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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

金沢の飛鳥仏 西光寺の菩薩立像
   −石川県立歴史博物館特別展「いしかわの神々」から−

 金沢には飛鳥仏はないものとずっと思っていました。それが4月29日から石川県立歴史博物館で開催される特別展「いしかわの神々」に金沢のお寺にある飛鳥仏が出るとテレビで知り、漸く都合がついて観に行ったのは展覧会も終盤の日曜日、5月下旬にしてはかなり気温が高くなった日でした。


石川県立歴史博物館
 金沢21世紀美術館から兼六園横の広坂を歩いて上がって5分ほど、去年の夏「若冲」展「広重」展を観た石川県立美術館の少し先にある、3棟並んだ二階建て赤レンガ造り「いしかわ赤レンガミュージアム」の道路側2棟が石川県立歴史博物館です。(3棟目は加賀本多博物館。)この赤レンガ造りは旧陸軍が金澤陸軍兵器支廠の兵器庫として建てました。戦後はずっと金沢市立金沢美術工芸大学の校舎になっていて、中学生のとき学校から写生に行ったことがあります。鳥を飼っている大きな檻があって、美大生が寝ているミミズクを描いていました。

 県立美術館の前をすぎると県立歴史博物館までの右手は、道路反対側の県立能楽堂の隣に移築されていた旧陸軍歩兵第9師団司令部庁舎と金沢偕行社の二度目となる移築工事の真っ最中です。2020年に東京から引っ越してくる東京国立近代美術館工芸館の建物として使われるのです。国の地方再生政策の一環、政府関係機関の地方移転について、石川県が4年ほど前に、東京国立近代美術館工芸館の移転先として工芸王国石川と呼ばれる本県はふさわしい、と提案してみたら、それって良いんじゃないの、とあっさり決まったんです。
 せっかく残っている歴史的な建造物はあまりいじくりまわさない方が良いのに・・・、と思いますが、博物館・美術館が集まっている場所に、来年から国立の美術館がひとつ加わるわけです。豪華なことですが、引っ越してきても名前は東京国立近代美術館工芸館のままらしく、通称を国立工芸館にするそうです。なんとつまらない話でしょう。

2019年春季特別展 いしかわの神々 ―信仰と美の世界―
 受付のある2棟に入ったのは10時前でしたが、気温はもうかなり上がっていて首筋に汗が流れていました。暑いですね、中に入るだけでホッとしますよ、と思わず口から出た言葉に、受付のふたりの女性はちょっと戸惑った様子で、少し間があって、ほんとですね、とひとりが返事をしました。
 特別展は1棟です。渡り廊下を廻って1棟へ、そして二階の展示室に入ると、そこはエアコンがよく効いていました。ぼくは半袖のポロシャツ姿だったから、これはちょっとまずそうだ、と思いました。見た目によらず女性と冷房には弱いんです。

 この展覧会は神像が中心ですが仏像も結構たくさん来ていました。江戸時代までの神仏習合の時代には神社に付属する神宮寺があったし、神社に本地仏(ほんじぶつ)が祀られているのはごく普通のことでした。本地仏というのは神様の真の姿であるとされる仏様のことで、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)といって、日本の神様は仏教の仏様(本地)が姿を変えて現れたもの(垂迹)、という神道を仏教と一体化させようとする理屈に基づきます。

 体が冷えてきたと思うと比較的冷房が緩やかな廊下に出て椅子に腰を下ろし、しばらくして展示室に戻るということを繰り返しながら、2時間ほどかけて展示品の一つひとつをゆっくり観てまわりました。そうやって観た数多くの仏像の中から印象深かった3体について、ちょっと書いてみます。

 その前に神像を少しだけ。たくさん来ていた神像の中で一番注目を集めていたのはリーフレットの図案にもなっている木像で、刻まれてから今日まで千年ものあいだ門外不出だったという、七尾にある久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこじんじゃ)の久麻加夫都阿良加志比古神坐像です。二本の木が合体して一本になった霊木から削り出された像で重要文化財です。平安時代の作で高さ55センチほどだから大きくはありませんが忿怒相が強烈です。神像の忿怒相は特別なことではありません。しかし、この像は明王像や神将像のように眉も眼も吊り上り彩色の剥がれも手伝って、かなり異様な感じがして見る者をギクッとさせる迫力があります。
 観覧券の図案は別の神像で、先の神像と同じ神社にある一対になった鎌倉時代の木造の随身像です。随身像というのは仁王像の神社バージョンで、神門の左右で入る者を見張る守護神像です。この2体は高さ1メートルほどで、彩色は完全に剥落していて表面も摩耗して木目があらわになっていますが、整った顔立ちがすっきりとして貴族か武家の肖像彫刻を見るようです。玉眼入りで慶派の作風というようなことを説明は書いていました。それほどとは思えませんが、優れた技法で鎌倉彫刻らしい神像といった印象です。
 来ていた神像はほとんどが能登地方からです。能登に古い神像が多く残っているのは一向一揆の支配が及ばなかったからでしょう。神像はここまでにしておきます。


 では、いよいよ仏像です。名称はぼくが勝手につけたもので、かっこの中の名称が展覧会での、ということは正式な名称です。

薬師三尊像(如来及び両脇侍像)
 一番目の展示室で最初に現れた仏像は金銅の薬師三尊像でした。所蔵は能登町の薬師寺です。能登には海底から引き揚げられたという伝承を持つ仏像が多く、この像はそのひとつです。中尊の高さが17センチほど、全体で30センチくらいの飛鳥仏です。
 中尊が結跏趺坐(けっかふざ)する須弥座(しゅみざ)の左右から延びるS字に曲がった太い棒の先の蓮華座(れんげざ)に両脇侍が直立しています。光背はありません。中尊は面長で穏やかに微笑んでいて、右手は甲を左手は掌を上に向けて膝の上です。右脇侍は冠に化仏が見え右手は水瓶を持つので観音像だとわかります。そのため薬師如来として伝わっているものの、阿弥陀如来ではないかという指摘もあるようですが、中尊と脇侍の組み合わせが確立していない時代でした。ちなみにぼくは仏像の寺伝名と姿形から知られる名称に相違があるときは、そのお寺に伝わる名称を尊重して観る、いえ、お参りすることに決めています。
 それはともかく、中尊は顔つきや裳懸が法隆寺大宝蔵院の「釈迦および脇侍像」の中尊になんとなく似ています。これだけの仏像だから重要文化財指定です。展示されているのは県立歴史博物館所蔵の複製なので前にも観ているのに、特別展で観るからかなんだか初めて観るような気がして、いつまでも眺めていたいような気がしました。

観音菩薩立像(菩薩立像)
 薬師三尊像とは別の独立した陳列棚にテレビで紹介していた飛鳥仏はありました。高さ20センチほどの金銅の菩薩像で、金沢市暁町にある真宗大谷派西光寺の所蔵です。現住職の祖母がお嫁に来るとき、小矢部(富山県)の実家から持ってきたそうです。奇特なことです。
 全体に表面が爛れていて残念なことに顔もはっきりしませんが微笑んでいることはわかります。左右対称、大きめの頭には大きな冠、スレンダーな体を反らすようにして頭とお腹を少し前に突き出した体勢、面長な顔に長い耳と両肩にかかる垂髪、法隆寺の百済観音のように先が前方に跳ね上がる両腕から下がる天衣(右は欠損)、体格に不釣り合いなほど大きな足で蓮華座に直立、という典型的な飛鳥仏の意匠です。よく見ると夢殿の救世観音のように肘を直角にまげてお腹の前で合わせた両手に宝珠を抱えています。
 冠に化仏が見えれば観音像ですが崩れていてまったくわかりません。だから展示名は「菩薩立像」です。博物館らしい慎重なことですが、作者は菩薩の姿をした像を造ったんじゃなくて、名前を持った菩薩像を造ったはずです。観音菩薩像に決めてもいいんじゃないかなと思います。
 この観音様は最近になって知られるようになったらしく、これが初公開だそうです。ぼくは飛鳥仏好きだから、よくぞ外に出してくれました、と心のなかで拍手していました。

阿弥陀如来坐像(阿弥陀如来坐像)
 羽咋にある正覚院にご本尊として安置されている平安時代後期の阿弥陀如来像です。像高110センチほどで重要文化財に指定されています。元は気多社神宮寺講堂の本尊で、明治元年の神仏分離令による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏像破壊運動が起きたおり、神宮寺の一院だった正覚院に移されたそうです。その由来の故か大きいからか重要文化財だからか特別扱で・・・、いや、やはり立派に見えるからでしょう、2番目の展示室の奥まったところに、二段に作った壇の上に展示しています。背後には左右に同寺の大きな懸仏(かけぼとけ)です。
 寄木造で彫りは浅く納衣(のうえ)のひだもゆったりとして頬のふくらみの少ない藤原仏です。漆箔は後補だそうでよく残っています。上品上生(じょうぽんじょうしょう)に印を結ぶ穏やかな顔の阿弥陀如来像は、観る人を京都のお寺にでも来ているかのような気分にさせます。伏見寺の貞観仏、金銅の阿弥陀如来坐像に負けていません。
 能登にこんな仏像があったなんて知りませんでした。西光寺の観音菩薩立像は期待していた収穫でしたが、この阿弥陀様はサプライズだったから、今日一番の収穫だったかもしれません。(西光寺と薬師寺の飛鳥仏もそうですが、載せることのできる写真がないのは残念です。石川県立歴史博物館のHPで見てください。)


 「いしかわの神々」という特別展なら、しらやまさん(白山比盗_社)の境内から出土したという、白山の主峰御前峰(ごぜんがみね)に坐す菊理姫神(くくりひめのかみ)の本地仏、鎌倉時代に造られた十一面観音菩薩坐像懸仏(東京国立博物館所蔵の重要文化財)は絶対に外すことはできません。県立歴史博物館が所蔵する複製が展示されていました。でも、あまり関心がいかず、横目で見て前を通りすぎていました。はじめて観るわけではなかったし、よく知られている仏像だったから、はじめて知った神像や仏像をたくさん観たあとだと新鮮味がなかったみたいです。
 同じようにはじめてではなかった薬師三尊像が印象深かったのはぼくが飛鳥仏好みだからですが、展示順も本地仏ではなかったから初めの方で、まだ神像もほかの仏像も観ていなかったことも関係したんだろうと思います。なにが心に残るかはその人の価値観が決めますが、それはその場だけその時だけの価値観なのかもしれません。(2019年6月7日 メキラ・シンエモン)


写真:メキラ・シンエモン



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