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4年目のシムーン

 今年も7月31日が来ました。
 今夜ぼくはきっと星空を見上げます。
 なぜって、今日は76年前偵察飛行に出撃したサン=テグジュペリが未帰還となった日だからで、夜空に小惑星B612を探します。
 なぜって、小惑星B612は王子さまの星で、羊が王子さまの大切にしているバラを食べてしまっていないかと気掛かりだからです。

 王子さまだの羊だのバラだの、なんの話かよくわからないけど、夜空に星を探すか・・・、見かけによらずロマンチックなこと考えるんじゃないの。でも、今年はいつもの年より梅雨(つゆ)が長くて金沢もまだ梅雨の中だよ、今夜も星は出ないんじゃない。
 それって心配してくれているんですか。
 だれも心配してない。ただちょっと常識を教えてあげただけ。
 そりゃどうも・・・。でも大丈夫、梅雨の夜空にも小惑星B612は見える。ちゃんと準備したからね。ちょうど真夜中、日付が変わるころ、小惑星B612は真上の空に見える。今年は準備したんだから、きっと見える。


COVID−19と梅雨と飛行機と
 COVID−19拡大防止のための外出自粛で巣ごもり中にソッピース・キャメルのプラ模型を修理したと前の回で書きましたが、修理が必要だったのはキャメルだけではありませんでした。そして手を付けたものの作業を中断、未完成のまま放置してあったキットもたくさんありました。つまり、そうです、キャメル以外の模型も触っていました。模型作りには適さない梅雨のさなか、未完成だったのを完成させたキットの中にエレール(Heller:フランスのプラ模型メーカー)の1/72がふたつありました。コードロンC.635シムーンとブロックMB174です。「シムーン7月31日」をアップしたのが2016年でした。あれから4年です。載せた写真のシムーンは未完成のままでした。完成させたんだから、今夜、小惑星B612はきっと見える。

コードロンC.635シムーン ブロックMB174


 なんとなくわかるような・・・やっぱりわからない、飛行機のプラモデルを作ってそれで星が見えるって、どういうこと。

 王子さまになついたキツネは麦畑を見て王子さまの金色の髪を思い出すと言い、バラとケンカして地球に来た王子さまはバラが地球ではたくさん咲いているのを見てはじめて自分のバラが特別な存在だったことがわかり、パイロットは王子さまが、砂漠が美しいのはどこかに井戸をひとつ隠しているからだね、と言うのを聞いてこどものころの記憶が蘇ると本当に大切なことはなにかに気が付いたのでした。

 
なにに価値を置くのか、あるいはなにに意味を見出すのかは、それが人それぞれなのは、その人の人生がそこにあるからなんです。だからほかの人が理解できなくてもそれでいい、本人だってよくわからないんだから。だれかにわかってもらおうと説明すればするほど違ってしまって最後には嘘になってしまいます。それは言葉にできない気分のようなものだから・・・。

 ねえ、小惑星B612ってどこにあるの、はやぶさ2の拡張ミッションで行ってもらえないかな・・・。えっ、はやぶさ2の行先候補はもう決まっているの、ああ、そうなの・・・。


 今夜、星空を見上げて小惑星B612を見つけたいと思っている人は、ほかにもいるだろうか。
 いるんじゃない、ひとりぐらい。どこかに。
(2020年7月31日 メキラ・シンエモン)


 シムーンとブロックMB174はサン=テグジュペリが乗ったことのある飛行機です、興味があったら下の解説を読んでください。どっちかって言うと自分のためのメモみたいなもんですが・・・。

サン=テグジュペリの飛行機
 シムーンはサハラ砂漠に吹く熱風のことですが、1930年代にフランスで造られた軽飛行機コードロンC.630〜635にシムーンという名前が付いていました。「小さな王子さま(星の王子さま)」の作者サン=テグジュペリはこのシムーンを2機保有していたといいます。2機ともC.630でした。1機は全体を真っ赤に塗ってスピナーから尾翼にかけての胴体側面に白のストライプがはいっていました。もう1機は、これはリビアの砂漠に不時着して大破した機体ですが、操縦席からうしろの胴体上半分を白にそれ以外の部分は赤に塗っていました。赤が好きだったんですね。

パリから日本へ飛んだシムーン
 シムーンは見た目のきれいな飛行機ですが性能も優れていて航空機の歴史にその名前を残す名機でした。今回仕上げた模型は「シムーン7月31日」に製作途中の写真を載せていました。黄と赤で派手に塗り分けていますがキットの指定塗装です。この機体について組み立て説明書にはRaid PARIS-TOKYO 1937と書いてありました。
 昔は日本の航空ファンの間ではシムーンと言えばサン=テグジュペリではなくて、日本に馴染み深い飛行機という認識でした。フランス航空省が企画したパリ東京間を100時間以内で飛ぶ懸賞飛行に3機のシムーンが挑戦しています。このキットの機体はそのなかの1機、1937年に挑戦したマルセル・ドレ(操縦士)とフランソファ・ミケレッチ(機関士)の搭乗機ではないかと思います。ちなみにふたりが懸賞金を獲得することができたのかというと、5月26日、上海を離陸して東京に向けて飛行しますが、途中悪天候のため高知県の戸原海岸に不時着してふたりは負傷しました。つまり失敗でした。ほかの2機も失敗しています。同じ1937年に朝日新聞社の神風号(陸軍の三菱97式司令部偵察機の試作機)が東京ロンドン間を97時間17分56秒(休憩補給時間を含む)で飛行し世界速度記録を樹立しています。

ブロックMB174 サン=テグジュペリの初陣
 ブロックMB174は双発の偵察機で優秀な新鋭機でしたが、ドイツのフランス侵攻時には機数が揃わず活躍できませんでした。その最初の作戦でサン=テグジュペリ空軍大尉が操縦桿を握ったといいます。ということはサン=テグジュペリにとっても初陣の機体だったということになります。
 この模型もキットの指定塗装で仕上げてありますが、サン=テグジュペリが所属したフランス空軍飛行33連隊第2偵察大隊(GRII/33)の装備機です。ではこれがサン=テグジュペリの搭乗機なのかというと、サン=テグジュペリは第3中隊に配属されていましたが、この機体が第3中隊の所属機なのかどうかはわかりません。違うような気がします。
 プラ模型になる機体、すなわち模型メーカーがキット化する飛行機というのはなにかの記録を作ったとかエースパイロットが乗っていたとか塗装がカッコいいとか、そういうものばかりで、それは飛行機プラ模型ファンの関心がそうだからで、作家の乗っていた飛行機なんて、それが世間でどれだけ有名人でも、だれも作ってみたいとは思わないようです。
 シムーンだって飛行機プラ模型ファンならリビアの砂漠に落ちた作家の機体よりパリ東京間の懸賞飛行に果敢に挑戦した機体を作りたいと思うに決まっています。そしてサン=テグジュペリのファン、あるいは「星の王子さま」のファンはプラ模型など作らないでしょう。(2020年8月1日 メキラ・シンエモン)

神風号(LS 1/72)


ちなみに、模型作りには適さない梅雨のさなか、修理した機体は13機、完成させた機体は6機でした。

模型の製作と写真:メキラ・シンエモン



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