈天だったのではないかと言われていました。本尊が薬師如来ではないからということよりも、不空羂索観音像が脱乾漆造りなのに対して塑像だったのと、着衣の下に鎧を着けているように見えるというのがその理由でした。日光・月光菩薩が薬師如来以外の如来の脇侍になることはまれにあるようですが、菩薩の脇侍が菩薩というのはどうなんでしょう。
 造り方が異なるのは確かにちょっと気になりますが、素材のちがいはそれほど問題じゃないでしょう。衣の下に鎧を着けているように見えるといいますがはっきりわからないし、作風は同じ三月堂の執金剛神像(塑像)及び戒壇堂の四天王像(塑像)とよく似ていて、戒壇堂の四天王像も元は三月堂にあったらしいというのだから、ぼくはこの国宝の塑像ははじめから日光・月光菩薩なのだと思います。その顔を見れば、とても天部には見えない、やはり人気上位の菩薩様の表情です。どこか癒されるものを感じます。
 東大寺ミュージアムの日光・月光菩薩が三月堂で不空羂索観音と一緒に安置されていたのには、金光明最勝王経(きんこうみょうさいそおうきょう)如意宝珠品(にょいほうしゅぽん)というお経にちゃんと根拠があるということを「東大寺戒壇堂の四天王像」のなかで書きました。不空羂索観音の脇侍だというのは、その配置が脇侍のように見えたからそう決めつけていただけで、本当は脇侍でもなんでもなかったということなんだと思います。

 ついでだから、日光・月光菩薩なのか梵天・帝釈天なのかという、もうひとつのよく知られている例を紹介すると、奈良佐保路秋篠寺の日光・月光菩薩があります。こちらはちゃんと本尊薬師如来の脇侍になっているんですが、やはり元は梵天・帝釈天像だっただろうと言われています。この二体は確かにそんな感じです。彩色されていて白木の本尊とのバランスもどこかぎこちなく見えます。手に日輪・月輪を持っていますが、脇侍にしたときにそれらしく見えるように持たせたんでしょう。
 薬師如来像の脇侍になっている日光・月光菩薩像が、はじめは別の菩薩像や天部像として造られていたようだということは、ほかのお寺でも結構あるのかもしれません。金沢東山の観音院で厨子に収まった小さな秘仏薬師如来像の脇侍はどうみても日光・月光菩薩像ではありませんでした。

 ここで基本的なことを押さえておきます。そもそも日光(にっこう)菩薩と月光(がっこう)菩薩とはどんな菩薩で、薬師如来の脇侍だというのはどうしてなんでしょう。
 法隆寺金堂の釈迦如来の脇侍は薬王・薬上菩薩でしたが、そういう名前の菩薩がいるのなら、薬師如来の脇侍としてはそっちの方がピッタリなんじゃないの、という意見が昔からあります。なるほど、ごもっとも。ごもっともですが、さあ、それはどうでしょうか、そう簡単にはいかないかもしれません。この薬王・薬上菩薩というのは良薬を人々に処方した兄弟だといいます。つまり薬師(くすし:医者)です。そうするとこの兄弟の菩薩を脇侍にしたら医者が三人並ぶことになってしまい、ちょっとしつこくないでしょうか。
 では、日光菩薩と月光菩薩はどういう菩薩なのかというと、薬師本願功徳経というお経に出てくる、それなりの意味を持った菩薩ですが、要するに日光菩薩は昼を月光菩薩は夜をそれぞれ分担しているということです。つまりシフト勤務の菩薩様ですが、なにを分担するのかというと、脇侍は中尊のアシスタントと言えるから日光・月光菩薩は薬師如来の十二誓願を支えるということになります。でも、どうもあまりこだわっていないんじゃないのかな、という気がします。だから東大寺三月堂に祀られていたのだし、薬師以外の如来の脇侍にもなれるんでしょう。

 日光・月光菩薩は薬師如来の脇侍として、その昼と夜を分けて担当するシフト勤務という性質がピッタリでした。すなわち、薬師如来が医者ならその脇侍はナースで、24時間の看護態勢を日光菩薩は昼を月光菩薩は夜をそれぞれ担当しているということになります。これは医療現場の態勢としては、医者が三人もいるがナースはひとりもいないというのより、よほど気が利いていて現実的でしょう。
 そうすると、日光・月光菩薩がナースだということなら、東大寺ミュージアムの日光・月光菩薩が合掌しているは、ちょっと気になるかもしれません。病院でナースに手を合わせられるなんて、縁起でもない・・・、と思ったら、この場合は薬師如来の脇侍ではありませんでした。
 そこへいくと薬師寺の日光・月光菩薩は合掌していないので安心です。しかも顔立ちは端正でスタイル抜群だから、病気が治ってもなにか理由をつけて通院したいし、入院中なら退院したくないかもしれません。でも、逆に熱が上がってかえって病が悪化することになれば・・・。というようなことを言ってみるのは、如来に性別がないのと同じで菩薩にも性別はないのですが、観音像が女性に見えてしまう場合があるように、薬師寺の日光・月光菩薩像は女性に見えてしまうからです。

 こんなことを考える前に大事なことを忘れてはいけません。薬師如来を医者だと決めつけてはいけないということです。薬師如来は病気を治してくれるだけではない、ほかにもいろいろとこの世的な願いを聴いてくれる現世利益の仏様です。その意味でも脇侍が薬王・薬上菩薩だと医療に特化しすぎた感じでちょっと具合がよくないでしょう。薬師如来は両界曼荼羅に描かれていない規格外の如来で、立場の自由度が大きな仏様です。そのアシスタントである脇侍はそれに合わせてなんにでも対応できないといけないはずです。
 それなら日光・月光菩薩はナースの役だけではなく、秘書あるいはメッセンジャー的な役もこなさないといけません。24時間態勢で昼夜を問わず人々の願いを薬師如来に取り次いでくれるんでしょう。きっとアフターケアも担当していて、今すぐに叶えて欲しい切実な願い事がある人にはなんともありがたく頼もしい存在でしょうね。日光・月光菩薩が必ずセットになっていて、決して離して祀られることがない所以です。

 ところで、薬師如来は十二神将を眷属に従えますが、十二神将はひとりが2時間ずつ、一日を12刻に分けて薬師如来の十二誓願を守ります。つまり脇侍が24時間態勢なら眷属も24時間態勢をとっているわけで、未来も過去も知らない、とことん今という時に拘った仏様が薬師如来です。
 その薬師如来の日本での人気は如来の中ではナンバーツーで、ナンバーワンは阿弥陀如来でした。やはりだれでも死んだ後のことの方が気になって、極楽往生したいみたいですが、京都当尾浄瑠璃寺の九体阿弥陀仏を祀った本堂の前は池で、その対岸には薬師如来を本尊に祀る三重塔が建っていて、先ず三重塔に寄ってそれから本堂へ行くというのがお参りの正しい順序でした。生きているうちは薬師如来を頼り、死んだら阿弥陀如来にお任せという二段構えが日本の仏教、日本人の宗教観なんでしょう。日本人の考え方、生き方、行動基準、価値観までもが、そこに見えているのかもしれません。


 日光菩薩・月光菩薩という名前は、仏様の名前にしてはオシャレな感じに思えるとはじめに書きましたが、もしもシフト勤務の菩薩様だからと早番・遅番菩薩とか日勤・夜勤菩薩なんていう名前になっていたら、なんとも殺風景、なんの趣もおもしろ味もありがたさもありません。日光・月光という名前がオシャレに思えるのは、雰囲気がよくて気が利いていて、情緒すら感じてしまうすてきな名前だからです。それなら容貌容姿もすてきじゃないと・・・、とつい要求してしまいます。
 そんなぼくにとって東大寺ミュージアムの日光・月光菩薩像と薬師寺金堂の日光・月光菩薩像はとても魅力的です。では、どっちがいいのと訊かれたら、・・・どちらとも決められません。(2019年9月15日 メキラ・シンエモン)




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