2-13-KN08

恐竜を見に行く 福井県立恐竜博物館

 今から30年ほども前の昭和60年の夏、東京の東急池上線の五反田駅から山手通りを西五反田の方へ少し行ったところの本屋で「恐竜博画館」と「恐竜図鑑」という2冊の新潮文庫を買いました。著者はヒサクニヒコさんです。見たこともない恐竜の姿、ヒサさんらしい解説とイラストに感じ入ってしまい、それがぼくの恐竜好きの始まりでした。古くからの恐竜ファンはこの2冊にきっと刺激を受けていたはずです。「ジュラシック・パーク」より前、この480円の文庫本2冊が日本の恐竜ブームの原点だとぼくは密かに思っています。


恐竜博物館
 4年ほど前から親しくしている友人にトモ君という人がいます。トモ君は無類の恐竜好きです。だから、ぼくとは親子ほどの年の差ながら話がよく合います。ぼくらは去年の9月から大阪で催されている「恐竜博2016」に、これはなんとしても行かんとね、と話し合い何度も実行を企てますが、女房が・・・とか(ぼくの場合)、彼女が・・・とか(トモ君の場合)、仕事が・・・とか(ふたりとも)言っては延期を繰り返していたら年が明けてしまって恐竜展もあと二日で終わりです。もう絶対に無理です。あ〜あ。
 そんなぼくらは福井との県境を越えてすぐの勝山にある「福井県立恐竜博物館」には何度も行っています。でも、ふたり揃って行ったことは一度しかなくて、このときは仏像好きのミキオ君も一緒でした。ミキオ君とトモ君はぼくがふたりと知りあうずっと前からの仲の良い友達同士です。

 それはミキオ君がいよいよ3月いっぱいで奈良に帰ることになり最後に三人でどこかへ、飲みに行くのとは別に、行こうということになって、ミキオ君がまだ行ったことのなかった恐竜博物館に決まったのでした。えっ、恐竜ってそんなこどもみたいな、いいおとなが三人してほかに行くとこを考え付かなかったんですか、と言うんですか。いや、実は「水木しげる記念館」という案も出たんですが、さすがに境港は遠すぎました。ぼくら三人の共通点は三人ともイケメンであるということ以外には「ゲゲゲの鬼太郎」の大ファンであるということなんです。ちょっと待った。おっ、今度は(「ダーウィンが来た!」の)「ヒゲじい」みたいな感じできましたね。なにがヒゲじいですか、自分でイケメンと言うそのあつかましさはともかく、恐竜か鬼太郎かって、そんなのますますこどもじゃないですか。そうですよ、そうだからこそ、こどもみたいだからこそいいんです。おとなになってもそういう繋がりの知己こそが大切なんだ。と、ぼくらは思っています。

白峰
 その日は3月下旬の雪が降ってもおかしくないほどに寒い日で、朝の渋滞が終わるころぼくの車で金沢を出ました。勝山までは1時間半ほどもかかります。市内を抜け鶴来までくると、久々の白山麓の風景です。「通りがかりの者です」の第1部は鶴来から白峰までの白山麓を巡って書いたものでした。
 走っている国道の右手の手取川沿いにはサイクリングロードがあります。自転車が趣味のトモ君にはおなじみらしく、ここはよく走るんだ、と言って少し得意げに嬉しそうです。河内、鳥越、吉野谷、尾口と過ぎて手取川ダムのあたりまで来ると標高が少し高いだけなのに雪景色です。白峰に入るころには綿をちぎったような雪が降りだしました。ミキオ君は初めて見る山の雪景色だったようで、こういう景色見たかったんだ、最後に見られてよかった、と感激している様子です。
恐竜化石壁 桑島の「恐竜化石壁」が見えるところで車を停めちょっと見学兼休憩です。しきりに降るぼたん雪を透して眺めるむき出しの岩肌は寒々として静かでした。
 ぼくは、対岸に見える崖下が最初に恐竜の化石が見つかったところだよ、発見者は中学生の女の子だった、とふたりに話しました。実は、ぼくはその女の子は白峰の子だとずっと思っていたんですが、それは間違いで勝山の子だったと最近知りました。そうしてみると道理で福井が熱心に発掘するし博物館まで建ててしまうわけです。福井から世界的に名を知られる研究者も出るわけです。
 からだが冷えてきたら十分見たことにして出発します。もう少し行って県境の谷峠を越えれば勝山です。

峠の恐竜
 峠のトンネルを出ると福井県です。道は石川県側とは対照的に急カーブが続く下りになります。勝山の北谷を見下ろすあたりの道端にヒサクニヒコさんのイラストを3次元化したようなアロサウルスの彫像が、日本最大の恐竜化石の産地へようこそ、という感じで雪のなかに立っています。もっとも今では日本中のいたるところから恐竜化石が見つかるようになり各地に自然史博物館が建ち、白亜紀前期の貴重な地層だといわれる手取層群の存在も少し霞んだかも知れません。
 坂を下るにつれ雪は少なくなりやがてまったく消えてしまいました。恐竜博物館へは坂を下りきってトンネルを抜けたすぐのところを右に曲がりますが、いつも通りすぎてしまいます。この日も行きすぎて後戻りしました。こうして到着したのは10時過ぎでした。

写真OKの博物館
 福井県立恐竜博物館はできた時も今も日本最大の恐竜化石の展示施設です。最初のころはどこか素朴でまじめな展示ばかりでしたが、今は機械仕掛けで動く本物そっくりの復元模型が入口にあったりして、おもしろ味が増しています。でも、一番変わったのは写真が自由に撮れるようになったことでしょう。
 日本では博物館や美術館からお寺まで、およそお金を取って所蔵品を見せているところはみんな写真撮影禁止です。(例外はあります。東大寺の大仏殿や平等院鳳凰堂、萬福寺には撮影禁止の張り紙はなかったし、飛鳥寺なんてどうぞ撮ってくださいと書いて貼ってありました。21世紀美術館の「雲を測る男」は禁止にすること自体不可能です。)
 日本ではと断ったのは海外ではそうでもないらしく、ルーブル美術館は人類の宝を代表して預かっていると言わんばかりの態度とおおらかな対応で自由に写真が撮れるようになっていると、多田将さんという猫好きでどうも金髪にしているらしい素粒子物理学を研究している博士の「ニュートリノ」(イースト新書 イースト・プレス)という近ごろ読んだ本に書いてありました。
 ぼくがなんでそんな本を読むのかというと、恐竜好きになると自然と古生物全体に関心が出てきます。そうすると多少は地質学的なことが知りたくなりますが、それは地球がどうやってできたのかということが関わってくるので惑星や太陽系の形成のことまで関心が広がって、さらに地球以外に生命は存在するのかとか宇宙は何でできているのかということにまで及んでしまうと、始末の悪いことに行く着く先はとうとうニュートリノになってしまうんです。まあ、仏像を観るときに仏像の区別ができるというような程度の知識だけでは足りなくて、仏教そのものや作られた時代の背景からインドや中国朝鮮の仏像のことまである程度知識として必要で、さらにはバラモン教やヒンズー教、ゾロアスター教のことも少し知りたくなるのと同じです。
 それにしても素粒子について書いた本になんでルーブル美術館が出てくるのかというと、ニュートリノ振動という理論を説明するための譬え話として二枚の絵を見るときの角度がどうのこうのということが書いてあって・・・、でも、なにもルーブル美術館まで引っ張り出す必要性はどう考えてもないんですが、関係ないことまで講釈するのはこの博士の良い癖ですね。・・・という話はどうでもよく、ウサギにツノで福井県立恐竜博物館で写真が自由に撮れるというのは嬉しいことです。

鏡の壁面
 平日ですが、春休みだから家族連れがたくさん来ています。学生のグループもカップルもいます。そんな人たちの中にぼくら三人が混じって恐竜の骨格標本を見ています。ぼくとトモ君は恐竜初心者のミキオ君にあれこれ説明しながら見て周りました。・・・というのは始めのうちだけで、そのうちだんだんに適当になっていって、ついにはふたりだけの会話になってしまったのは申し訳なくも仕方のないことでした。
 展示内容は恐竜研究がどんどん進んでいるし新たな発掘も多いから、訪れるたびに最新のものに変わっています。展示作品を定期的に入れ替える美術館とはまた違った再訪の楽しさがありますが、もう一度見たいと思っていたものがなくなっている残念さは美術館と同じです。
恐竜博物館 というようなことを思いながら一心不乱に見ているつもりですが、傍からはボーっと暇そうにしているように見えるのか、たびたび、すいません写真を撮ってもらえますか、と声をかけられます。何人も撮ってあげているうちに、ここいらで自分らも一枚、三人が写った写真を撮ってもらおうか、と思いますが、そう思うと人が来なくて諦めると人が来ます。と今度は逡巡して声をかけられない。気が小さいからねぇと顔を見合わせて苦笑いしていると壁面が大きな鏡になっているところがありました。鏡の中の三人のうしろには巨大な竜脚類の標本も映っています。これを撮れば恐竜と三人が一緒に写る、きっとそのためにこんな仕掛けがしてあるんだと勝手に決め付けました。あとで画像を左右反転させればよいのです。でも三人ともイケメンだからその必要もないでしょう。(画像の左右反転とイケメンになんの関係がある、第一イケメンかどうか怪しいし、と言っているのが聞こえてますよ。)

お土産
 ぐるりとまわって行ったり来たり、下の階からから上の階まで全部見てお腹がすいたのでレストランでソースかつ丼を食べました。福井の名物料理です。ぼくはもうクタクタですが、ふたりは元気だから食べ終わるとミュージアムショップに行ってしまいました。
 ぼくは女房に、ソンムル ピリョオプソヨ テイシン チングハンテ チョムシムル サドュリセヨ(お土産は要らないからね、代わりにお友達にお昼をご馳走してあげてね)と言われて出てきていたので(うちの奥さんは韓国女性です)、ふたりのあとからミュージアムショップに行くということもしないで、帰りの車の運転のためにここは体力を回復させて・・・と都合の良い理由を考えて座っていました。

 しばらくしてふたりは両手にいくつも袋をぶら下げて戻ってきました。そして、奥さんにどうぞ、と言って、手にしていた袋のひとつをぼくのバッグのなかに入れてくれました。(2017年1月7日 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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