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薬師如来 とても日本的な仏様

 薬師如来には居場所が無いといいます。両界曼荼羅に描かれていないんです。金剛界曼荼羅にはもちろん、一番外側の枠にお化けみたいなものまで描いてある胎蔵曼荼羅にも載せてもらえないんだから完全にアウトサイダーです。といって、両界曼荼羅を唐から持ち帰った空海さんのお寺、東寺の金堂は薬師如来がご本尊なんだから、密教では仲間外れにしているというわけではありません。ただ、薬師如来はちょっと規格外れの仏様でした。


 古刹を巡って仏像を観る、その時ああだったこうだったと旅行記風に書く、ということをここ三年ほど続けています。これはこれでいろんな仏様に登場してもらえていいのですが、どこか物足りない気もして、そこで、ひとつの仏様に集中した仏像記のようなものをちょっと書いてみようかと思います。
 仏像記と言っても仏像論のようなものを書こうというのではありません。学者でも研究者でもないただの仏像ファンにそんなことができるわけもなく、これまで古刹を巡って出逢った記憶の中に坐(おわす)仏様の姿を思い浮かべ、貧弱怪しげな知識を拠り所として思いつくままに直感で書こうというのです。素人考えが意外に核心をついてしまうか、まるでデタラメ見当はずれの空想になるのか、試しに如来から選んで、はじめて知ったときからちょっと変わった仏様みたいだと思っている薬師如来です。
(仏様と仏像、その言葉の使い分けが厳格ではありません。仏像と書いて仏様のことだったり、仏様と書いて仏像の意味だったりしています。ぼくのなかでは同じことになっているんです。論文ではないので、その辺りは気楽に雰囲気でどっちかに決めてください。あるいは、拘らないならもっと良いと思います。)

 薬師如来は薬師瑠璃光如来ともいいます。瑠璃(るり:ガラス)のようにきらめく薬師の仏様というぐらいの意味でしょう。インドで生まれ、中国を経由して日本に来ました。人気はその逆で、日本、中国、インドの順になるそうです。では、日本での人気はどのくらいかというと、国宝・重文に指定されている如来像の数は第一位が阿弥陀如来で、薬師如来は釈迦如来や大日如来を抑えて第二位だといいます。実際、古刹巡りをするとそんな印象です。

 薬師は医者のことだから薬師如来は病気を治してくれる仏様ですが、如来を外見から識別するときの根拠となる印(手の形や組方:印相)は、釈迦如来と同じ与願施無畏印(よがんせむいいん)を結びます。それで、いつの間にか釈迦如来にされてしまうことがあります。室生寺金堂の釈迦如来像は光背に七仏薬師(七体の化仏で薬師如来の分身)が見え、また十二神将(薬師如来の眷属)を従えているので本当は薬師如来像ではないかと言われているのが好い例です。
 そこで、いかにもお医者さんらしく見えるように、左の掌(てのひら)に薬盒(やくごう:薬壺)を持たされることもあります。白衣を着ているだけではアピールが足りなくて、眼鏡をかけ首から聴診器でも垂らして病院の廊下をむずかしい顔で闊歩すれば「先生」と呼んでもらえるのと同じです。
 そんなことはともかく、大事なことは、印は同じでも薬師如来は釈迦如来とは正反対の立場を担った仏様でした。

 お釈迦様は人生の苦しみから解放さるにはどうしたら良いかと悩み考え修行した末に、ひとつのある境地に至ります。それが「悟り」です。そのお釈迦様の悟りを直感的に言い表したのが、華厳経の「多即一、一即多」と般若心経の「色即是空、空即是色」というフレーズで、実体がないから存在する、という意味ですが、やわらかく言えば、ほんとはなんにも無いんだよね、在るように思っているだけで、すべては心が作り出すのさ、というような感じです。ずいぶん解りにくい話ですが、鈴木大拙さんは「即非の論理」と名付けました。
 これが仏教の根本義で、だから仏様の基本的立場なわけですが、薬師如来だけはちょっと違いました。

 如来は菩薩が修行を経たのちになりますが、その修行時代に、自分はこうやって民衆を導き救うんだ、という目標を立てて誓います。これを誓願といい、薬師如来には十二の誓願がありますが、いずれも、人々の今そこにある願いをそのまま叶えてあげましょう、という内容です。病気を治すことに限らず、いろいろとこの世的な願いを聴いてくれるんです。ぼくらから見れば現実の利益に繋がるから現世利益(げんぜりやく)といいます。
 ありがたい仏様ですが、現実をそのまま肯定する立場だから、仏教の根本義とはまるで逆の構えです。そうなると、これはもう規格から外れた仏様と言うしかないでしょう。規格外れなら胎蔵曼荼羅にも金剛界曼荼羅にも描いてもらえないわけです。でも、ちゃんと東方に薬師瑠璃光浄土という領地があります。胎蔵曼荼羅では東方(図では大日如来の上方)に宝幢如来(ほうとうにょらい)というほかの仏様が描いてありますが、領有権だの実効支配だのという話にはならないようです。

 そんな薬師如来が日本ではなぜ人気者なんでしょう。ある仏様を信仰の対象とするとき、そこにどんな原理が働くのかと考えると、人々が求めるもの、時に国家が求めるもの、それは時代が求めるものですが、その求めに応えられるかどうかで決まる、と言ってもよいように思います。そのあたりをよく知られている薬師如来像で見てみます。

 薬師如来像の代表に薬師寺金堂の本尊を挙げてもどこからも文句は出ないでしょう。薬師像のなかで、いいえ、すべての如来像のなかで、もっとも溌溂として美しいお姿です。白鳳仏(白鳳は飛鳥時代後期)ですが、薬師寺創建時からの本尊かどうかははっきりしないみたいで、今、薬師寺大講堂の本尊に収まっている弥勒如来像が、創建時の本尊(もちろん当時は薬師如来)だったかもしれないと言われていた時代もありました。
 薬師寺は672年に起きた古代最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」で勝利した天武天皇が飛鳥の藤原京で起工し、その妃だった持統天皇が引継いで、孫の文武天皇のときに落慶しました。その後、平城京遷都にともない現在の場所に移りました。
 持統天皇の即位は孫が成長するまでの繋ぎだったといいますが、そこには皇位の継承を巡るいろいろ複雑な事情もあったようで、新体制の確立には不安がいっぱいだったんでしょう。すぐに取り除きたい様々な問題をなんとかしてくれそうなのは現世利益の薬師如来でした。天武天皇の発願は皇后(持統天皇)の病気平癒でしたが、薬師如来なら皇后の病気だけじゃなくて、ほかのこともいろいろとお願いできるしね、という考えは、きっとあったんだろうと思います。薬師寺という、仏様の名前をストレートに持ってきて付けた寺号が、それを表しているような気がします。

 その次に思い浮かぶ薬師如来像は新薬師寺本堂と神護寺金堂の本尊です。どちらもがっしりした体格で、新薬師寺像は大きな目が、神護寺像は厳しい表情が異相と言ってもいいくらい印象的なお顔の貞観仏です。
 貞観というのは平安時代の初期ですが、日本仏教の誕生前夜でした。すなわち日本の仏教界に伝教大師最澄と弘法大師空海が登場します。それぞれ天台宗と密教を中国から持ってきましたが、どちらも形を変えて日本の仏教に発展していきました。

 天台宗は法華経を教義の中心に据えた仏教です。中国では文殊菩薩を本尊としましたが、最澄さんは比叡山の根本中堂の本尊に薬師如来を安置しました。最澄さんは元々薬師如来を信仰していたといいますが、最澄さんの天台宗は「四宗兼学」と言われ、法華経を中心としながら密教、禅、戒も含んだ包括的な仏教だったので、規格外れのおかげで立場の自由度が大きい薬師如来が、文殊菩薩より相応しいと考えたのかもしれません。
 そんな比叡山延暦寺で学んだ法然さんが浄土宗を、親鸞さんが浄土真宗を、日蓮さんが日蓮宗を、栄西さんが臨済宗を、道元さんが曹洞宗を興します。日本の仏教は法華経が中心だと言われる所以です。また天台宗自体はやがて密教色が濃くなります。空海さんの密教と区別して台密と呼ばれています。
 一方、空海さんは唐で密教の第一人者だった恵果という高僧から継承した密教をより完全なものに高めて、既存の仏教と対立しないようにアレンジした真言宗を開きました。東寺が根本道場だったことから、天台宗の台密に対して東密といいます。ちなみに密教は大乗仏教が行き着いた最終的な形ですが、朝鮮半島には伝わらず、インドと中国では早々に消滅していて、チベット・ネパールの密教はインド密教の形をよく残していると言われています。

 最澄さんも空海さんも唐の仏教をそのままの形で日本に入れることをしなかったのは、その時代の雰囲気がそうさせたのだと思います。ふたりが遣唐使船に乗って渡ったころの唐は絶頂期でしたが、このころすでに衰退の兆しが見えはじめていたのかもしれず、それを日本人は敏感に嗅ぎ取っていたのではないのかなという気がします。ふたりの帰国から90年たらずあとに、菅原道真が唐には危険を冒して行くだけの価値はもうないと進言して遣唐使は廃止になりますが、その数年後に唐は滅亡し、日本ではいわゆる国風文化の創造が本格化するから、貞観という時代はその胎動期だったんじゃないのかなと思います。
 新薬師寺や神護寺の薬師如来像はそんな時代が作り出した造形で、それが外来の文化に向き合う日本人らしさの気分のひとつの表現だったと言うなら、そしてそれは釈迦如来や阿弥陀如来ではとてもできないことだったとするなら、薬師如来はとても日本的な仏様でした。


 ぼくら仏像ファンにとって、薬師如来の魅力のひとつに、その脇侍・眷属の完全性があります。釈迦如来は脇侍が普賢・文殊菩薩ですが、眷属の天竜八部衆や十大弟子はかなりオプション的です。阿弥陀如来は観音・勢至菩薩が脇侍で、来迎時にだけ二十五菩薩を引き連れていますが、それもほとんどは絵画での表現です。大日如来はトップの宿命なのかいつでもどこでもひとりぼっちで、脇侍も眷属も付きません。それが薬師如来では脇侍の日光・月光菩薩と眷属の十二神将が基本セットで付いています。脇侍・眷属が揃っていないこともままありますが、全部揃っていれば15体にもなるから拝観料を得したような気がします。
 というわけで、薬師如来はぼくら仏像ファンにはビジュアル的にとても魅力的な仏様なんですが、それはきっと古代の人々も同じで、それが人気の秘密だったのかもしれません。(2019年8月5日 メキラ・シンエモン)




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