7  白 峰

白山本地堂の下山仏

白山本地堂 白山本地堂は、白峰村の中心部を西にちょっと外れたところに、ブナの原生林に被われた小高い山を背にして建っています。単独のお堂ではなくて、林西寺という山村にしては大きなお寺の伽藍の一部になっています。
 このお堂の仏像はいずれも下山仏といわれるもので、白山山頂やその周辺に安置されていた仏像が、明治初年の神仏分離政策により白山から下され、林西寺に移されたものです。移されたとはいっても、当時の雰囲気からして正式な形で移したというのではなくて、山を追われ打ち捨てられる運命にあった仏像を、当時の林西寺の住職が見るに忍びなく、拾うようして救ったということだったのでしょう。

三本地仏 下山仏は全部で七体です。まるで舞台のような造りの須弥壇に、横一列に安置されています。中尊は白山の主峰、御前峰の現在奥宮のあるところに安置されていた十一面観音座像です。その左右に阿弥陀如来座像と聖観音座像を配していますが、それぞれ大汝峰、別山の頂上に安置されていました。つまり、これら三体の下山仏は白山三峰の本地仏として祀られていた仏像です。いずれも金銅仏で、製作年代は江戸時代後期です。あとの四体は、十一面観音立像(金銅、平安末期)、地蔵菩薩座像(金銅、鎌倉前期)、薬師如来座像(木造、江戸中期)、名称不明の如来像(木造)ですが、いずれも登山道に安置されていたといいます。また、白山を開いたといわれる泰澄大師の像(木造、江戸初期)が、同じ壇上にあります。(写真は須弥壇中央の三本地仏)
重文の十一面観音  この七体の下山仏の中で比較的よく知られているのは、平安末期の十一面観音立像(写真)と、鎌倉前期の地蔵菩薩座像です。十一面観音立像は、重要文化財に指定されていますが、鍍金も良く残っていて、京都、奈良の古寺で見られるような作風を持ち、さすがに優れています。ところが、この重文の観音様は下山仏がずらりと並んだ須弥壇全体の中では、ほかの六体に比べて小さくほっそりとしているために目立たず、逆に見劣りがします。
 一方、中尊の十一面観音座像は、なかなか個性的な顔立ちの仏像で、間近で水平な視線で見ると、失礼ながら、どこか硬さを感じさせる姿で、額の飾りもにぎやかすぎるような印象を受けます。しかし、前に座って仰ぎ見るようにして見ると、なかなか堂々としていて、顔も立派に見え印象が良く、全然感じが違います。やはり見る時も、拝する時の位置と角度から見るのが良いようです。(平成12年4月8日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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