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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

泉鏡花の源氏香

 兼六園下バス停の傍に立つ前田利家の銅像から白鳥路を大手町の方へ向かってしばらく歩くと、左手に金沢生まれの三人の作家の銅像が並んで立っています。まん中が泉鏡花で向かって左が室生犀星、右が徳田秋声です。この三人を「金沢の三文豪」と地元では言っていますが、文豪と言っても差し支えなさそうなのは鏡花だけで、犀星は三年ほど前に小説「蜜のあわれ」が再映画化されていましたが、やはり詩人とすべきだし、秋声は川端康成が小説の名人と呼んだそうですが、今ではあまり読まれてはいないようです。
 それはともかく、この三体の肖像彫刻は三人の人柄をよく表しているように思います。犀星は気むずかしい感じ、鏡花はこだわりが強そう、秋声はスーツを着てダンディーです。また、三つの像の置かれている間隔をよく見ると、鏡花と秋声の間より鏡花と犀星の間の方が離れていてバランスが崩れています。偶然ではない気がします。鏡花と犀星は仲が悪かったので、わざとすこし離して置いたのかもしれません。ちなみに犀星は秋声とは仲が良かったようです。秋声は鏡花とはふたりの師匠だった尾崎紅葉が亡くなるまでは親友でした。そんな三人の人間関係も見えるような三文豪の像です。

金沢の三文豪の像


 まん中の鏡花の像をよく見ると、まるで置物のようなウサギを両腕で大事そうに抱いています。鏡花は母親から、向かい干支(十二支を円形に並べたとき自分の生まれ干支の対称の位置にある干支)は縁起が良いと聞き、酉年生まれだったのでウサギをいろんなものの意匠に使っていたそうです。また、源氏香(げんじこう)の六番目の図案を替え紋(非公式の場合や装飾として用いる家紋)として愛用したといいます。鏡花は尾崎紅葉の弟子でした。


 源氏香というのは、そういうものがあって、こういう図案のものを指すということを、知っている人は結構多いみたいです。源氏香は横に並べた五本の(縦棒)と、それを繋ぐ(横棒)を組み合わせた五十二の図案です。服地の柄や芸術品・工芸品などの紋様に用いられているのをたまに見かけます。
 では、この図案をなぜ源氏香と呼ぶのかということになると、もしそれを訊かれたら、源氏が使っていたのか、源氏物語に関係あるのか、でも、なんで香なの、と考えてしまい、こういうことだからです、と答えることのできる人は、そんなに多くはいないのではないでしょうか。

 先日、と言って、もう一月ほどにもなりますが、金沢市武蔵町にあるお香を専門に扱っている、その名も香屋(こうや)というお店で、香道(こうどう)というものを、ほんのちょっとだけですが体験しました。
 香道は、道というのだから茶道や華道の類だろうか、と想像すれば、それほど間違ってはいないと思います。茶道などとの一番の違いは、香道は一種のゲームだということで、組香(くみこう)という香りの当てっこをします。また、香道では、香の臭いを嗅ぐことを"香を聞く"と表現し、その行為を聞香(もんこう)と言います。
 ぼくが体験したのは三つの香を順番に聞いて、何番目と何番目が同じかを当てるというものでした。もうちょっと詳しく書くと、一本の沈香(じんこう)という香木から異なる三か所の部位を削り取って、その一つひとつを三つに分けて紙で包んで合計九つの包みを作り、それをシャッフルした中から無作為に三つを取り出し、それらを順番に香炉で焚いて香を聞き、その同異を紙に書きます。これを何人かでやってどれだけ正確に聞き比べられたかを競うわけです。
 その紙に書く書き方というのは、三つの香を三本の(縦棒)で表し、同じだと思った香の縦棒の上端を(横棒)で繋ぎます。その組合せは、全部同じ、二つ同じが三組、全部違う、の五通りになります。それぞれに名前が付いていて、それも紙に書きます。
 この組香が単にゲームではないのは、その所作が茶道のようにいちいち厳格に決まっていて、答えの当たり外れより、この所作の完成度がどれだけ高いかが重要ですが、もっと重要なのは、聞香を心ゆくまで楽しむということです。だから香道と言うんでしょう。とても日本的ですね。

泉鏡花の替え紋 紅葉賀  ここまで書けば、もうわかったと思いますが、源氏香はこの組香のひとつで、聞き比べる香の数が五つです。二つ増えただけで、その組合せの数は五十二に飛躍し、その一つひとつに源氏物語の各帖の名前が付けられています。
 泉鏡花が源氏香の六番目の図案を替え紋に用いていたのは、六番目に付いている名前が「紅葉賀(もみじのが)」だったからで、つまり師匠だった尾崎紅葉の名前の洒落だったわけです。そこまで紅葉のファンだった。いや、それほど師を尊敬し慕っていたんでしょうね。(右の画像は泉鏡花記念館の招待券で、源氏香の六番目の図案「紅葉賀」が意匠に使われています。)

 ここで終わってもいいのですが・・・、と書くと、またなんか変なこと考えて・・・、と思うでしょうが、実はそのとおりで、ちょっと気になったことがありました。
 それは、すぐに気が付くことですが、源氏物語は五十四帖だから源氏香が五十二の図案だと言うのなら、源氏香は数が二つ少ないことになります。それに「紅葉賀」は源氏物語の七番目の帖なので、ひとつ前にずれています。
 そこで源氏香の一覧図(「源氏香の図」と言います)を見てみると、源氏物語の最初の帖「桐壺」と最後の帖「夢浮橋」が除かれているんです。除いたのが、なぜ「桐壺」と「夢浮橋」なのか、という疑問を普通は持つと思いますが・・・、源氏物語はかなり昔に谷崎潤一郎訳を中公文庫で一回読んで、こういう物語は自分には向かない、と決めてしまったぼくは、その疑問の代わりに、五つから任意の数を選んでセットにする組合せの総数は本当に52なんだろうか、ということを、迂闊にも思ってしまいました。

 「源氏香の図」に出ている図案の数を組み合わせ方別に数えると、2本繋ぎが10、3本繋ぎが10、4本繋ぎが5、2本繋ぎ2組が15、2本繋ぎと3本繋ぎの組合せが10、そして5本繋ぎと1本も繋がないがそれぞれ1の合計52となっています。印をつけながら、いち、に、さん、し、ご・・・と数えてみました。 
 これが実際に現れうるすべての組合せになっているのかどうかを見てみようというのです。もし漏れていたら組香の答えを書くときに、あれっ、この組合せは「源氏香の図」にはないよ、何回見てもやっぱりない、変だな、ということになってしまうから、そんなことはあり得ないので、だからこんなこと考えるのは無意味で暇な話なんですが・・・、でも、いいでしょう、やってみるのも。
 それで、52ならたいした数でもないから、一つひとつの組合せを実際に図に描いて「源氏香の図」と突き合わせてみよう、というのかと言うと、そうはしないで、試しにここはひとつ計算で数を出してみようと思います。(下の図は香屋で組香を体験したときにもらったものです。)


 これは組合せの数をかぞえる算数の問題です。先ず、5本の中から2本を選んで繋ぐ組合せですが、これは簡単です。5本それぞれに残りの4本から1本を選んで順々に組み合わせていきます。すると例えば、1番目と2番目、2番目と1番目、のように結局は同じ組合せになるものが二つずつ出てくるから、半分にしてやります。
5×4÷2
=10
となり、「源氏香の図」と合っています。

 次に3本繋ぎは、これはそう単純ではないので、n個からr個を選んだときの組合せの数を出す計算式、n!÷(r!(n−r)!)を使って計算します。ワードで書くとこんな書き方になって解りづらいですが、すなわち、nの階乗をrの階乗とnからrを引いた数の階乗の積で割る、という式です。(2本繋ぎもこの式で計算できます。)
 この式に、n=5、r=3を入れて計算すると、
5!÷(3!×(5−3)!)
=(5×4×3×2×1)÷(3×2×1×2×1)
=5×4÷2
=10
となるので、これも「源氏香の図」と合っています。
 ところで、こういう考え方もできます。5本から3本を選ぶということは、残りは2本なのだから、5本から2本を選ぶのと同じことだという考え方です。すなわち答えは2本繋ぎと同じだから10で計算式の答えと合います。

 その次の4本繋ぎも3本繋ぎ同様に考えて、5本から4本を選ぶということは、残りは1本だから、1本を選ぶのと同じだと考えれば答えは5になり、「源氏香の図」と合います。
 計算式、n!÷(r!(n−r)!)を使って確かめてみると、n=5、r=4だから、
5!÷(4!×(5−4)!)
=(5×4×3×2×1)÷(4×3×2×1×1)
=5
となり同じです。

 次は2本繋ぎ2組ですが、これはちょっとややこしくなって重複組合せの数を出す計算式、(n+r−1)!÷(r!(n−1)!)を使います。n=5、r=2を入れて計算すると、
(5+2−1)!÷(2!(5−1)!)
=6!÷(2!×4!)
=(6×5×4×3×2×1)÷(2×1×4×3×2×1)
=6×5÷2
=15
やはり「源氏香の図」と合っています。
 この場合も考え方を工夫してみると、先ず、2本繋ぎの2組がどういう形で組み合わされるのかを考えると、2組をそのまま横に並べる、1組をもう1組の中に入れ子のように入れる、2組を縦棒と横棒が交差するように重ねる、の3通りです。この2本繋ぎ2組がとる3通りの組み合わせ方の各々で、どれとも繋がっていない残りの1本が、右端、右から2番目、真ん中、左から2番目、左端、の5か所の位置に入って来ることになるから、組合せの数は3×5=15となります。計算式の答えと合います。

 では、最後に2本繋ぎと3本繋ぎの組合せです。これは計算式があるんでしょうか、ないみたいです。でも、これは2本繋ぎと同じです。なぜなら、ここまでみてきた計算式を使わないやりかたで考えると、5本の内の2本を繋げば残りは3本になるから、その3本をすべて繋ぐと考えれば良いからです。もちろん、3本繋ぎと同じと考えても良いわけです。すなわち、この組合せの答えは10です。これも「源氏香の図」と合っています。

 ということで、計算してみた結果、「源氏香の図」はすべての組合せを網羅していました。当たり前のことですがね・・・。


 ところで、ぼくが体験した組香はどういう結果だったのかというと、正解は二番目と三番目が同じで、参加したのは七人でしたが、先生が教える所作なんかそっちのけで、皆でワアワア言ってやりながらも四人が当てました。なんだ割とよく当たるんじゃない、と思うかもしれませんが、三つしかないのだから香りを憶えるのは楽だし、全部同じと全部違うは出てくる確率が低く、一番目と二番目、一番目と三番目、二番目と三番目という三組のうちのどれかである確率は高いから、なかにはあてずっぽうで当たった人もいたでしょう。ぼくですか、ぼくは・・・ちゃんと判りましたよ。(2019年7月19日 メキラ・シンエモン)


写真:メキラ・シンエモン



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