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モミジイチゴが食べごろになりました

 野田山でモミジイチゴが食べごろです。金沢では本来6月に入ってから食べごろになるモミジイチゴですがここ数年は5月のうちに食べごろになっています。今年は20日頃から食べごろの実がひとつふたつと現れて一週間後には半分以上が食べごろになりました。モミジイチゴは木苺すなわち木に実が生る野性のイチゴです。高さ1メートルほどの華奢な木の細くてしなやかな枝には2センチにもなる大粒のオレンジ色の実がたくさん付きます。山道の際や斜面などに生えています。実の生るころすぐ横でスイカズラが花を咲かせているのをよく見かけます。

モミジイチゴ 2023年5月28日 金沢市郊外 野田山



牧野富太郎「植物知識」
 NHKの朝ドラ「らんまん」を録画して毎回観ています。ぼくが朝ドラを見ることはまずなくこれまでの唯一の例外が「ゲゲゲの女房」でした。それはもちろんぼくが水木しげるのファンだったからで朝ドラを熱心に観るなんてことはもうないだろうと思っていたのに、それがまた朝ドラを観ているというのは主人公のモデルが明治中期から昭和中期にかけて活躍した著名な植物分類学者牧野富太郎博士だからです。ぼくはわりと草花が好きでそれはこれまで「通りがかりの者です」に書いてきたオウレンヤマボウシワルナスビヒヨドリジョウゴなどの記事で想像がつくと思います。

 牧野富太郎の知名度は日本ではさほどでもないのか、NHKではその放送開始から暫くの間、歴史番組から自然科学番組さらに園芸や料理の番組にまでこの世界的に知られた生物学者を取り上げてさかんに啓蒙に努めていました。ぼくはと言えば若いころにこの博士の書いた本を買って読んでいました。と言って読んだのは講談社学術文庫に入っている「植物知識」というわずか120ページあまりの薄っぺらな文庫本たった一冊だけだからまったく威張れる立場ではありません。買ったのがいつごろだったのかというようなことはどうでもいいことですが奥付(おくづけ)を見ると、昭和56年2月10日第1印発行、定価360円、と書いてあります。

 大昔に買ったこの本は今でも手元にあって最近では「彼岸の入りの断腸花と墨東綺譚」を書いたときに参考にしています。記事の中で、秋海棠の俗称断腸花のいわれははっきりしなくて俗説は空想としか思えない、と書きましたが、それは「植物知識」に「また俗間の伝説では、昔一女子があって人を懐(おも)うてその人至らず涕涙(ているい)下って地に酒(そそ)ぎ、ついにこの花を生じた。それゆえこの花は色が嬌(あで)やかで女のごとく、よって断腸花と名づけたとある。」と書いてあって、その話と実際の花の様子がどうしても結びつかなくてどうにも納得できなかったからでした。

 この本は本文より「まえがき」と「あとがき」が断然おもしろくて「まえがき」はいきなり、花は生殖器である、という書き出しではじまり度肝を抜かれます。なるほどそう言われてみれば確かにそうで、しかし可憐な花を見てだれがそんなことを第一に考えるでしょうか。もっともこれは西洋の学者の受け売りのようでした。「あとがき」には自分が親鸞ほどの人物なら草花を本尊とする宗教を樹立して草木を愛することで人間愛を養うと説くだろうということが書いてあって、草木を愛すると人間愛が醸成されるというのはそれはそうであっても、こんなことを考える牧野博士は宗教を必要としない人で、まさに天真爛漫、なるほど朝ドラのタイトルが「らんまん」なわけです。

 モミジイチゴという表題なのにいったいなにを書いているのかと思ったでしょう。今回は草花をテーマにしようと思ったとき朝ドラ「らんまん」が頭に浮かび、そう言えばと「植物知識」を思い出して、ドラマの主人公のオタク的変人ぶりはまだまだ、ほんものはあんなもんじゃない、オタクなんていう軽い言葉では言い表せない時空を超越する変わった人だったのは「植物知識」一冊を読んだだけでもよくわかるということを書いています。このなんの文脈もなくいきなり始まる混沌はいつものことですがこれこそ「通りがかりの者です」らしさあるいは真骨頂なんだと開き直ってみても、今回は際立ってそうなってしまってちょっと拙かったかと自分でも思います。と言っときながらもったいないから削除はしません。ちなみに仮にぼくが博士と同時代の人でなにかの交渉を持つ機会があったとしたら最初は圧倒されて好きになりでもきっと後からは距離を置いたと思います。ぼくはこのような人とは知己にはなれません。

モミジイチゴ
 「植物知識」とは漠然とした題を付けたものですが、先に書いたように120ページほどの薄っぺらい本だから取り上げている植物は少なく花が18種に果実が5種だけで、しかも植物の学術的記述より逸話みたいなものが多くて図も小さくて、なるほど「図鑑」としないで「知識」にしたわけです。えっ、牧野富太郎がまだ続くのかって、違いますよ、この本のわずかしかない果実の項の最後にイチゴが出てくるんです。オランダイチゴです。オランダイチゴとはどんなイチゴかというと、なんのことはないぼくらがスーパーで買って食べている普通のイチゴ、ストロベリーのことです。野生のヘビイチゴと同じだと書いています。ヘビイチゴは野原でヘビが食べるイチゴだからヘビイチゴだとも書いていますが本当にヘビが食べるんですかね・・・。味はしないそうです。

ヘビイチゴ 花 2023年4月19日 野田山 ヘビイチゴ 実 2023年5月16日 野田山

 モミジイチゴは葉の形がモミジに似るのでこの名前が付いたといいます。その実は甘酸っぱい味がして日本に数十種もあるという木苺のなかで一番おいしいと言われています。木苺はストロベリーと同じバラ科ですが実の形態がストロベリーとは全然ちがいます。ストロベリーの、あんまり甘くないの・・・、とか言って食べている肉質の部分は花托(かたく)といって茎の上部にあたる部分ですが、木苺はツブツブ(水泡)の集まりから成る実を食べます。このツブツブの中は甘い汁で満たされていますがモミジイチゴは甘酸っぱくてストロベリーよりよほどおいしい味がします。

まだ熟れていない実 2023年5月22日
食べごろの実 2023年5月28日

 余談ですが「植物知識」にはバナナのことも書いてあってぼくらはバナナの皮を食べているんだそうです。つまりバナナは皮を剥いてもそこはまだ皮だったわけです。この程度のことなら今ならWEBで簡単に知ることができますが、わかったところで果実がおいしくなるわけでもなくなにかの役に立つわけでもないからあえて調べる人もいないでしょう。しかし知ってみれば、そういうことならぼくらはストロベリーは茎を食べバナナは皮を食べているという事実がおもしろい・・・と思うのはぼくぐらいですか。

 モミジイチゴは実がよく熟れるとちょっと触るだけでポロリと取れます。軽く引っぱって取れないようならまだまだです。ツブツブがたくさん集まった大きな実よりツブツブの数は少なくてひとつひとつのツブが大きい小さな実の方がおいしい。色もオレンジ色が濃いものがよく熟れています。バラ科だから鋭いトゲがあって採る時は気をつけないといけません。指や手を傷つけます。奥の方の実を採るなら長袖でないと半袖ではトゲが腕に刺さって思わず、イタタッ、となりますが、長袖は長袖でトゲに引っかかって無理に外そうとすると袖が破れそうでなかなか難儀します。

モミジイチゴ 花 2023年3月27日

 モミジイチゴの花は白色で花びらはしわしわです。桜と同じころに咲きます。不思議なことに桜が早ければ早く咲き遅ければ遅く咲く。実を結ぶのも同様で青いサクランボが赤くなって黒くなるとモミジイチゴは食べごろです。ヘビイチゴは花が少し遅く咲きますが実は少し早いようです。ストロベリーはヘビイチゴと同じみたいで我家の庭で勝手に咲いて実を付けているのを観るとそんな感じです。この庭のイチゴは何年か前に苗を買ってきて植えたイチゴで毎年花を咲かせて実を結んでいます。でもなにもしないでほったらかしだから実は小さくて歪(いびつ)です。ところが味はまあまあ。採り忘れると虫かナメクジが食べてしまいます。奴らは食べごろをちゃんと知っているらしく採るのがちょっと遅くても食べられてしまします。

イチゴ 花 2023年4月17日 自宅庭 イチゴ 実 2023年5月16日 自宅庭


 アジサイやウツボグサが咲きはじめ、スイカズラの甘い香りが漂うころ、ウォーキング途中に足を止めてモミジイチゴを摘んでその場で食べるのが楽しみです。熟れた実を摘む時その切断面から漏れた汁が指についてベタベタします。そんな実を水で洗うと表面に付いた甘酸っぱい汁が流れ落ちてしまっておいしさ半減です。採ってから時間が経っても味が落ちるのでその場でさっとゴミを払って口に入れるのが一番です。洗わないのは汚いから食べないという人の知らないこのおいしさは梅雨入りまでの束の間の楽しみです。

ウツボグサ 2023年5月28日 野田山 スイカズラ 2023年5月28日 野田山



 花というのは、したがって実も、毎年同じようには付きません。年によって多かったり少なかったりします。しかしタケノコみたいに表裏があるとは思えず、気候の影響だけとも思えず、ぼくにはむしろ植物の気まぐれにしか見えません。ぼくが気まぐれな人間だから言うのではありません。牧野富太郎博士のようなそのために生まれて来たみたいな人にも真相は解明できないような気がします。あえて言えば草花には草花の考えあるいは気分があるようです。もしそうなら個体ではなくそれは少なくとも近くに生える同種が集団として持つ考えあるいは気分ということになりますが、植物が近くにいる個体同士で意思疎通していて集団として意思を持っているなんてことはないとは言い切れないでしょう。
 もし草花が付ける花や実が多いか少ないかはその植物の気分次第なのならその方が生き物らしくてなんだかホッとします。草花に限らず生き物はなにかの法則に従って生きているようで、そうでもないよ、というところがけっこうあるように見えて、植物や動物のその法則性のないところに人は癒されているんじゃないのかなという気がこのごろしています。 2023年5月29日 メキラ・シンエモン(虎本伸一)



写真:虎本伸一


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