32 白峰村
白山麓の「堅とうふ」
白山麓名物に白峰村の「堅とうふ」というものがあります。その名のとおりの硬い豆腐です。豆腐が硬いといえば崩れにくいということですが、「堅とうふ」の崩れにくさは並や大抵ではなく、縄で縛って持ち歩くという代物です。たいへんに崩れにくい豆腐なので、刺し身にしてわさび醤油で食べるのが一番うまいと言われています。白峰村の白山本地堂の向かいにある民宿で「堅とうふ」の刺し身を食べたことがありますが、随分と歯応えがあっておいしいものでした。
しかし、なぜ硬い豆腐なんでしょう。まさか縄で縛って持ち歩くために硬くしてあるわけでもないでしょう。
「白山麓の里山だより」という白山連峰合衆国が出しているメールマガジン(月二回の配信)があります。その第8号(6月7日)から「堅とうふ」にまつわる民話風の話が連載中です。連載はまだ二回ですがこれまでの話は、昔白峰の人で冬場の仕事がない時期に、京都の豆腐屋へ出稼ぎに行った人がいて、豆腐の造り方を教えてもらうと村に戻って豆腐屋を始めたところ、はじめはたいして食べる人もいなかったが、次第にみんな食べるようになった、というところまでになっています。こんな風に要約してしまうとたいして面白くもない話に見えますが、もちろん原文はこれよりずっと面白く興味深い話になっています。(写真は道の駅「しらやまさん」にあった白峰村のパンフレットから)
ところで、この白峰の人が造った豆腐はどんな豆腐だったのか、つまり、硬かったのか軟らかかったのかということですが、連載第二回に「かくして、本場京都仕込のとうふ屋が白峰に生まれました」と書いてあります。それで京風の豆腐だったことは分かりますが、硬さまでは分かりません。「本場京都仕込」と書いてあれば、どんな硬さの豆腐なのかは自動的に分かるものなのかもしれませんが、ぼくにはそこまでは分かりません。
しかし、白峰の「堅とうふ」がはじめから「堅とうふ」だったのなら、たいして面白くもない話です。わざわざメールマガジンで紹介するくらいだから、きっとはじめは軟らかい豆腐だったのが、何かの理由で「堅とうふ」になったのであって、そういう話がこれからの連載に出てくるのだろう、と想像していたら、山本一力さんがこのまえ直木賞を受賞した「あかね空」という小説を思い出しました。
「あかね空」は、京都で修行をした豆腐職人が江戸の裏店で開業するという下町人情話ですが、こういう話の例に漏れず、店は出したがはじめはさっぱり豆腐が売れなかった、というところから話が始まります。豆腐が売れなかった理由は、この豆腐屋さんにはこだわりがあって、作るのは京風の軟らかい豆腐だったので、硬めの豆腐を食べている江戸っ子の口には合わなかった、というものでした。
「あかね空」の時代設定は江戸時代中期ですが、「堅とうふ」の話しの方はただ昔となっているだけで、いつの時代の話なのかは判然としません。だから、同じ京風だからといって同じ豆腐だとは言えないのかもしれないのですが、白峰の豆腐屋さんがはじめに造った豆腐も、やはり軟らかい豆腐だったと考えても良いのではないかと思います。そうでないと、この先の話が面白くないということはすでに書きました。
では、京風の軟らかい豆腐だったのが、なぜ、縄で縛って持ち歩ける、というような硬い豆腐になってしまったのかということですが、連載第二回は最後に白峰の「出作り農家」の話が出てきて終わっているので、あるいは豆腐が硬くなったことと「出作り農家」は何か関係があるのかもしれません。「出作り農家」というのは、その昔村から離れた山の斜面に小屋を掛けて畑を作った農家のことで、平地が少ない白峰ではそういう農家が随分とたくさんあったそうです。
あれやこれや、なんやかやと色々勝手な想像をしているよりも、こんなのはインターネットでも何でも、ちょっちょっとあさって調べる方が手っ取り早くて、簡単に知ることができるのかもしれませんが、ものぐさなぼくは、連載の続きを読む楽しみのためという理由をつけて、それをしないで、次のメールマガジンが配信されるのをのんびりと待っています。(平成14年6月23日 メキラ・シンエモ
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