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白山麓のこと

紅葉 この秋は休日に時間が取れなかったり、休める日は天気が悪かったりで、どうもちぐはぐで具合が悪く、紅葉の一番きれいな頃に白山麓をそぞろ歩きすることができませんでした。もう晩秋という頃になってようやく休みと好天が一致して、いそいそと手取峡谷の辺りまで出かけてみれば、山はもうすっかり葉を落としてしまっているところと、紅葉が黄褐色に変わって落ち葉になる寸前のところが混じりあって、毛の禿げかかった大きな猫の背中みたいに見えました。これはこれで面白いか、と思って観ていました。(写真は手取峡谷綿が滝付近)

 ぼくは頻繁に白山麓を訪れてきました。通っていると言っても過言ではないくらいです。そんなに何度も何度も出かけて白山麓にいったい何があるのか、と人に言われることもあり、あるいは、白山麓の住人でもないのに、どうしてホームページを作っているのか、と聞かれたこともあります。自然が好きだからと答えても、行きやすいからと答えても、それだけでは同じ場所に何度も行っていることの答えにはならないし、自分でも変だと思うことがあるから、今年の秋は満足に出かけることができなかった代わりに、ぼくにとっての白山麓はなんなのか、ということをちょっと考えてみたくなりました。
河内村板尾 白山麓は自然の景観に恵まれているとはいうものの、生涯に一度は見ておきたいというほどの絶景があるわけではありません。忘れてはいけない美しい白山の遠望がありますが、山麓から遠く離れた海岸の方へ行けば行くほどきれいに見えるようになるのであって、というより、そもそも白山麓で平地からちゃんと白山が見える場所はほとんどなくて、ぼくが知っている限りでは鳥越村にある白山連峰合衆国のモニュメントの付近だけです。それも雲で見えないほうが多い。住んでいる人の数も、猿とどちらが多いのかというくらい少ないから、鳥越村から向こうにはコンビニすらありません。概して日本中どこへ行っても普通に見られる悄然たる田舎の風景があるだけ、と言っても間違ってはいないようなところです。一言で言えば普通のところです。
 しかし、そんな何ということはないようなところだから、これを見てください、あそこへ行ってください、といった押し付けがましさもないし、急かされることもないから、拘束されることのない自由を保障してくれているような気がします。鳥越村人それぞれに感じる世界というものはあるもので、何かを目当てにしてということでもない、自分の自由な感覚で興味の赴くままに関心の導くままに散策を楽しみたいという人には、白山麓は都合が良いところということになるでしょう。逆に「絶景というは樽肴ありてこそ」というような人には、白山麓は不向きなところだと断言できます。(写真は上が河内村板尾、下は鳥越城跡から)
 ぼくの場合は楽しむということのほかに、こどもの頃が思い出されて、どことなく懐かしく感じていることも多いようです。こどもの頃が思い出されて、といっても、ぼくは白山麓を生まれ故郷とする人間ではありません。金沢生まれの金沢育ちです。それが何でこどもの頃の記憶と白山麓が結びつくのかというと、説明はちょっと分かりにくい話になりそうです。

 ぼくの母の実家は金沢南部の郊外、もう鶴来との境目に近い辺りの、一向一揆に攻められて自刃した富樫政親の居城のあった高尾というところの農家で、小学生の頃は夏休みや冬休みになると、弟と何日も泊りに行って従兄弟たちと終日遊んで過ごしていました。
 金沢市の南部に泉ヶ丘高校という出来の良い子ばかりが通う高等学校があって、その前の道路を南へ南へと15分ばかり歩くと伏見川という川に出ます。橋が架かっているのでその橋を渡ってさらに15分ほど行ったところが高尾です。今は、橋から向こうも切れ目なく家が続き、高尾の辺りでは幅の広い立派な道路が通り住宅がひしめいていますが、その頃は橋の手前までが商店などもあって一応は町で、橋を渡った向こう側はのんびりとした田園風景になっていました。橋も今よりはずっと幅が狭かったように思います。そう言えば、この橋の下には大きなカワウソが棲んでいて、夜になると出てきて橋を渡る人を騙すのだったか川に引き込むのだったか忘れましたが、とにかくたいへんな目に遭わされるという話をおとなの人から聞かされて怖かったことを憶えています。本当にそんなカワウソがいたのか、今はカワウソなんてとても棲んでいそうにありませんが、昔はそんな「ゲゲゲの鬼太郎」みたいな話が本当に思えるような橋でした。それほどに当時の高尾は町から遠く離れた田舎に感じられるところで、田んぼや畑が一面に広がり、リンゴ畑やナシ畑もたくさんありました。そして、小学生のぼくは、高尾の先も白山の麓まで同じ風景がずっと続いているものと思っていたのでした。
 高尾はぼくが中学生になった頃から急速に田舎の風景を失いはじめ、大きな道路が建設され、田んぼや畑だったところに次々に家が建ち、二三年で田畑より家のほうが多くなってしまいました。その頃にはぼくも泊りがけで田舎に行くこともなくなっていたし、高尾の先も同じ風景だと思うこともなくなっていたのはもちろん、ほんの数年前までそう思っていたことさえ忘れてしまっていました。
 ですから、ぼくのこどもの頃の記憶に白山麓の風景が含まれているというのではありません。むしろ全然知らない場所だったわけです。ただ、こうしていい年になってから白山麓を訪れていると、こどもの頃に知っていた高尾の風景に似たところがどこかにないだろうかと、識らず知らず探していることがあって、それはいつも無駄なことだと思い知らされるのですが、それがむしろいっそうこどもの頃を思い出すことになって、たまたま小さなこどもらが土蔵の陰で遊んでいるのを見つけたりすると、従兄弟たちと遊んだ日々のことがありありとしてきて、懐かしい気持ちにさせられます。

 今年の秋は冬と混ざり合い、家の近くの公園では紅葉半ばの木々が斑雪の上に枯葉を散らしていました。白山麓はどうだったのでしょう。やはり似たようなことだったんでしょうか。今年もそろそろ晩秋を初冬と言い換えた方が良いような時節になってきました。白山麓の毛の禿げかかった猫の背中が、冬枯れの閑寂な風趣のある情景に変わるのももうすぐです。(平成14年12月5日 メキラ・シンエモン)




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