9  吉野谷村

笥笠中宮神社

 中宮の集落のはずれ、スキー場から歩いて数分の森の中に、笥笠中宮神社(けがさちゅうぐうじんじゃ)という神社があります。見た目は大き目の祠という感じですが、創建は957年と古く、白山七社の一つでした。盛んな頃には広大な社域に十余棟もの堂宇を連ねた、堂々たる神社だったといいますが、こんな山の中にそんな大規模な神社があったとは、ちょっと信じられない気もします。
 この笥笠中宮神社は、本宮(白山比盗_社)と禅頂(白山山頂)を結ぶ禅定道(登山道)の中間位置にあります。しかも、笥笠中宮神社を含む中宮三社は本宮を凌ぐ勢いがあったといいます。つまり、昔はこの神社が加賀の方から白山に登るルートの要衝になっていました。多くの人がここから尾添村(尾口村)を経て、山頂を目指して登っていったのでしょう。
 一方、現在の登山道のある牛首村(白峰村)には、越前ルートの禅定道がありました。両者は共に天領になるまで、金沢藩に福井藩と所属も違っていて、山頂の領有、杣取権(そまとりけん、伐採の権利)をめぐって激しく張り合っていました。今日、我々が知る平和な白山麓からは想像もできないことです。

 笥笠中宮神社の祭神は、境内にある由緒書には「祭神 中宮神 或云(ここで改行)木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」と書いてあります。不思議なのは”或云”と書いてあることで、これは”あるいは言う”とでも読むのでしょうか。だとすると「祭神は中宮神であるが、木花開耶姫命と彦火火出見尊であるとも言われている」という意味でしょうか。祭神がはっきり分からないのだとすると、いかにも奇妙なことです。また、中宮神というのは白山の神である菊理媛神(ククリヒメノカミ)のことなんでしょうか。
笥笠中宮神社、屋根につっかえ棒がしてある ”或云”の方の二人の神様は母親と息子です。勿論、コノハナサクヤヒメが母親で、ヒコホホデミはその息子です。ヒコホホデミというのは、あの海幸彦、山幸彦の山幸彦の方です。従って、この母子は白山信仰とは特に関係は無さそうですが、それ以上のことは何も書いてないのはきっと分からないからでしょう。 しかし、何の縁があってそんな偉い神様がここに祀られているのでしょう。その昔、神様が今よりずっと身近だった時代に、ここを通って白山へ登った人達は知っていたのでしょうか。

 というわけで、外観は村の鎮守のようでも、内には白山麓の知られざる歴史を秘めた笥笠中宮神社の境内で、取りとめもないことを考えながら、木末から漏れてくるやんわりとした春の日差しを浴びていたのでした。(平成12年4月21日 メキラ・シンエモン)
 


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