25  白峰村

自然との対話 白山砂防科学館

 この6月、白山麓に白山砂防科学館という展示館がオープンしました。砂防というのは土砂崩れや土砂の流出を防ぐことです。昔から手取川流域の人々は土石流や洪水に苦しめられてきましたが、砂防の技術が進んだ今では、そうした自然災害はめったなことでは起きないようになりました。
 一方で、砂防の実際は自然の山や川に人手を加えることなので、行き過ぎは自然破壊につながります。大規模な土木工事を行う現代の砂防は、自然保護、環境保全にも配慮しながら効果を上げねばならない難しい仕事になっています。

白山砂防科学館 九月上旬のよく晴れて気温の上がった日曜日、ぼくは友達と白山砂防科学館を見学しました。この日は金沢城址公園で全国都市緑化いしかわフェアが開幕した日でした。
 白山砂防科学館は国土交通省と石川県が建てたもののようですが、白峰村の「白山まるごと体験村」と名付けられている一帯の一角にあって、近くには昔からある温泉「御前荘」、キャンプ場などがある「緑の村」、「白山国立公園センター」、白山砂防科学館に少し遅れてオープンした「白山・天望の湯」という温泉があります。
 実は、その日は、その「白山・天望の湯」というのにいっぺん入ってみようじゃないか、と友達と出掛けて行ったのでした。だから白山砂防科学館の方は、行掛けの駄賃にそっちも見てみようか、という程度の考えで覗いてみたのであって、砂防ということに特に関心があってわざわざ見学に行ったということではありませんでした。

砂防の歴史に関する展示 白山砂防科学館の展示内容は、丹念に見ていけば砂防に関することが良く理解できるようになっていますが、展示の比率としては砂防そのものに関するものと、白山とその自然、白山に源を発する手取川をはじめとした四大河川についての展示が半々で、砂防施策は環境保全や自然保護、野生動物保護にも十分配慮していることを強調した展示です。それがちょっと行き過ぎたのか、観光案内みたいなものまであって、なんだかオブラートに包んだような感じも受けます。
 ところが、ここで上映されている頻繁に繰り返された手取川氾濫の様子を伝える昔の記録映画を見た途端、そんなのんきな印象はいっぺんに吹っ飛びます。それは圧倒的な衝撃で見る人に自然の恐ろしさを教えます。映画には一つの集落が土石流に押し流されてほぼ全住民が死亡し、村は完全に消滅、二度と復興しなかったという悲惨な例も出てきます。見終わったあとぼくは、鶴来の「波切不動尊」を思い出していました。
 だから、ぼくのようなうっかり者は、ここは何屋さんなのかしら、とちょっと迷ってしまうこの白山砂防科学館が、第一に訴えているのはやはり砂防工事の重要性であって、この展示館の目的はそれへの理解を深めてもらうことなんです。(写真は上が白山砂防科学館の正面、中は砂防の歴史に関する展示、下がジオラマを使った展示です。)

 人は自然からたくさんの恵みを受けて生きている一方で、どうしたって自然を自分たちに都合の良いように変えることなしには生きていけません。しかも人は自然から恵みを受けていても返すものは何も無いというのが真実です。少なくとも人がいないと自然が困るということはないようです。だとすれば、それが自然災害から身を守るためではあっても、決して人は自然と対決しようと考えてはならないということになります。
ジオラマを使った展示 ぼくはここの展示を見て、自然と対決しないためには、いつも自然と対話していることが必要なのだと今更のように思いました。災害を防止するための土木工事が必要ならしなければならないでしょう。しかし、それはどうしても自然を傷つけます。ならば、そうした工事の前はもちろんのこと、それが完了した後もずっと、これで不都合はないですか、と常に自然に話し掛けていることが必要なんだと改めて思ったのです。しかし、これは、ぼくらが自然を傷つけてしまっていることは他にもたくさんあるはずだから、ぼくらみんなの役目であるはずです。

 硬い白山砂防科学館を見たあとで、やわらかい「白山・天望の湯」に入りました。ここの露天風呂からはちゃんと白山が見えるようになっています。しかし、この日の白山はすっかり雲に覆われていて、残念でした、この次またおいで、と言っているようでした。(平成13年10月25日 メキラ・シンエモン)


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