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法隆寺 大宝蔵殿の法隆寺秘宝展

 法輪寺からてくてく歩いてきたぼくらは法隆寺東院の四脚門まで来て、さて、どうしようか、と考えています。門の内は夢殿で境内を接してとなりは中宮寺です。法隆寺は正当に西院の金堂から順に観ていきたいという思いと、行ったり来たりはムダだから先に夢殿と中宮寺を観たあと西院に行こうという効率論のせめぎ合いです。ぼくらは四脚門を入りませんでした。東院の拝観券は西院との共通券で、それは西院で買わないといけないことを、この時はまだ知りません。


大宝蔵殿
 東院伽藍と西院伽藍をつなぐ参道は長く、しばらく歩いてようやく西院の東大門です。東大門を入るとまた長い参道です。参道の左側は若草伽藍の跡で塀の内に塔の芯礎が残っています。法隆寺は607年の聖徳太子の建立からあまり経たない670年に焼失したと日本書紀に書いてあり、今の法隆寺はその火災のあとすぐに再建されたものだというのです。その焼失した寺の跡を若草伽藍と呼んでいます。

東大門の手前から夢殿の方を望む
法隆寺 西院 東大門から西院伽藍方向
東大門から西院に伸びる参

 東大門を入ってすぐの右側に大宝蔵殿があります。20年前までは百済観音や玉虫厨子などよく知られた法隆寺の宝物はみんなここに入っていましたが、今はすぐ近くに新築された大宝蔵院に移っています。大宝蔵殿と大宝蔵院、殿と院の一字違いだから紛らわしいですね。ぼくがかつて百済観音を観たのは殿の方でした。
 大宝蔵殿は大宝蔵院ができてからは通常非公開の寺宝の収蔵庫になっているらしく、春と秋の2回「法隆寺秘宝展」が開催されます。きょうは秋季展をやっています。ぼくらはこの展覧会を先に観ることにしました。イレギュラーだからです。つまり今回のおまけみたいなものだから、先に観ておこうというのです。それに秘宝展と言っていますが百済観音、九面観音、玉虫厨子、橘夫人稔侍仏よりいいものがあるわけがなく、もしあれば大宝蔵院に入っているはずで、大宝蔵院を観てからではきっとがっかりするだろうという予想もあって先に観ておきます。

中蔵 天蓋天人
 大宝蔵殿は中蔵と南蔵にわかれていて、展覧会は中蔵から入って南蔵から出るようになっています。入ってすぐの展示室に金堂の天蓋(てんがい)に付いている天人と鳳凰が展示してありました。天蓋というのは仏像の頭上に天井から吊り下げた飾りで、法隆寺金堂の天蓋は東の間(薬師如来)、中の間(釈迦如来三尊)、西の間(阿弥陀如来)にそれぞれあります。檜材で作られていて彩色がほどこされています。
 天人は笛を吹き琵琶を弾いています。中宮寺の如意輪観音像のように髪を双髷(そうけい)に結ったお澄まし顔が、どことなくかわいいお人形さんみたいな姿です。鳳凰は鶏か雉に似た姿が普通ですが、これは簡潔な造形がいかにも架空の鳥っぽく、現代的でシャレたデザインです。天人といい鳳凰といい、古代人のセンスに感心します。天人も鳳凰も天蓋の上部にいくつも取り付けられているから、欠けているのが目立たないように外してきて展示しているんでしょう。金堂内は薄暗く天蓋は高いところにあるから、こうして間近で観られるのは嬉しいことです。知っている仏像などはないものと思っていたからこれは意外でした。

聖観音菩薩立像
 珍しい仏像がありました。善女龍王像です。善女龍王というのは法華経に出てくる、覚りを得ることができないとされる女性が成仏できるという話の主人公です。石川県立七尾美術館に長谷川信春(等伯)の描いた「善女龍王図」があります。テレビで観たことがありますが、剣を手にした童女の背に龍が現れている絵でした。大宝蔵殿の像は構図が同じながら童女ではなくて神将の姿です。

 ほかに珍しいというと前鬼後鬼(ぜんきごき)がありました。前鬼は男の鬼で後鬼は女の鬼、役小角(えんのおづぬ:修験道の開祖)に付き従った夫婦の鬼の像です。法隆寺と修験道は関係ないと思いますが・・・。それから円空の大日如来坐像があります。でも鉈彫りは比較的滑らかで円空仏らしさはありません。法隆寺の子院宗源寺で元管長の高田良信さん(故人)の奥さんが見つけたといいます。これも、円空仏が法隆寺にある、ということで珍しいと言えば珍しいでしょう。

 中蔵の展示で最後の仏像は奈良時代の立派な聖観音菩薩立像でした。この仏像は重要文化財で、戦前は金堂で橘夫人稔侍仏厨子を間に挟んで百済観音と一緒に北向きに安置されていたようです。亀井勝一郎はこの聖観音像について、「大和古寺風物誌」の「法隆寺」の章に「橘夫人念持仏の厨子を中心にして、左側に百済観音、右側に天平の聖観音が佇立していたが、それを比べるともなく比べて眺めながら、しかし結局私は百済観音ただ一躯に茫然としていたようである。(初旅の思い出)」「ところがそういう私にとって、念持仏厨子の右側に立つ天平の聖観音像が、何となく親しみふかくみえてきたのである。百済観音像に比すれば、天平のこのみ仏は、成熟した女体をうつしたように生ま生ましく人間に近い。(金堂の春)」と書いています。
 かつてはともに金堂に安置されていたのに、方や常時公開の大宝蔵院のご本尊、方や通常非公開の大宝蔵殿の片隅でひっそり。どちらも仏堂から収蔵庫に出されて文化財としての価値の原理で存在している点では同じなのに、ほかにどんな仕分けの原理が働いたというんでしょう。人気でしょうか。


南蔵 毘沙門天立像と吉祥天立像
 南蔵最初の部屋は絵画ばかりの展示です。その次の部屋へ入って目を奪われました。すごい、すばらしい、美しい、これが本当の姿、と驚嘆し感動しました。ぼくはこれまでなにに心をゆすぶられていたんだろう、和辻哲郎も亀井勝一郎も間違っていた、すべての仏像ファンは間違っている、と刹那に思いました。ミキオ君もおなじ思いらしく目を丸くしています。ぼくらの目の前に、金色(こんじき)に輝く玉虫厨子(白鳳時代)と、極彩色鮮やかな金堂の毘沙門天立像・吉祥天立像(藤原時代)がありました。それは、漆箔や色彩がほとんど剥落した仏像のくすんだ色しか知らなかった目にはあまりに眩い光景でした。
 ぼくらが観ている厨子と2体の天部像はもちろん復元されたものです。どこまで正確に再現されているのかは知りません。でも、古代の人々はこういう色彩で見ていたのかと、ぼくらは衝撃につつまれていました。
 厨子や仏像がこうならお寺の内部も外観も同じように眩しく輝いていました。森と川以外はなにもない盆地に建つ壮麗な堂塔。その内部は華麗な別世界です。それは日本人が経験した最大の造形と色彩の革命だったんじゃないかと思います。

 ぼくらが古寺をめぐって目にする仏像の姿は、形は崩れ色が褪せ煤で汚れた哀れな姿です。1000年以上も経った後に、その哀れな姿に趣を見つけて陶酔する人々が現れるなんて、発願者や仏師のだれひとりとして考えることも思うこともなかったはずです。
 ぼくらは作った人々により予定されていなかった荒廃という美を、思考と感情が複雑にからみ合った感覚の世界に無断で創り出して悦に入っているんです。これはちょっとしたショックでした。この気分は時間を空間で認識できる現実に復元された仏像を見たからで、見たのが同じ偽物でもCGやVRだったら絶対にわからなかったでしょう。そして戒壇堂の四天王像新薬師寺の十二神将像興福寺の阿修羅像も復元でもよいから完成直後の眩しい姿を観てみたくなりました。
 まあ、そんなに興奮することもないんですが、ちょっと大袈裟だったかもしれませんが、気分はこんな感じでした。


 南蔵を出たぼくらは参道の脇で、さて、どうしようか、と考えています。今度はなにを・・・。金堂へは行かないで、すぐそこにある大宝蔵院へ行ってしまおうか、やっぱり金堂から観ることにしようかと迷っています。一旦金堂へ行きかけて引き返し、やっぱり大宝蔵院にしよう、脚も疲れたし近場から攻略していこう、展示館の次はやっぱり展示館でまとめようと決めました。
 そして大宝蔵院の拝観受付に来ました。ここではじめて知りました。法隆寺の拝観券は西院伽藍と大宝蔵院と東院伽藍が1枚の共通券になっていて、それは西院の拝観受付で買うのだと・・・。(2018年11月11日 メキラ・シンエモン)

次は法隆寺西院伽藍の金堂と五重塔です。

写真:メキラ・シンエモン


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