17  鳥越村

峡谷の紅葉

 かなり前のことになりますが、静岡県の三島でタクシーに乗った時、富士山がきれいに見えるところで暮らせて幸せですね、と運転手に言ってみたところ、毎日見ているから別にどうってことありませんよ、と愛想のないことを言われてしまったことがありました。

黄門橋から もう、紅葉もいい頃は過ぎただろうか、という11月中旬の曇り空の日曜日、友達と二人で、鳥越村の手取川に掛かる黄門橋の上から身を乗り出すようにして、紅葉の手取峡谷を覗き込んでいると、橋の向こうから一人の男の人が、こちらめがけて走ってきます。
 何事かと思っていたら、その人は橋の真中辺りまで来て止まると、峡谷を覗き込んで一頻り頷いています。なんだ、峡谷を見に来ただけか、と思っていると、いきなり駆け出して橋の向こうに止まっているワゴン車のところまで行くと、中の人に何やら話をしている様子です。
 そうか、あの人は車で橋を通り過ぎる時に、ぼくらが橋の下を頻りに覗いていたのを見掛けて、何があるのかと思って見に来たのか、どんな様子か仲間に話しているのだろう、と見当をつけていたら、車から中年のおばさん達が、よくもまあ一台にこんなに乗っていたなと思うくらいの数で、ぞろぞろと出てきて欄干に鈴成りになると、あらーとか、まぁーとか、わぁーとか言って素っ頓狂な声を発したあと、こぞってちっちゃなカメラで峡谷の写真を撮りだしました。こうなると、ぼくらは脇に退かざる得なくなります。
 そんなところへ車が来ると、まったく無関心な様子で通り過ぎていく車もありますが、やはり何事かと思うのでしょう、たいていはちょっと止まって横目で見て、事情が分ったところで、ゆっくりと横を通り過ぎていきます。そんな車ばかりなら良かったのですが、遂に、車から降りて一緒になって峡谷を見下ろす人達が出てきて、橋の上はちょっとした交通渋滞が発生してしまいました。
 それを見ていて、二人して、思わず笑ってしまったのですが、ちょっと責任も感じていました。最初に覗き込んでいたのは、ぼくらでしたから。
不老橋から そのあとぼくらは、ちょっと上流にある峡谷の紅葉がもっときれいな不老橋へ回りました。そこでも峡谷を覗き込んでいるぼくらの後ろを、何台もの車が通っていきましたが、黄門橋と同じことは起こりませんでした。ほっとしながらも、ちょっとがっかりしていたのでした。(写真は、上が黄門橋から上流方向を、下は不老橋から同じく上流方向を撮ったものです)

 手取峡谷へは、まだ木に葉が茂っていない春にも行き、若葉で被われはじめたばかりの初夏にも行きましたが、自然というのは季節ごとに違った表情を見せてくれるから、同じ場所でも見る度に感じることは違います。また、季節が同じなら様子も毎年同じかというとそうとは限らないし、たとえ同じだとしても、家に帰ってから撮ってきた写真を見ていたりすると、また来年も見に行きたいなと思ってしまいます。
 でも、それがすぐ近くにあって毎日見ているものだったら、季節を映す自然というのはだんだんに変っていくのだから、その変化をたいして気に留めないだろうし、見慣れた風景はきれいだとは思ってもさほどの感動はないかも知れません。遂には、きっと、三島のタクシーの運転手みたいに、別にどうってことないですよ、ということになってしまうでしょう。
 黄門橋の上を車で素通りしていった人達の中には、手取峡谷は見慣れた景色だよ、という人もいたでしょう。だけど、鈴成りなって写真を撮っていたおばさん達には感動的な景色で、その目は峡谷の紅葉をきれいに映していたに違いありません。そう思うと、きれいな自然はちょっと遠いところにある方が良いような気もします。(平成12年11月16日 メキラ・シンエモン)


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