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夕景の白山

 四月の中頃ある方から頂いたメールに、石川県内で白山が一番きれいに見えるところは白峰村の望岳苑の辺りだと思います、ということが書いてありました。望岳苑というのは最近できた宿泊施設ですが、ぼくは名前を知っているだけで場所も知らないところでしたから、白山がそんなにきれいに見えるというのならいっぺん行ってみようと思い、ゴールデンウィーク後半の初日、いつもの友達を誘って出かけてみました。

ゲレンデに咲いていたカタクリ

 その日は朝から尾口村の一里野温泉スキー場でちょっとした用事がありました。昼時を過ぎたころにその用事が終わり、ゲレンデ横の木陰になっている草の上に座って弁当のおにぎりを食べてから白峰村に向かいました。
 瀬女高原下のトンネルを潜り、水がいっぱいに溜まっている手取川ダムの横を通り、湖畔のいくつものトンネルを抜けて、桑島の恐竜化石壁を尻目に白峰村の中心部にかかったところで、友達がぼくに、どこだと聞きました。どこだというのは、望岳苑はどこにあるのかということです。ぼくは、知らないのかと答えました。知らないのかというのは、ぼくも望岳苑がどこにあるのか知らないよということです。つまり、二人とも望岳苑の場所を知らなかったのです。
 のんきというか、間が抜けているというか、あきれてものも言えない、開いた口がふさがらなくなるような話だと思われるでしょうが、互いに相棒が調べてきているだろうと決め込んでいたわけで、ぼくらにはそう珍しいことではありません。と言えば、開いたままふさがらない口が、益々開いて顎まで外れそうになるかもしれませんが、実際そうなんです。
 それで村の入り口に立ててある大きな案内図を見てみましたが望岳苑は載っていません。それなら誰かに聞くしかないということになり、道を聞くならおまわりさんだと交番へ行きましたが誰もいません。交番の前がちょうど村役場なのを見た友達が、村役場で聞いてこようと言って中に入っていきました。
 ぼくが、村役場で聞いてみるなんてことをよく考え付くものだ、しかし連休中なのに村役場に人がいるのだろうかと思いながら車で待っていると、しばらくして友達はいくつものパンフレットを抱えて出てきて、場所がわかったと言うので、ぼくはわかって良かったと思う前に、連休にもかかわらず村役場に人がいたことに驚いたのですが、友達が持ってきたパンフレットを見たら、役場の人にねだってもらってきたものなのか、頼みもしないのに役場の人がくれたものなのか、それともそこにあったから黙って収集してきたのか、いずれにしろどれもこれも望岳苑とはまるで無関係のパンフレットばかりだったのにはもっと驚きました。
 とにかくこうして判明した望岳苑の場所は、いろいろと施設などが集まっている村の北側ではなくて、村役場から少し戻って国道に出て、県境の谷峠へ向けてしばらく行ったところに「白山パノラマ公園、白峰クロスカントリー競技場、セミナーハウス望岳苑」と書いた道標のある脇の林道を登った先だということでした。

望岳苑へ行く道からの白山

 村役場で教えられたとおりに国道を行ってみると五分ほど走ったところに、果たして「白山パノラマ公園、白峰クロスカントリー競技場、セミナーハウス望岳苑」と書いた道標が上げてありました。
 曲がりくねった舗装されている林道を登っていくと、よほど行ったところに何の目的なのかはわからない広場があって、その向こうに山頂がすこし雲を被っている白山の峰々がすっかり見えていました。
 なるほどここは白山がとてもきれいに見えるところです。おそらくちょうど真西から白山を望んでいることになるのでしょう、金沢平野の真ん中からとはちょっと違った角度から見るのが新鮮で、ところどころ雪の解けたところが黒く見えているものの、まだまだ白い山と呼んでも不都合はない白山の美しい眺めです。
 さらに行くと人っ子一人いないクロスカントリー競技場と高山植物の栽培施設があり、道端に白山パノラマ公園の案内図がありました。それによると正面に見えている山の頂上に広場があって、いくつかのコースに分かれた遊歩道を歩いて登れるようになっています。
 望岳苑の前まで行ってみると白山は建物に隠れてしまって見えません。そこでさっきの案内図にあった遊歩道を歩いて山頂に上がってみることにしました。ところが望岳苑からの登る道がはっきりしません。それでさっきの案内図のところに戻って遊歩道の入り口を確認して登り始めてみると、この白山パノラマ公園というのはどうもまだ未完成のようで、あるいは冬季が終わったあとの整備がまだ済んでいないのか、道が途中から不明瞭になっていて、斜面に伐採された木がそのままに重なり合っているだけのところへ出てしまい、どこをどう登ったら良いのかわからなくなりました。ぼくらは少しでも白山がよく見えるところへ上がりたかったので、とにかく斜面を登って尾根伝いに頂上へ向かうことにしました。

タムシバ

 初夏の日差しに首筋を焼かれ汗を流して尾根に上がってみると、葉の出る前に白い花をたくさんつけたタムシバなどが邪魔をして白山はよく見えません。
 さらに頂上の方へ向けて尾根を登って行くと、足元の半ば腐ったブナの枯葉が覆う地面には、気をつけて歩かないと知らない間に踏んでしまいそうなほどたくさんの淡いピンク色の花が咲いています。高山植物ではないけれど高い山の尾根にしか見られないらしい、イワウチワの北陸における変種だというトクワカソウです。
トクワカソウ トクワカソウの可憐な花をじっと見ていると、ほとんど人の来ないところにまったくの自然の摂理のみで咲く花が、人が観賞用にあの手この手で育てあげ咲かせた花よりも、ずっと美しく見えるのがとても不思議な気がしてきます。
 もっとも花の方でも不思議に思っているかもしれません。野生の草花は受粉を助けてくれる虫を惹きつけるために花を咲かせるのであって、何の役目も果たしてくれないばかりか、時には訳もなく踏みにじってくれる迷惑な存在でしかない人間に見てもらうために咲いているのではないのだから、野山に咲く花にしてみれば人間から美しいと見られることは、まったく予定外のことであるはずです。

尾根からの白山

 しばらく行くと途中に視界が開けた、白山の全姿がよく見えるところがありました。さっきまで浮かんでいた雲がいつの間にか消えている空はただ水色一色で、手前に新緑を据えた残雪の白山は白く輝いてとてもきれいです。
 そのまま道とも言えないところを歩いて山頂の広場を目指して登っていきましたが、果たしてこのまま行って山頂に到達できるのだろうかという疑問がありました。もう四時近くになっていたこともあって友達が、案内図に広場へ登る近道というのがあったから引き返して車でそっちへ回ってみようと言うので、そうすることにしました。
 ところが舗装された道をそっちの方へ行ってみても登り口が見えないままに、道はどんどん上へ登っていくばかりです。どうも見落として通り過ぎたようでした。今日は道がわからず苦労します。戻って登り口を探してみるには時間がなかったので、そのまま先へ登っていってみることにしました。
 曲がりくねった林道を登っていくと谷の方に出っ張ったところへかかる度に白山がよく見えます。しばらく登ったところに通行止めと書かれていましたが、道が塞がれているわけでもなく、道路に異常があるようにも見えず、車が通れるようなのでさらに少し登っていくと、先が工事中でそれ以上は行くことができないようになっていました。
 一時間ほどで日が沈むように思われたので、少し戻って白山がよく見えてしかも車を道路わきに停めておけるところで、だんだんに暮れていく白山の夕景をゆっくり眺めてから帰ろうじゃないかということになりました。

夕景の白山 谷側の道端の十分に広いところに車を停め、山側の斜面の積んだ石を組んだ丸太で囲ってできている段の上に座って、今は少し黄色っぽく見えている白山が、そのうち夕日を受けてだんだんに赤く染まっていくのだろうと思って眺めていると、車が一台登ってきました。
 その車はぼくらの横で止まると運転していた人がこちらに顔を向けて、この先は行き止まりですかと聞くので、そうですよとぼくが答えると、器用に車の向きを変えてぼくらの車のうしろに車を停めました。中から下りてきたのは中年の夫婦連れでした。
 しばらくしてまた一台車がやってきて道端に止まり、ふたり乗っているのにひとりだけ下りてきました。それから次々に車がやって、とうとう六台が道端に連なると、黄昏の林道に九人の人が尻を並べて夕日に染まりゆく白山を眺める図となりました。

 白山を見詰めているぼくらの背後で太陽が高度を下げ辺りが薄暗くなるにつれて、白山はその姿をよりくっきりとさせていきます。そして黄色っぽく見えていた残雪が次第に淡いピンク色へと変化していきます。ぼくにはどう言い表すこともできない景色ですが、言葉で表現することに長けた人が、たとえどんなに頭をひねって巧みに形容しようとも、その努力がまったく報われないだろうと思える美しさです。
 この美しさは刹那の美しさです。辺りの暗さがいっそう闇に近づき手前の山々が黒い影にしか見えなくなりはじめると、それを慌てて追いかけるようにして、白山を染め抜けないままにピンク色は急速に薄れていきました。(平成15年5月10日 メキラ・シンエモン)



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