19 白山麓
白山七社詣 序
去年の天皇誕生日は、加賀地方は朝から雲ひとつない良い天気でした。年内最後の快晴のように思われたので、友達と白山麓に出掛けました。
吉野谷村の中宮へ行く道すがら、「花ゆうゆう」近くの崖上にある佐羅早松神社(さらはやまつじんじゃ)という小さな神社へ寄りました。ここは白山七社のひとつだった佐羅宮の跡です。
国道からつづら折りを登っていくと、坂の終わったあたりに手水舎があって、その少し先を直角に曲がると鳥居があります。鳥居はこれ一つだけで、鳥居の手前にいきなり手水舎というのは変だから元は下の方にも鳥居があったのでしょう。鳥居の先は石段で、その上に社があります。社の斜め後やや高いところに菊理媛神社と書いた額を上げた祠がありました。友達は石段脇の狛犬に薦が厳重に被せてあるのを見て、これは新品に違いないと言います。そうかなのかも知れません。
社は杉木立に囲まれていて薄暗く、わずかに木漏れ日が差すだけですが、鳥居の手前は日の光を遮るものがないので明るく開放的で、崖の上だから眺望が利きます。崖の縁に立って遠くを見ていると、全身が穏やかな冬の日差しに包み込まれるようで、ほのぼのとした気分になります。
ここでおにぎりを食ったらおいしいだろうか、と考えていたら、友達が、白山七社詣をしてみようか、と大分に酔狂な提案をします。ぼくも同類だから、そりゃいい、初詣はそれにしよう、と即座に同調しました。こういうのは、その場の雰囲気に誘われて互いにただ言ってみただけ、という類の会話で、話だけでお仕舞いになるのが普通ですが、そうはならないのがぼくら二人です。
年が明けて、元日から三日まではそれぞれに過ごして、四日の朝、外は大晦日の夜から断続的に降った雪が数センチながらも積もっていて、風も強く寒いものの雨が降らないなら良いだろうと、二人していそいそと白山七社詣に出掛けました。
白山七社というのは、白山信仰の全盛期にその中心になっていた本宮、金剣宮、岩本宮、三宮、中宮、佐羅宮、別宮を言いますが、勿論、昔の白山七社がそのままそっくり残っているわけではなく、本宮である白山比盗_社と金剣宮は別として、往時の規模には遥かに及ばない、その跡に立つ村の鎮守といった風の神社ばかりです。だから、白山七社詣と言っても実際は白山七社跡巡りみたいなものです。しかも、本宮(白山比盗_社)は室町時代に火災で焼けたため、その末社であった三宮に本宮を遷して現在に至っています。つまり、三宮というのはとうの昔に消滅していて、白山七社は早い時期に六社になっています。
白山七社詣が白山七社跡巡りだったとしても一向に構わないのですが、この七社が六社であるというのがどこかすっきりしない気がして、ぼくらは七社ということに拘りました。
それで、合体してしまっている本宮と三宮をどうしようかと考えました。こんなのは別に考えるほどのことではなく、白山比盗_社は本宮でもあり、三宮のあったところでもあるのだから、白山比盗_社を参拝して両方を済ませたことにすれば良いようなものですが、それではやはり六ヶ所になってしまうからと、そういう器用なことは出来ないのがぼくらです。
焼失した元の本宮のあったところは、今は古宮公園という小さな公園になっていて、線路を挟んで北陸鉄道の「加賀一の宮」駅があります。そこで、元の本宮跡なのだからと、古宮公園を白山七社詣の本宮とし、白山比盗_社は初詣としては本宮、白山七社詣としては三宮、ということにしようと考えました。これは詭弁かも知れませんが、こんな風にややこしく考えないと納得しないところを見ても、ぼくらはやはり不器用です。
ところが、そういうことにしてみたら、本宮と見立てることにした古宮公園を序とするか、それとも、初詣なんだから、やはり白山比盗_社へ先に行くべきか、という問題が出てきました。しかし、公園で電車の駅に向かって拍手を打つなんてことは、いくらなんでもするはずがないのだから、先に古宮公園へ行っても、神様も別に気を悪くはしないんじぁないか、ということになって、古宮公園を一番はじめにしました。拘ったような、好い加減なような結論でした。
というわけで、とにかく七社を揃えて、回る順番は、本宮(古宮公園・鶴来町)、三宮(白山比盗_社・鶴来町)、金剣宮(鶴来町)、岩本宮(岩本神社・辰口町)、別宮(白山別宮神社・鳥越村)、佐羅宮(佐羅早松神社・吉野谷村)、中宮(笥笠中宮神社・吉野谷村)ということになりました。(平成13年1月21日 メキラ・シンエモン)
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