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佐保路シリーズII

ひみつの大安寺  奈良国立博物館の特別展 大安寺のすべて

 三月堂のあとは奈良博という略称で親しまれている奈良国立博物館へ行きます。本館で特別展「大安寺のすべて −天平のみほとけと祈り−」が開催されていました。もちろんあとで別館の「なら仏像館」にも寄ります。今回の小旅行はこれに合わせての日取りだったわけではなく日程を決めたあとで奈良博の大安寺展を知ったのでした。もっともミキオ君はずっと前から知っていたようです。おととしの佐保路仏像巡りの続きだからPART2だなんて言いながら法華寺と海龍王寺をネグったのも大安寺展を観るための予定変更でした。
 大安寺へは5年前の秋にミキオ君と行っています。当尾からの帰りでした。思いがけず時間ができたのでミキオ君に大安寺様式と呼ばれる仏像群を見せてやりたいと思い行ったのですが・・・、それが4時半までだと思っていた拝観受付が4時までだったんです。着いたときにはとっくに時間が過ぎていました。お目当てだった宝物殿は諦めるしかなく本堂でご本尊の十一面観音菩薩立像を見せてもらいました。ちなみに、ぼくがはじめて大安寺へ行ったのは45年以上も昔のことでした。ややお年に見える痩躯の住職さんが丁寧に讃仰殿(さんぎょうでん:宝物殿)へ案内してくださったのを今でも鮮明に憶えています。
 今回の特別展は宝物殿の修理に伴う企画だそうです。お寺全体が奈良博へ引っ越してきたかと思うような規模で仏像もほとんどが出ていました。大安寺と縁のあるほかの寺々からも関連する多くの貴重な文化財が来ていて、なるほど、大安寺のすべて、というのが決して誇張ではない充実した展示内容です。でもぼくが観たいのはほぼ仏像だけでした。



大安寺のひみつ
 大安寺というお寺は世間にあまり知られていません。ぼくもあの独特の様式をもった仏像群が存在していなければきっと知らなかったと思います。いや、ぼくに限らず大安寺を知る人のほとんどは同じ、すなわち仏像ファンだろうと思います。そのぼくら仏像ファンも大安寺そのものについてはよく知りません。それを証明するかのように今回の展覧会では普通によくあるなんのおもしろみもない真面目なパンフレットのほかに、東大寺展や薬師寺展では考えられないような気楽な体裁のおもしろいパンフレットが用意されていました。受付で入場料を払ってチケットの半券といっしょにもらいます。学生が使う大学ノートか学習ノートをまねたデザインで中身はイラスト付きのくだけた感じの記述が、しかし読んでみればよくできていて手際よい編集が必要な情報をすべて入れ込んでいました。パンフレットの表題は「大安寺のひみつ オニやんの展覧会レポート」です。「オニやん」というのは奈良時代の鬼瓦を擬人化したこの大安寺展限定のいわゆるゆるキャラですが、文言はどこかキャッチコピー風で「ひみつ」となっていますね、なにか謎を秘めたお寺のような・・・、でも大安寺に秘密などなく、ただ単に世間にあまり知られていないというだけでそれを世間から隠れていると見て「ひみつ」と言ったのか・・・、あるいは修旅の学生向けに気を引くような表題にしたのかもしれません。どっちにしろ、あまり知られていないけれどしかし重要な古刹の展覧会で、これは関心を呼び起こす良いアイデアに思えました。しかし「ひみつ」というのは、なるほど、大安寺をうまく言い表しています。

大安寺様式
 大安寺には大安寺様式と呼ばれる一風変わった雰囲気の仏像が9体伝わっています。その9体とは、本堂の本尊で秘仏の十一面観音菩薩立像、嘶堂の本尊で秘仏の馬頭観音立像、あとは宝物殿の楊柳観音立像、不空羂索観音立像、聖観音菩薩立像、持国天立像、増長天立像、広目天立像、多聞天立像です。作者は複数、それも二名や三名ではないみたいですが、にもかかわらず統一されたような共通した表現様式が簡単に見て取れます。一木造り、がっちりした体躯、精緻な彫刻など、同じ天平仏ながら東大寺の三月堂の乾漆像や戒壇堂の塑像とはだいぶ違った印象です。この9体はいずれもひび割れ破損虫食いがひどく無慚にも見えるほど傷んでいます。補修もされていてきれいな仏像ではありません。でもこういう仏像を観てこそ本当の仏像ファというものです。9体のうち展覧会には馬頭観音菩薩立像を除く8体が出ていました。というのは、展示の一部は前段と後段で入れ替えがあって馬頭観音菩薩立像は後段で前段の十一面観音菩薩立像と交代することになっていました。そう、ぼくらは前段の展示を見ています。

楊柳観音菩薩立像
 大安寺様式の代表と言えるのが楊柳観音菩薩立像です。彫刻の出来栄えは十一面観音菩薩立像が一番ですが容姿を言えばこの楊柳観音菩薩立像がこれこそ大安寺といった気分に溢れています。この像の展覧会での名前は伝楊柳観音菩薩立像となっていて「伝」の字が付いています。これは日本美術の本はみなそうなっているから博物館もそれに合わせているんだと思いますが、楊柳観音というのは経典・儀軌に典拠がないそうで、帰りに売店で買った図録によれば元は馬頭観音、頭に馬の首を載せた馬頭観音だった可能性が高いそうです。ぼくは、お寺が楊柳観音なんやと言えば楊柳観音でいいんじゃないの・・・と思う方です。中宮寺の如意輪観音と同じですね。ちなみにこの像に限らず十一面観音菩薩立像を除いて大安寺のすべての仏像には「伝」の字が付いています。それはともかくこの楊柳観音菩薩立像の顔は一度見たら忘れられない緩やかな忿怒相です。この忿怒相が馬頭観音だった可能性があるという図録の解説の根拠なんですが、緩やかな忿怒の顔というのは反って不気味、得体の知れない不気味さを感じます。忿怒仏といえばまず名前の挙がる東寺の持国天と戒壇堂の広目天のその整った忿怒相よりもっと恐ろしい顔かもしれません。そんな忿怒の相は異様とも言えますが、ぼくはそれゆえこの仏像が大安寺を代表する仏像に思えます。いやもう大安寺の顔です。奈良博もそう思ったみたいで、受付でもらう学習ノート仕様じゃない方のパンフレット、どうぞ自由にお持ちくださいと館内に置いてある普通のパンフレットとチケットの図柄に主役として採用しています。

大安寺のひみつ

多門天立像
 展覧会に来ている8体のなかに四天王立像があってワンチーム4体がすべて揃っています。揃っているといっても元はそれぞれ違うチームにいたことは明白です。4体の作風はバラバラで作者が同じとは思えません。しかしカヤの一木造(昔はヒノキの一木造と言われていました)、堂々とした太めの体躯、邪鬼を踏まず岩座に載るところなど共通点もあります。ボーと見ていれば一具だと思ってしまうでしょう。大安寺は舒明天皇の創建、つまり飛鳥時代から続く由緒正しいお寺で、平城京に移って大安寺となったとても規模の大きなお寺でした。たくさんの堂宇があってその一つひとつに本尊が祀られ四天王像が安置されていたことでしょう。時代の移ろいと共に寺が衰退し伽藍が徐々に失われていく中で各お堂の生き残った四天王立像を寄せ集めたいくつものチームがあったにちがいなく、そのなかで今日まで伝わったのがこのチームなんじゃないかと・・・。以上はいつもの妄想です。
 妄想ではなく4体のなかで多聞天立像(昔は増長天になっていました)がもっとも優れています。楊柳観音菩薩立像と並ぶ大安寺様式を代表する仏像です。ひとりだけ冑を被った精悍な顔つき、冑や胸当などの華麗な装飾と二の腕袖口の獅子噛(しかみ:獅子の頭の形をした飾り)の精緻な彫刻、だれが見ても一目でわかるスキルの差です。

西から来た2チームの四天王立像
 しかし馬頭観音立像が観られなかったのは残念でした。そのネーミングがぼくのお気に入りの嘶堂(いななきどう)の本尊です。ぼくはまだ実物を観たことがありません。秘仏で毎年三月だけの公開なんです。三月は何かと気忙しくて小旅行といえどもなかなか・・・でしょう。その代わりにはなりませんが思いがけず珍しい仏像を観ることができました。興福寺北円堂の四天王立像そっくりの四天王立像が2チーム来ていたんです。もちろん大安寺との関連からですが、大分の永興寺と香川の鷲峰寺からです。どちらも北円堂像には遠く及ばない出来ですがどこか言うに言われない魅力があり地方仏の良さを感じました。思わぬ収穫でした。そのほかにも目を惹く仏像が多々ありましたが、これ以上焦点をぼかしたくないので書くのは止めておきます。


 お腹が空いたら奈良博のレストランでカレーでも食べるつもりでいましたがそれほど空腹感がなくそのうちラストオーダーの時間が過ぎてしまってそのまま「なら仏像館」へ移動です。ここにも思いがけず珍しい仏像が来ていました。それがどういう風の吹き回しか写真撮影可と書いて貼ってあったんです。その仏像とは吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)山門の仁王像2体です。山門が修理中で奈良博へ来た避難民でした。戒壇堂の耐震化工事で去年から東大寺ミュージアムに身を寄せている四天王立像と同じ事情です。そう言えば5年前の4月、ミキオ君が靴下までびしょ濡れにするほどの激しい雨の中、奈良博へ快慶展を観に来たついでに寄った「なら仏像館」で出遭った大阪河内長野の金剛寺金堂の降三世明王坐像も金堂修理のために奈良博が預かっていたのでした。お預かりは「なら仏像館」の大切な使命、ひとつの大事な機能です。それはともかく金峯山寺の山門の金剛力士立像ですよ、巨大です、5メートルを超えています(写真で阿形像の前に立つのはミキオ君)。なるほどこれなら写真を撮られてもビクともしないでしょう。写真は金峯山寺が許可したんでしょう、いや、あるいは積極的に撮ってほしいという意向かもしれません。そう、写真を印刷して玄関にでも掛けておけば泥棒は入って来られず厄除けにもいいかもしれません。ぼくはしませんが・・・。(2022年6月20日 メキラ・シンエモン)


 5月20日の奈良への2年ぶりの小旅行、佐保路の仏像巡りPART2は7回にわけて書くのにちょうどひと月掛かってめでたくここで終わりです。



写真:メキラ・シンエモン


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