18  金沢市

近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

テロリストの碑

 金沢というところは、いつの時代もおおむね平穏無事で、何が起きても歴史の傍観者であったような土地ですが、通りがかりにちょっと見掛けたものを、これは何なのだろうと思って、その正体を探ってみれば、日本が歩んだ近代史の断片だったということがあります。
 金沢市の南東部、お盆やお彼岸になると賑わう野田山の一角に、異国風の大きな石碑が立っています。石碑には正面に「尹奉吉義士殉国碑」と彫ってあり、他の三面には漢字混じりのハングルで、びっしりと何かが書いてあります。いったい、これは何なんでしょう。

 昭和6年(1931年)9月18日、満州事変が勃発します。これを契機として中国では抗日運動が高まりますが、その翌年の昭和7年1月28日、上海において中国人が日本人托鉢僧を襲撃するという事件が起きました。この事件はやがて、日本と中国の軍事衝突に発展していきます。上海事変です。日本は俄かに上海派遣軍を編成して送り込み、激しい戦闘が3月まで続きました。
 戦闘が終結して停戦交渉が進行中の4月29日、上海の虹口(ホンキュウ)公園で、日本軍は天長節祝賀式典を行っていました。(天長節というのは天皇誕生日のことです。)その式典のさなかに、日本軍めがけて爆弾が投げ込まれ、壇上にいた上海派遣軍司令官の陸軍大将白川義則が死亡し、公使の重光葵(しげみつまもる)ほか数人が負傷するというテロ事件が起きました。
 爆弾を投げ込まれた日本軍というのは、上海派遣軍の主力部隊であった金沢に司令部を置く陸軍の第9師団でした。そして、爆弾を投げたのが、野田山の石碑に名前が刻まれている尹奉吉(ユン・ボンギル)という韓国人でした。
 尹奉吉は現場で直ちに逮捕されますが、その年の暮れ近くになって金沢に連行され、三小牛山(みつこうじやま)で処刑されました。(三小牛山というのは、野田山頂上の南東側で、今は陸上自衛隊の演習場になっています。)処刑のあと遺体は粗末な棺に入れられて埋葬されました。近くの覚尊院という寺の山本了道という尼僧が連れてこられて経を上げましたが、墓標は作られませんでした。

ユンボンギルの碑 戦後間もない1946年3月、金沢に住む複数の韓国人有志が埋葬時に経を上げた尼僧を探し出し、その協力を得て埋葬場所を特定し遺体を発掘しました。
 「尹奉吉義士殉国碑」は、それから遥か後の上海における爆弾テロから60年目に当たる1992年4月に、韓国民団などによって埋葬されていた場所の近くに立てられました。遺体が埋められていたところも墓のように作って保存されていますが、こちらの方は金沢市の所有地で、市が土地を無償で提供しているのだそうです。

 これが野田山にある「尹奉吉義士殉国碑」という石碑のおおよその由来です。しかし、そういうことだったかと分かってみれば、どこか釈然としないものを感じます。
 尹奉吉は日本人を殺傷したテロリストであってみれば、埋葬跡を保存するのはまだしも、その殉国碑なるものが日本国内にあるというのは、どこか違っているのじゃないかという気がします。
 それに、68年前の上海における事件そのものは明らかにテロ行為ですから、それを称えて記念するような石碑は、テロリズムを肯定しているように見えると批難されてもしかたがないように思えます。
 とは言え、石碑を立てた人達の気持ちも分からないではありません。ぼくがその人達の立場だったとしたら、同じように祖国の運命を憂えて命を捨てた同胞の処刑地に、石碑の一つも立ててやりたいと思うかも知れません。それで、この石碑はテロリストを称える記念碑ではなくて、慰霊碑ということでなら納得してもよいような気もしますが、感情論となれば、やはり微妙なところです。
 しかし、この野田山の尹奉吉の名を刻んだ石碑に、もっと別の意義を求めても良いのなら、この石碑は、今の多くの日本人が知らないでいる近代史の中で起きた、悲愴な出来事の一つを伝えるものだとも言えます。また、それに金沢が深く関わっていたのであってみれば、この石碑は、その時代の金沢が決して歴史の傍観者のようではなかったということを教えるために、地中から生えてきてそこに立っているようにも思えます。

 金沢というところは、戦争中にアメリカが爆弾を一発も落とさなかったところで、戦争や軍隊というものとは、あまり結びつかないようなイメージの土地ですが、こういうことがあったと知ってみれば、そのイメージの本質というのは、加賀百万石はよく憶えていても、金沢が明治から終戦までは日本海側随一の軍都であったことを、すっかり忘れたことにしているだけのことなのかも知れないという気がします。あるいは、本当に忘れてしまっているのかも知れません。いずれにせよ、戦後に生まれ育ったぼくらには、とんと教えてもらった記憶のない郷土の歴史がここにあります。(平成12年12月30日 メキラ・シンエモン)


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