2-20

奈良国立博物館 なら仏像館と快慶

 興福寺へ行ったら、そのすぐ北にある奈良国立博物館、通称「奈良博」にも行くことにしています。奈良博の本館は明治時代の洋風建築で、7年ほど前に仏像だけを展示する「なら仏像館」となりました。おととし興福寺を訪れたときは、先に京都の東寺に行ったので寄る時間がなく、去年は「なら仏像館」がリニューアル工事中で、しかたなく新館で「信貴山縁起絵巻」展を見たのでした。
 ぼくがミキオ君と奈良の仏像を巡るのも3年目になる今年、ようやく「なら仏像館」を観ることができました。その日、新館では特別展「快慶」が開かれていました。


なら仏像館
奈良国立博物館 裏側 4月下旬の朝から雨が降る日、すこし強くなってきた雨と風の中を、興福寺北円堂から「なら仏像館」を目指して歩きます。この天気ではやはり観光客もまばらで修学旅行生の姿もありません。どこまでがそうなのかはっきりしない興福寺の境内を抜けると「なら仏像館」が見えてきます。見えているのは入口とは反対側、つまり裏ですが、それにしては立派すぎるように見えるのは元々こっちが正面だからです。建物の脇に小道があって、そこを通って入口にまわろうと思ったら、行けたかな、とミキオ君が不安そうにするので、県庁前の通りの歩道から行きます。歩きながら見れば、脇の小道からも行けました。ミキオ君は靴のなかに雨が浸みてきたらしく、靴下まで濡れてしまったみたいで、いやな顔をしています。

 雨の日をわざわざ選んだわけではありません。気楽な趣味の旅でも、天気を選べないことがあります。予報は数日前から雨だったから、今回は博物館中心のメニューにしようと考えました。京都国立博物館と三十三間堂を観て、それから奈良博と興福寺、そのあと西ノ京へという計画です。それが前の日の夜になって、京都は後にして、まず奈良へ行こうと予定を変えました。奈良博に時間を多く取りたいと思ったのです。

寄託された仏像
 濡れた傘をたたんで傘立てに置くと受付で観覧料の520円を払います。半端の20円というのはなんだろう・・・、とにかくなかに入ります。展示室は外観と違って近ごろの博物館風で広く明るくきれいです。
 「なら仏像館」の御本尊は坐高2メートルの巨大な降三世明王像です。鎌倉時代の作ですが、普通に見られる四面八臂足下にシバ神を踏みつけた立像の降三世明王像ではなく、むしろ不動明王に近い姿の坐像で、群青の肌とギョロリとした眼が、あたりを制圧するかのような迫力です。奈良博の所蔵ではなくて、大阪の金剛寺から寄託されているそうです。
 展示されている仏像の多くは奈良博の所蔵ですが、なかにはこの降三世明王像のように寄託されている仏像もあります。元興寺の薬師如来像、岡寺の義淵僧正像、秋篠寺の梵天像は明治時代から寄託されていて、寺に戻ったことはないそうです。聖林寺の十一面観音菩薩像や法隆寺の百済観音像、興福寺の阿修羅像などの仏教美術の頂点にある名品も、奈良博に寄託されていたことがあったといいます。

 いくつかの展示室を過ぎてすこし奥まった部屋に入ると、ガラスケースに収まって、ふたつ並んで立っている1メートルほどの大きさの神将像がありました。傾げた顔の左頬に左手を当て右手の拳を左肘の下に宛がって、上目使いになにかに悩んでいるような表情をした像と、毛髪を逆立て口を横にキッと結んで睨む普通に憤怒相の像です。そうだった、と思い出して、室生寺の十二神将像だよ、奈良博に2体が寄託されているんだよ、とミキオ君に教え、近くに寄ってふたりでしばし眺めました。展示されていたのは未神(みしん)と辰神(しんしん)でした。
 十二神将は中世以降干支の十二支と結びつけられ、未神はアニラ大将または波夷羅(はいら)大将または珊底羅(さんてら)大将に対応し、辰神は波夷羅大将またはアニラ大将または因達羅(いんだら)大将または迷企羅(めきら)大将に対応します。(室生寺から寄託されている十二神将は入れ替えがあるみたいで、帰ってから昔の美術全集を見ると、この2体は金堂の十一面観音菩薩像の前に並んでいました。)

かわいい金銅仏
 せいぜい高さ30センチほどの小ぶりな仏像が、たくさん集められていることころに来ました。飛鳥時代の金銅仏です。朝鮮半島からのものが多いようで、個人が祈りの対象として身近に置いてお参りしていたものがほとんどだといいます。
 ひとつもらえないかなぁ・・・。くれないでしょ、と横でミキオ君は笑っています。こういうのが好きなんだよ・・・。えっ、まさか、とミキオ君は不思議そうにしていました。ぼくは、日本に仏教が伝わったころの造形もどこかぎこちないけど、金属製ながらほのぼのとした暖かみを感じる、このかわいらしいサイズの仏さんたちに若いころから魅かれていました。自分で造ろうかな。
 さあ、次は、新館の「快慶」展です。快慶はどこか気になる仏師です。

新館 特別展「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」
 仏像の知識をイラストと模型でわかりやすく解説する、いかにも奈良博らしいこだわりの展示が並ぶ、地下街か地下鉄の連絡通路を思わせる回廊を通って、去年「信貴山縁起絵巻」を見て失敗した新館へ入ります。そう、あれは良くなかった。
 なにがどうしたのかというと、展示と鑑賞の方法は、ガラスケースのなかに収まった絵巻を誘導索に沿って一列に並んで通過しながら見るようになっていました。見始めて少し行ったところで先に進まなくなったから前方を見ると、長い列の先頭にいる爺さんがじっと動かないで絵巻を見ています。係員は気が付かないのか見て見ぬふりなのかそれとも居眠りしているのか、このほかの人の迷惑を考えない爺さんを放置したまま、進むように促すこともしないから、なかなか来ないバスをきちんと並んで待っている列のようになっていたのです。
 ようやく列が動き出した時には、もうぼくは気持ちが宙に飛んでしまっていたから、「延喜加持の巻」の剣の護法童子(剣鎧童子)が天空を雲に載って駆けてくる場面を見ても、あの剣の衣だけど、あんなもの着ていたんじゃ血だらけになるよ、とか、童子という割に頭が禿げているねぇ、とかミキオ君相手にふざけて、絵巻をあまりちゃんと見なかったんです。

孔雀明王
 受付で1500円の当日券を買って入ります。入口で来場者を出迎えるように展示してある、大きさと豪華な装飾に圧倒されてしまいそうな醍醐寺の弥勒菩薩坐像から始めて、快慶を次々に観ていきます。浄土寺の阿弥陀三尊像や安陪文殊院の渡海文殊菩薩像は、さすがに持って来られないから写真での展示です。快慶作ではない仏像や古文書、写真など、参考としておいてあるらしい展示物もけっこうあります。それらを流れるように見ながら進んでいってミキオ君が立ち止まったのは、高野山金剛峯寺の孔雀明王像でした。いい顔しているなぁ、と大きな明王像を一心に見上げています。
 この孔雀明王像はまえに観たことがあります。金剛峯寺で、ではありません。10年ほどだったか前に、石川県立美術館で開かれた高野山展(「世界遺産登録記念 霊場高野山 弘法大師空海 その信仰と名宝展」)で観たのです。運慶の傑作としてよく知られている八大童子像を押し退けてチケットの写真にもなり、会場では存在感が光っていました。それまで写真でしか知らなかった、忿怒相ではないものの眼光鋭く厳しい顔立ちの、4本の腕のひとつに孔雀の羽を剣のように立てて持ち、結跏趺坐で孔雀に載る明王像をこの目で見た、その時の強烈な印象をよく憶えています。ミキオ君も今同じ体験をしているんでしょうか、その場で凍りついていました。ぼくは孔雀明王とミキオ君を交互に見て、わからないほどわずかにニコッとしました。

 快慶展のポスターにもなっていた、つい最近造ったみたいに色彩がきれいに残る東大寺勧学院の僧形八幡神像、東大寺公慶堂の地蔵菩薩像など、普段は公開されることのない快慶の傑作ひとつひとつを丁寧に観てまわり、最後に図録を買って時計を見ると、もう1時半過ぎでした。


 「なら仏像館」に戻り傘を取って外に出ます。雨はまた少し強くなっているようでした。京都へは行けないんじゃない。そうだなぁ、これからじゃ西ノ京へ行くのもギリギリかな、西ノ京を先にしとけば良かったかな。そうだったかも、とミキオ君は頷きました。ぼくらはお腹がすいていました。(2017年5月19日 再開1周年の記念の日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


 ホーム 目次 前のページ 次のページ

 ご意見ご感想などをお聞かせください。メールはこちらへお寄せください。お待ちしています。