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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

外国人観光客が訪れる金沢 −加賀百万石の城下町金沢の気分−

 あっ、またいた、あっちにもいる、こっちにも、ずいぶんいるね、と、北陸新幹線の開業当初、どうしても目についてしかたがなかった金沢の街中を歩く外国人観光客の姿も、あれから3年、今ではごくあたりまえの、金沢らしさの風景、になっています。中国の人が圧倒的に多いのですが、ちょっと見では日本人と見分けがつかないから、ここで言う外国人は碧眼紅毛の人々、つまり西洋人をさします。
 金沢を訪れる外国人観光客は本当に増えました。東京からの、いわゆるアクセスが良くなったからで、そのまま京都大阪へIRならぬJRのサンダーバードでまっすぐ行くことができるという移動の直線性が人気のようです。でも、これは物理的一要因というだけのことで、外国人観光客に訪れてみたいと思わせるなにかが金沢にはあるはずです。それは日本らしさの風景に違いありません。(IRはINTERNATIONAL RESCUE、おなじみの国際救助隊です。)


外国人観光客が金沢で見ているものは
 日本政策投資銀行の「金沢を訪れるアジア・欧米旅行客の意向調査」という、金沢に滞在した外国人観光客に、複数回答で答えてもらったアンケート調査があります。委託を受けて金沢大学がおこなったみたいですが『行ってみたい日本の観光地イメージとして、欧米客の7割超が「日本庭園」「城」「神社仏閣」と回答し、約6割が「日本的な街並み」を挙げた』と書いてあります。なるほど、挙げられた観光地イメージが金沢には全て揃っています。
 でも、日本人観光客だって同じものを挙げるんじゃないですかね。知りたいのは、外人さんにとって、それがどうして金沢なのか、ということです。ところが、数字ばっかりでそのへんのことは書いてありません。それなら、どうして金沢なのか、を、外人さんが金沢で見ているものってなんなんでしょう、という問いにして「通りがかり」風に考えてみようと思います。

戦災に遭わなかった金沢
 金沢は先の戦争で米軍機による空爆を受けなかった稀な都市です。それを外人さんはどこかで聞いたか旅行サイトやなにかで読んで知っていて、かつての敵国人に対する恨みのない土地のはずだから日本中で一番安心できるよ、と、いそいそやって来てみれば、やっぱり攻撃的な人たちではなかった、みんな親切だったよ、と納得して・・・というようなことは、まさかないでしょうが(いや、少しはあるかもしれません)、金沢は戦災を免れたことで加賀百万石という日本最大級の城下町の景観がそっくり残っていることを知っているからこそ、昔ながらの日本的なものを求めて金沢へ来るんでしょうね、きっと。そしてやって来る外人さんの数が増える一方なのを見れば、兼六園もお城も街並みも期待外れではなかったし人気(じんき)もいいところだよ、と満足しているみたいです。

 これは、しかし、金沢市にしてみれば「塞翁が馬」です。つまり、戦災に遭わなかったのは良かった、でも古い街並みが残ったことで戦後の経済成長には後れを取った、と思っていたら、その残っていた街並みが百万石の城下町というチマチマしていないものだったから、新幹線が来た途端に外人さんが大勢来ちゃった、ホテルをバンバン建てなきゃ、と騒がしくしています。次は建てすぎて余ったホテルを老人ホームにでもして、県外からお年寄りを集めようと目論むんでしょうか。

 どうも話が変なほうへ行きましたが、ここまで書いてきたようなことは普通にだれでも考えそうだから、・・・でもないか、とにかく、もう少し突っ込んで、こんなことをちょっと考えてみます。

復元された金沢城
 金沢は古い街並みが残る伝統文化の町ですが、その中心にある金沢城というのは、よく考えてみると、藩政期から残るものは石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫だけで、ほかは五十間長屋にしろ玉泉院丸庭園にしろ、ごく最近になって復元されたものです。城内には旧陸軍歩兵第6旅団司令部の庁舎だったという、たまたま見つけた人が、なにこれっ、この田舎の駅みたいもの、と一瞬思うだけの建物も残っています。

 ちょっと脇道に逸れますが、この歩兵第6旅団の上級部隊だった歩兵第9師団の司令部もまた金沢城内にありましたが、その庁舎だった建物もやっぱり残っています。金沢城内ではなくて、兼六園と県立歴史博物館のあいだにある石川護国神社の横に移築されています。近ごろ、東京国立近代美術館・工芸館が移ってくると地元では話題になっている場所です。そう、近々、東京国立近代美術館・工芸館が東京から金沢に移されるんですよ。都落ちですね、気の毒に。その東京国立近代美術館・工芸館の現在の建物というのが、元は近衛師団司令部庁舎だったそうです。移転先がまた旧陸軍の師団司令部庁舎だなんて、ちょっとおもしろい。
 ついでだから書いておくと、師団司令部庁舎の隣には陸軍金沢偕行社という旧陸軍の将校クラブの建物が残っていて、さらに近くには師団長官舎まで残っています。金沢は使わなくなった昔のものを大事に取っておくところですね。物持ちのいいこと。そういえば、県立歴史博物館は明治時代を思わせるレンガ造りで、近ごろ、いしかわ赤レンガミュージアムと名前を変えましたが、元は陸軍の兵器庫でした。一帯には陸軍の練兵場があったんです。
 それにしても、こんなに昔の軍隊の建物が残っているなんて、金沢っていったいどんなとこなんでしょう。空襲を受けなかったからというだけでは説明付きません。さらに、さっき出てきた石川護国神社というのは「しらやまさん(白山比盗_社、しらやまひめじんじゃ)」を凌ぐ県内最大規模の神社ですが、加賀藩14代藩主前田慶寧(よしやす)の創建になるもので、元は招魂社といいました。新旧の名称からもわかるように戦没者を祀る神社で、靖国神社のリージョナルバージョンみたいなものだと聞けば、もうなにも言うことないですね。保守王国金沢の面目ここに躍々たり、です。

 話がとんでもないところへ飛んで行ってしまいましたから、もういい加減、本題に戻して、こういうことだから金沢城の景観のなかに藩政期からのものは少ないわけです。と言って、五十間長屋の復元は外観だけじゃなくて内部はもちろん、工法まで江戸時代そのままにやったというんだから、細部にまで拘った超本格的な復元建築です。石川門などは重要文化財だし、城跡として国指定史跡になっています。しかしそれらを考えても、金沢城は姫路城なんかとは違って、歴史的遺物として見る価値はどれほどあるのかな、とぼくらは思うんですが、外人さんはどうなんでしょう。日本の城をただ珍しがって見ているだけさ、ということでしょうか。ほんとうにそうかな。
 そこで思い当たるのは、引き合いに出すにはスケールが違いすぎますが、ポーランドの首都ワルシャワの旧市街です。行ったことなんてありませんが、テレビの紀行番組なんかで見ると、いかにも中世か近世の中欧らしい景観を保っています。これは第二次大戦の戦火で徹底的に破壊されたのを街ごと忠実に復元したんだといいます。まあ、これにはいろんなわけがあるんでしょうが、元に戻すことに大いなる意味があるとヨーロッパの人は考えるんでしょうね。日本は、災難が戦災でも天災でも、古い街並みが壊滅的に破壊されたら、チャンス到来と言わんばかりに、すっかり別の街に作り変えてしまいます。

 そういうことを思うと、外人さんは金沢城が復元されたものだとわかっていたとしても、往時の姿を見せてくれているのが嬉しいんでしょうね。実際、兼六園から石川門に入って枡形を抜けるといきなり眼前に河北門が現れて、左手に広がる三の丸広場の向こうに内堀をはさんで、左右の端に三階櫓を備える五十間長屋という巨大な城壁が堂々として構える光景は圧巻で、外人さんは、きっと、this is what japan (これこそ日本)、と思うことでしょう。
 あるいはワルシャワの例と同じで復元するという行為そのものが意味あることだと思って見ていることだってあり得ます。もしそうなら、歴史を伝えるものはオリジナルでなければ意味がないと思いがちなぼくらにはちょっと解らない感覚で、文化観とでも言うのか、自分たちの文化と向き合うときの価値観の相違で、民族の歴史の重量感が違うんでしょうね。

人が普通に暮らす長町武家屋敷跡
 長町武家屋敷跡もまた外人さんに人気です。テレビ番組やなんかでは、よく江戸時代にタイムスリップしたようなという陳腐な形容で紹介されていますが、藩政期のしっとりとした情緒を感じさせる土塀が続く界隈です。武家屋敷の跡というんだから武士の住んだ家屋が、昔のままに保存されているわけではありません。そういう家もあって、なかに入って見学もできますが、ほとんどは土塀の内に普通の日本家屋で、ちゃんと人が住んでいます。
 それなら、武家屋敷跡に住んでいる人ってどんな人たちなんでしょう。加賀藩士の子孫が先祖代々の地所を守って、しかたなく住んでいるのかというと、そうではありません。一軒だけ江戸時代から続く家がありますが、ほかは他所から移り住んできた縁も所縁もない人たちが、景観を壊さないようにして暮らしています。それでボランティアガイドの「まいどさん」は観光客を案内するとき、静かにしてください普通に人が住んでいます、と釘を刺さしています。金沢で武家屋敷跡に暮らすというのは、そういうことです。

 外国人観光客は金沢でなにを見ているのかということを考えています。長町武家屋敷跡にはみやげ物店や飲食店が何軒かありますが、店の前まで行ってはじめてそれとわかります。看板を揚げていないんです。景観を保つためだということはすぐにわかると思いますが、そうやって加賀百万石の城下町に暮らす金沢人の気分を、店の人は意識することもなく自然体で見せている、ということなのではないのかなと思います。景観を壊さないようにして住んでいる人たちも同じです。
 気分というのは言葉ではうまく説明できないのですが、気概や心意気というのとはちょっと違う、そんな構えたものではなくて、もっとふんわりとした心持ちの発現です。

 長町武家屋敷跡がそうなら、ひがし茶屋街でも近江町市場でも金沢の旧市街はどこも、路線バスだってそれは同じで、そんな金沢人の気分が、外人さんが金沢で見ている日本らしさの風景なんだろうと思います。だれも意識しないし気が付くこともない加賀百万石金沢の気分です。


 はじめに、外人さんが金沢で見ているものってなんなんでしょう、なんて、政府系金融機関の調査にケチまでつけて大きく打ち上げて、それを解明してみせるように思わせておきながら、想像に想像を上塗りした空想みたいなことを書いてしまいました。それなら、春めいてきたことだし街に出て外国人観光客に直接尋ねてみればいいのでは、となりますよね。・・・いや、止めときましょう、やっぱり。だってそんなことして、もしもですよ、もしも、なんの話をしているの、とキョトンとされでもしたら、それこそ、こまってしまってワンワンワンワーンワンワンワンワーン、です。(ぼくはどっちかって言うとネコ科ですけどね。)決して英語ができないからではありません、けっして・・・。(2018年3月7日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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