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薬師寺の聖観音菩薩立像が金沢にやってきました
             ―石川県立美術館の展覧会から―

 去年の4月、雨の中を薬師寺へ行きましたが東院堂は見ませんでした。東院堂の本尊聖観音菩薩立像は仏像ファンなら絶対外せない仏像だからちょっと考えられないことですが、そのあと行くことにしていた唐招提寺のことが頭にあって、つい忘れてしまったんです。つい忘れるほどぼくのなかでこの観音菩薩像は存在感がないのかというと、そういうわけではありません。この日は先に興福寺にも行っていましたが、興福寺も薬師寺も工事中で境内の雰囲気がいまひとつだったから、時間が押していたこともあり、工事をしていない唐招提寺に思いが向いてしまったんです。それに、4年前に石川県立美術館の展覧会でじっくり観ていました。


国宝薬師寺展
 薬師寺はいつ来ても工事をしていて、今日は東塔をオーバーホールしています、と去年の薬師寺拝観のページの中で書きました。東塔の解体修理が始まったのは平成21年で、終わるのが薬師寺の公式ホームページによると平成32年です。終わったときにはもう平成ではありません。東塔の解体修理5年目となる平成25年の4月から6月にかけて、石川県立美術館で国宝薬師寺展が開催されました。

 薬師寺は法相宗のお寺です。玄奘三蔵や慈恩大師などの高僧の画や彫像が目を惹きますが、ほかにもたくさんの仏像や仏画が来ています。国宝の吉祥天女像もありました。通常非公開だから、実物を見るのははじめてです。この仏画は展覧会でも特別扱いで、茶の間に掛けるカレンダーほどの大きさなのに、2階に一室が用意されていました。その部屋は照明を落とし、一番奥に目の高さに置かれた吉祥天女像には電球色の弱い光があててありました。雰囲気の演出と、合わせて劣化を防ぐ意味もあったんでしょう。
 広い展示室にはぼくひとりでした。暗闇に浮かび上がる吉祥天女は奈良時代の美人だからやっぱりぽっちゃりしています。という写真でもわかるようなことのほかになにを観たのか、実ははっきり憶えていません。展示の仕方ばかりが記憶にあります。

聖観音菩薩立像
 東院堂の聖観音菩薩立像は金堂の薬師三尊像に似てどこかエキゾチックな雰囲気がありますが、薬師三尊像からは感じられない崇高な気分を持っています。高さ2メートルほどもある堂々とした観音菩薩像に保護のガラスケースはなく、360度どの方向からでも手が届くかと思うほどの近さで見ることができました。
 周りはさすがに人だかりができています。ほほう、これがそうですかという顔でシゲシゲと上から下まで舐めるようにして見ている人や、心を奪われていますと言いたいのか、わざとらしい間の抜けた顔で真正面に立ったままじっと動かない人もいます。ぼくはこの目ではじめて見るそのうしろ姿に感激していました。

 珠を繋いだ瓔珞(ようらく:装身具)や着衣は、正面からは見えない背面もしっかり精緻に表現されています。うしろからも見られてしまうことを考えてというより、むしろ見せるつもりで造ったんじゃないのかなと思うほどです。それはうしろ姿そのものからもそう思えました。
 金堂の日光・月光菩薩像と比較され、からだがくねくねしていない分、身体表現が劣ると言われています。確かにまっすぐ立っているだけで動きはありません。でも、これは単独で祀られる観音菩薩像の孤高の美しさの最高の表現なんだと思います。正面から見れば青年の凛々しい姿が美しく、うしろ姿は髪を垂らした肩から腰に着けた裳の裾まで繋がる緩やかな曲線が、背筋を伸ばしてスーっと立つ、嫋やかではない女性の美しさを感じさせます。作者はきっとうしろからも見て欲しかったんです。

東塔の四天王像
 実はぼくがこの展覧会で一番期待していたのは東塔の四天王像でした。高校生のころ、東塔初層に安置されているにやけた顔の四方仏とがっちりした体格の四天王像の写真を保育社のカラーブックスデラックス版「仏像」で見てから、一度見てみたいものだとずっと思っていたんです。東塔が解体修理中なのだから、きっとやって来るに違いないとふんでいました。

 会場に入ると1階のロビーに等身大の四天王像2体がケルビムのように立っています。これが東塔の四天王像ではないことはすぐにわかりました。正体は講堂の持国天像と多聞天像で、唐招提寺の四天王像に似ているような、いないような、どこか大味な感じがする四天王像です。
 展示室の奥へ進むと4体そろって顔を外側に向けて円形に並んでいました。それがすぐには分からなくて、えっ、これがそうなの、と思ったくらい小型だったんです。小学6年生ぐらいの身長でした。大きさは小学生でも顔は全然かわいくありません。忿怒相だからあたりまえですが、精悍な顔だろうと思っていたのに、これはちょっとねぇ、とがっかりするほど不細工でした。大きさだけでなく顔付きも思っていたのとは違っていたんです。見ていた写真は小さくてそこまでわからず、思いが募りいつの間にか自分好みの姿に造っていたみたいです。
 写真では増長天像の左腕は欠落していたのが今日はちゃんと付いていました。うまく馴染むように作って付けてありますがやはりわかります。持国天像の左腕も同様に修理されていました。そうでしょうね、片腕の傷痍軍人のままじゃ展覧会に出せません。もっとも展覧会にあわせたわけじゃなくて、きっと、東塔の修理にあわせてこの際だからと補修したんでしょう。こうして、ちょっと違ったなと思いながらも、これが観たくて来たんです、ぐるぐる何回も周りをまわっていました。


 帰りに図録を買うと、薬師寺から来ているお坊さんがなにか言葉を書いてくれるというので、それじゃせっかくだからとお願いしました。お坊さんがそれではと太い筆で、和、と書いたところまでは良かったんですが・・・、細い筆に替え墨を含ませると、この筆あきませんな、です。穂先が割れていました。それで硯箱にあった別の筆に替えますが・・・、これもかいな、でした。筆は美術館側が用意したものみたいです。ほかにありませんの、と美術館の職員に催促しますが、その職員は申し訳なさそうにかぶりを振りました。お坊さんは心を決めたようで、かなわんな、もう、という顔もせずに、
かたよらない
こだわらない
とらわれない
と、筆にこだわらないで、でもすこし書きにくそうにしながら、図録の見返しに書いてくれました。(2018年2月9日 メキラ・シンエモン)

     



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