2-40-KN18

近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

醤油の町 大野 つづき ―大野からくり記念館と発酵食美人食堂―

 大野弁吉と田中久重、耳にしたことも目にしたこともない名前だと思いますが、ふたりとも幕末の発明家で技術者、いわゆる「からくり師」と言われた人です。田中久重は芝浦製作所(東芝の前身企業のひとつ)の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれていました。一方の大野弁吉は京都に生まれ大野に住んだ人で、田中久重に劣らぬからくり師でしたが目立つことを嫌ったらしくほとんど名前が知られていません。この無名のからくり師大野弁吉を中心とした、江戸末期から明治初期にかけての日本の機械工学、特に機構学的なものに関する博物館が大野にあって、その名も「大野からくり記念館」といいます。


大野港
 大野日吉神社裏の遊歩道を歩いてきてぼくと友人は腹ペコでしたが、お昼にはまだ早かったので大野川河口に架かる大野大橋を渡って大野港の突端にある「大野からくり記念館」に行くことにしたのでした。
 途中、橋の上からは大野の町がよく見えました。たくさんの小型船舶が係留された大野川の左岸に、昔ながらの瓦屋根の町並と醤油蔵の煙突が見える風景はなかなか風情があります。うしろに重なるの山並のむこうには、まだ雪を残す金沢市最高峰の奈良岳と加賀の霊峰白山が見えていました。思っていた以上の絶景でした。

 『大野港の突端にある「大野からくり記念館」』と書きましたが、「石川県金沢港大野からくり記念館」が「大野からくり記念館」の正式名称です。金沢港と冠しています。なのに「金沢港の突端にある」とせずに「大野港の突端にある」とぼくが書いたのにはわけがあります。
 金沢港は河北潟から日本海に注ぐ大野川の河口にあった大野港を、大幅をべき関数的に三回掛けたくらい極めて大規模に拡張し金沢港と名付けて、昭和45年に開港した比較的まだ新しい石川県が管理する港湾です。だから大野港は金沢港に名前が変わっているんですが、大野港という呼び名は今も使われていて、漁船の埠頭を大野港と呼んで貨物船や客船の埠頭がある辺りと区別しているようです。
 大野港というバス停もあって習慣的にそう呼んでいるんだと思いますが、それは、前の回で書きましたが、大野には、幕末に隣の宮越(みやのこし)と合併させられて金石になったのに、世間では金石は宮越のことだと言っていたという、名前を消された過去があって、今度は港から名前が消えてしまい、またかよ、もういいよ、自分たちはそのまま大野港と呼ぶから、という意味を含んでいるのかもしれません。もしそういうことなら、というので、位置的にも漁船の岸壁に近いことだし『大野港の突端にある「大野からくり記念館」』と敢えて書きました。やや感傷的です。

大野からくり記念館
 ぼくはこれでも機械工学科の出なので「大野からくり記念館」のような場所は元々好きなのですが、以前の回で取り上げた金沢製糸場や尾山神社の神門を建てた津田吉之助に関する展示などもあって、おもしろく見ることができました。でも、今回は展示内容や大野弁吉については他のサイトに譲ることにします。展示より建物の方がもっとおもしろいと思ってしまったんです。仏像を観に出かけても建物の方により関心がいくことはまずないのに今回はちょっと違ったんです。とてもすてきなデザインの建物でした。

 設計は内井昭蔵という人です。もう亡くなっている方で、皇居・吹上御苑の新御所などを設計した、日本建築史に名を残すほどの建築家だそうです。それほどの建築家の設計になる建物はというと、上から見ると楕円形をしていて、傘の形をした屋根を支える四角の柱は1メートルぐらいの間隔で外側に倒れて並び、しかも斜めに傾いています。柱は外側と内側の2列があって、それが互いに逆方向に傾いています。つまり内側と外側の柱の列が互いに反対の方向にねじれていて、金沢駅の鼓門と同じ構造です。天井は化粧屋根裏風で、放射状に組まれている木材が大胆にむき出しです。
 まるい形は金沢21世紀美術館と同じですが、むこうは真円で直線的こちらは楕円で曲線的、と対照的です。そして、むこうが21世紀ならこちらは19世紀です。幕末のからくり師の博物館だから19世紀なんじゃありません。内側の柱と柱のあいだ、つまり壁面は全周にわたり三角形を組み合わせた枠にガラスが入れられていますが、そのガラスの内側にはやはり三角形を組み合わせた障子がはめ込まれているので、日の光が柔らかく差し込んで伝統的な日本家屋を思わせる、とても感じのいい建築です。意匠的には木と紙でできている建物です。だから19世紀です。
 ところで、この三角形を組み合わせた障子はの形と大きさはひとつひとつ異なっていて、建具屋さんは作るのにとても苦労したといいます。こんな楕円の筒がねじれたような形の建物では壁は曲面か球面で、壁面にはめる障子の三角形は非ユークリッド幾何学が扱う三角形になるからでしょう。そんな技巧を凝らした造りもまた、江戸のからくり師の博物館にはピッタリに思えます。

 ぼくらは一時間ほども中にいたようです。外に出るともう正午をずいぶんとまわっていました。だから、ごはんにします。お昼を食べることにしている「発酵食美人食堂」に向けて岸壁沿いの道を歩いていき金沢港の方を見れば、コンテナ船の泊まっている埠頭の向こうに立山連峰が白く光っていました。

変身醤油蔵
 大野には使われなくなった醤油蔵を改装した飲食店や発酵食品の店、ギャラリーなどがたくさんあります。それらをぼくは変身醤油蔵と呼びたいと思います。醤油蔵を改装したと言うより醤油蔵を変身させたと言うべきで、それは使われなくなった蔵の再利用ではなくて新たな使い道の創出でした。
 使われなくなった醤油蔵がたくさんあったのは醤油の生産量が減ったからではなくて、流通形態の変化が原因だったようです。すなわち、スーパーなど量販店でも醤油が売られるようになってほかの産地の醤油も入ってくると、それに対抗するための高度な品質管理が求められ、醤油メーカー各社が集まって共同で生醤油の段階までを製造する近代的な工場(大野醤油醸造協業工場)をつくったことで、醤油蔵が要らなくなったんだそうです。
 そんな変身醤油蔵のひとつが糀パーク「百年蔵」で、ぼくらがお昼を食べようと思っている「発酵食美人食堂」はこの中にあります。こうじの字は麹を使わないで糀を使うというこだわりようです。(麹はすべてのこうじに使える漢字で、糀は米麹にだけ使う和製漢字。)でも、発酵食美人ってどんな美人なんでしょ、よくわかりませんが思い切った名前にしたものです。

発酵食美人食堂
 ええーっ、知らなかった、入口に「完全予約制の会員制食堂」と書いてあります。どうしようか、ほかへ行くしかないかな、と思ったら、席があれば食べることができそうなことが書き添えてあります。どういうこと、と友人と顔を見合わせて首をひねりますが、まぁ来ちゃったんだし、とにかく入ってみましょうか、というのでガラスの引き戸を開けてなかに入ります。
 いらっしゃいませ、ご予約の方ですか、と出てきた焦げ茶色の制服を着た女の子に勢いよく訊かれます。いえ、そうじゃないんですが・・・、と小声で答えると、今日は席があります、どうぞ、とホッとさせる元気な声が返ってきました。入口から一番遠くカウンターに一番近い、真ん中で天窓のすぐ下の席に案内されました。天窓の横に吊るされた古風なシャンデリアがいい感じです。

 昼時11時から14時までの営業で、メニューは「発酵食美人ランチ」と13時から加わる「塩糀カレーランチ」のふたつです。入ったのは13時前だったからぼくらが食べたのは「発酵食美人ランチ」でした。選べたとしてもきっとこれにしていました。献立は月替わりですが、デザートは日替わりでデザートと一緒に出てくる飲み物が三種類の中から選べます。
 はじめに食前酒みたいに甘酒が出てきます。アルコールは入っていません。席に案内してくれたのとは別の女の子が運んできました。今月の献立は画像のとおりで、四角で白色の器にけっこうたくさんの料理が盛りつけてありました。本日のデザートは草餅で、ぼくが頼んだ飲み物は、これはどういうものなんだろうと思って選んだ「糀ココア」とかいうもの(名前の記憶があやふやです)でした。なんとなくお味噌の香りのするような甘酒の混じったようなココアでした。そんなランチを食べた感想は、食べ物の味を言葉で表現するのは無意味で不可能だとぼくは思っていて、本当は表現力が貧弱なだけですが、だから一言です、おいしかった。

 食べ終わってレジに行くとまたちがう女の子が現れて、おふたり分で3000円になります、お会計はご一緒ですか、と普通に訊いてきます。ハイと答えて財布を出すと、その子は友人の被っている黒色のハンチングキャップを褒めて、おしゃれな帽子ですね、と言いました。レジで話しかけてくるなんて愛想のいい子です。友人はやや照れ気味に嬉しそうでした。ぼくも帽子を被ってくればよかった・・・かな。


 お腹もふくれて気持ちも和んだぼくらは、何艘もの漁船が繋がれている大野港の岸壁を歩いて金沢港の方へゆっくり歩き「金沢港いきいき市場」まで行って引き返し、金沢市から「こまちなみ保存地区」に指定されている大野の町を歩きました。
 歴史を感じさせる町屋がひっそりとして、人も車もめったに通らない昼寝しているような午後の町を、ぼくらはそこここにある変身醤油蔵を覗きながらぶらぶらしました。穏やかな初夏の一日、なにも考えなくてよい時間が少しずつ流れていました。(メキラ・シンエモン 2018年5月29日)


写真:メキラ・シンエモン


 ホーム 目次 前のページ 次のページ

 ご意見ご感想などをお聞かせください。メールはこちらへお寄せください。お待ちしています。