35  白峰村

くくりひめの公演

 こんなメールが、二ヶ月ほど前、受信トレイに入ってきました。

 縁あって、林西寺でくくりひめの公演をさせていただくことになりました。もし通りがかったら是非お立ち寄りください。ちなみに通りがかって欲しい日は、7月17&18日7時頃からです。

 林西寺は白峰村にある古刹で、くくりひめの公演というのは、菊理媛神(ククリヒメノカミ・白山の神様)を題材とした「shiraくくりひめ」という表題の舞踊の公演のことでした。
くくりひめコンサートのパンフレット つまり、林西寺での公演を観に来てくださいというメールだったんですが、普通なら「よろしければ是非お越しください。公演の日時は・・・」とかなんとか書くところを「もし通りがかったら是非お立ち寄りください。ちなみに通りがかって欲しい日は・・・」と書いてきたのは、ぼくがホームページに「通りがかりの者です」なんていうタイトルを付けているから、それをしゃれてこういう書き方をしたのでしょう。
 ぼくもこういうのは好きだから、こんなメールを送ってくるのは面白いと思って、舞踏のことは何にも知らないくせに、友達を誘って観に行くことにしました。

 林西寺を訪れるのは二年ぶりです。友達が車を寺の前の空き地に停めて、ぼくが車をどこに置いたらよいのかを聞きに行きました。
 寺の門を入って行くと、受付の準備をはじめたばかりの様子で、本堂の前では数人の女の人が忙しなく動いています。机の準備をしている髪の短い女の人に、こんにちは、くくりひめの公演って、こちらですか、と声を掛けると、はいそうです、でも、まだ開場時間じゃないんですけど、とまだ用件を言わない先に言われてしまいました。開場時間まで、まだ20分以上もあったから、そう言われてもしかたがありません。
 やっぱり横町うらら館のようなことにはならないなと思いながら、あのぅ、車はどこに置いたらよいのでしょうか、と聞くと、その人もよく分からないらしく、車はどこに置けばいいの、と仲間に聞いています。すると、本堂の階段にいた獅子舞みたいな髪型をした女の人が、寺の前が空いているでしょう、そこでいい、いい、とさばさばした声で言いました。
 車を言われた通りにして、寺の前にあるバス停のベンチに座って往来を見ていると、体育の服装をして手には紙で作った花を持った子供たちが、お母さんに連れられて次々に寺に入って行きます。道の駅で見つけて持ってきたパンフレットによると、白峰小学校の児童たちも出演することになっています。どんな役なのかは知りませんが、この子らがそうに違いありません。

白山本地堂 十一面観音菩薩座像 ところで、公演は林西寺の本堂で行われます。お寺に神様というのは組み合わせが違っているようですが、林西寺は菊理媛神と深い関係があってというのは、山内にある白山本地堂の御本尊・十一面観音菩薩座像(写真)は、元は白山の主峰・御前峰に安置されていた、神仏習合思想による菊理媛神の本地仏で、明治初年の廃仏毀釈令でこちらに引っ越して、いや、避難してこられたという縁起の仏さんなんです。

 開演時間の10分ほど前に中に入ると、薄暗いところにはもう人がいっぱいで、ガヤガヤとやっています。ぼくらは空いていた後ろの方の座布団に座りました。本堂の須弥壇は扉で覆い隠されていますが、舞台がこしらえてある様子はなく、客席と同じ畳の上がそのまま舞台ということのようです。左右の柱の外側には、どっちにも蚊帳みたいなものが吊ってあります。よく見れば白い網でした。そして、長押には、真ん中よりかなり左よりのところに、大きな白い風船が取り付けてあります。
 開演時間が過ぎてしばらくたっても、一向に何の案内もないし、相変わらずガヤガヤだし、どうしたんだろうと思っていたら、いきなり風船に渓流が映し出され、同時に水の音も聞こえてきて、ガヤガヤはたちまちしんとなりました。知らないうちに、舞台の真ん中にはやっと読めるような大きさの文字が四つ、縦に並んで浮かび上がっています。よく見ると、文字は扉に立てかけた太いモウソウ竹に透かし彫りしてあって、中に明かりが入れてあるという仕掛けのようです。文字は秋・冬・春・夏と読めました。
 これはもう始まっているのかな、と思っていると、今度は、重々しい声で唱える真言が聞こえてきて、不思議な顔が描いてある面をつけた黒子が、何人も静々と入ってきました。かぐや姫でも入っていそうな斜めにカットされた竹筒をだいじそうに抱えています。黒子が正面を向いて止まると、竹筒の中から、かぐや姫ならぬ小さなともし火が、弱々しく光を出していました。なんか怪しい雰囲気みたいだけど、踊を踊るんじゃないの?と思ったのでした。

くくりひめ こんな風に始まった「shiraくくりひめ」は、映像、光、音を巧みに組み合わされた演出が、視覚的、聴覚的に働きかけてくる、舞、朗読、唄で構成された舞台舞踊劇でした。
 物語は、白山の水晶谷に住む水の神様の娘くくりひめが、何者かの声に応じて山を下り、サクラ様(くくりひめの御師匠さんの神様)の元で修行をすると、最後に、十一面観音に姿を変え、泰澄(白山を開いたと言われている僧)の前に現れる、という筋です。(泰澄大師が白山を開いた日は7月18日とされているので、公演日もそれに合わせたのでしょう。)
 劇の構成は、どちらかというと、朗読の間に唄と舞が挿入されているような印象です。朗読と唄はどちらも同じ人で、きれいな声なので聞いているとうっとりとして、気がつくと何を言っていたのかよく覚えていません。はじめ陰からの声だけだったのが、あとから姿も現したのを見たら、髪を短くしていて、どうも、ぼくが車の置き場所をたずねた人のようでした。(イラストは帰りにもらったお土産に入っていた紙に描いてあったもの)
くくりひめの舞 舞はくくりひめ単独の舞がいくつかと、子供たちも加わっての舞があります。くくりひめの舞は、やはり白山の神様だけに、飛んだり跳ねたり転がったりというような乱暴なことはしないし、狐でも憑いているんじゃないかと思うような妙なしぐさもありません。手の指の先にまで気持ちを込めて、しなやかにくるくると舞います。弁天様みたいな格好をしていますが、凛とした表情で、それが時々遠くを見つめているような目になります。このくくりひめを舞っている人が、インターネットで菊理媛を検索していて「通りがかりの者です」を見つけて、メールを送ってくれた人でした。

 大詰め、くくりひめは十一面観音菩薩に姿を変え、泰澄の前にジャーン(サン=サーンスの3番のフィナーレでオルガンが鳴り響くような感じ)と現れると、両腕を大きく広げて、母親がわが子に諭すように、人は自然やすべての生き物たちに生かされて生きていることを忘れないで、と告げます。長押の風船には、白山本地堂の御本尊・十一面観音菩薩のお顔が映し出されていました。実物を間近で見た時よりも好いお顔に見えるのは、まあるい風船に映っているからというわけでもなさそうです。途中から降り出した雨が本堂の瓦を打つ音は、いつかのまにか聞こえなくなっていました。

 舞台がパッと明るくなって、最後はそろいのハッピを着た白峰小学校の子供たちによる、かんこ踊りの登場です。

  踊れや踊れ、皆出て踊れ
  踊らにゃ明日はくやしかろ
  あ、踊らいでも明日はくやしこたないわいな
  明日から山な草取りじゃ
  あ、もうたり、もうたり、もうたりな

子供たちは、時々互いのからだが触れたり本堂の太い柱に手をぶつけたりして、ちょっと緊張気味に恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに踊っています。この子らは大人になっても、林西寺で「くくりひめ」と踊ったことをずっと忘れないのでしょう。
 ぼくはと言えば、これまで舞踊など見てみようと思ったことがなかったのに、今ここにこうして座っているのが普通のこととは思えず、やっぱりあのメールは、菊理媛神が霊妙不可思議の力で送ったメールだったんじゃないのかなぁ、と、そんな気がしていました。(平成14年8月29日 メキラ・シンエモン)


関連リンク

「shiraくくりひめ」公演については、下のホームページで詳しく知ることができます。

★くくりひめ日記
http://www4.nsk.ne.jp/~seeress/




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