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南無観自在 南無観 ―東大寺二月堂お水取りとCOVID-19― 

 COVID-19パンデミック二年目も、早9月となりました。前回に続いてお水取りの2回目です。今ごろ3月にあった東大寺のお水取りでもないのですが、新型コロナウイルス感染症という疫病は収束がまったく見通せないこの状況に、今年のお水取りがその最中(さなか)での法要だったことを改めて思ったからです。
 お水取りは東大寺の修二会(しゅにえ)の通称です。修二会は悔過作法(けかさほう)と呼ばれる、その名が示す通り悔い改めを主体とした法要の一種で、旧年の懺悔(さんげ:仏教では「ざんげ」を「さんげ」と読む)と新年の平安豊穣を願って十一面観音菩薩に祈りを捧げます。だから東大寺に限らずほかのお寺でも行われていて例えば薬師寺の修二会は花会式(はなえしき)という呼び名で知られています。東大寺の修二会がお水取りと呼ばれるのは、法要を構成する行法(ぎょうほう:行の方法、スケジュール)のなかに「お水取り」という儀式があって、それが東大寺の修二会だけに見られる特徴的なものだからです。3月に行われる(3月1日からの14日間)お水取りの場となるお堂を二月堂と呼ぶのは、修二会の正式名は修二月会といって元は旧暦の2月1日から行われていたからです。それで二月堂とはわかりやすい名前にしたものですが、季節の気分と特殊な法要を行うお堂の雰囲気が感じられて日本人好みの命名です。同じ東大寺にある三月堂には法華堂という別名があるから二月堂にも・・・と思ったら、ほかの呼び名は付けてもらえなかったみたいです。

 NHKは今年のお水取りの3月13日の様子を生中継しました。お水取りを記録した映像はこれまでもあったと思いますが生中継は初めてで、まさに空前絶後、今後もないでしょう。中継はその日のすべての行法を見せてくれたということではもちろんなく、夜の7時ごろから練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる行を修するお坊さんたちが二月堂に上がる、テレビのニュースでお馴染みの「お松明」と、「六時の行法(ろくじのぎょうぼう)」と呼ばれている毎日6回行われるそれぞれ異なる内容の行法のうち4番目の「半夜(はんや)」から最後の行法「晨朝(じんじょう)」が終わって練行衆が二月堂を下りるところまででした。つまり中継は「お松明」が終わったところで一旦中断し午後10時半ごろから再開となり、すべてが終わったのは日付が変わった午前1時を回ったころでした。さらに5月と6月にお水取りの舞台裏あるいは楽屋話とでも言うべき関連番組が放送され、コロナ禍での苦労や行に臨む11人の練行衆の思いが語られました。二月堂の中でなにが行われているのか、興味津々で見ていましたが、今年NHKがこんなにお水取りを取り上げたのはやはりCOVID-19の終息を願ってのことだったんでしょう。東大寺のお水取りは疫病退散こそがその動機でした。


お水送り
 テレビの中継や後日の番組でも語られることがなかったお水取りをまずちょっと書いておこうと思います。「お水取り」に対して「お水送り」という儀式があります。これも東大寺修二会の一部と言えるのですが舞台は東大寺ではありません。福井若狭の小浜での話で、毎年3月2日の深夜に行われる神仏混合の行事です。東大寺の「お水取り」儀式は修二会の12日目すなわち3月12日の深夜、香水(こうずい)と呼ばれる仏様に供える聖なる水を井戸から汲み上げる秘儀ですが、この香水は一年にだたこの日一日だけ流れてくると言われています。それはどこから、香水はどこから流れてくるんでしょう・・・。ヒントです。「お水取り」で香水を汲み上げる井戸を「若狭井」と言います。地図を見るとわかりますが、東大寺から真北に向かってどんどん進んで行くと若狭の小浜市に突き当たります。小浜に小浜神宮寺というお寺があって、そこの住職さんが3月2日の深夜、近くを流れる遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬(うのせ)という淵に香水を注ぐという儀式を行います。これを若狭では「お水送り」と呼んでいるんです。小浜の鵜の瀬と東大寺の若狭井は地下で繋がっていて、鵜の瀬で注がれた香水は10日間かけて若狭井まで流れていくと言われています。すなわち東大寺修二会の「お水取り」という儀式は、若狭鵜の瀬から奈良東大寺まで流れてきた香水をちょうどよいタイミングで井戸からすくい上げる作業だったんです。

 はあ、というような話ですが、やはり謂れ(いわれ)はありました。お水取りでは全国から神様が呼ばれるのですが、記念すべき第一回のお水取りで若狭の遠敷明神という神様が魚釣りをしていて遅刻してしまい2月12日(旧暦)の深夜になってやっと到着しました。遅いよ、おまえなにしていたんだよ、とほかの神様たちからいじられた遠敷明神はお詫びとして香水を送ることを約束したというのです。「お水取り」儀式の起源ですが、そのころ若狭と東大寺のあいだに起きたなにか重要な意味を持つ出来事を変形させて修二会に採り込んだのが「お水取り」という儀式だったような気がします。ちなみに二月堂を創建しお水取りを創始したのは実忠(じっちゅう)という名のお坊さんですが、インド僧で若狭の神宮寺から東大寺に行ったお坊さんだったと小浜では伝わっているようです。歴史事実としては実忠の生没年及び出自は未詳です。

別火坊
 練行衆は11人です。10人でもない12人でもない中途半端な人数です。どうして11人なのかという説明は今のところ聞いたことも読んだこともありません。探ってみようという熱意はないのでいつもの妄想に耽ってみます。11人にはそれぞれ「和上(わじょう:修二会の総責任者)」「咒師(しゅし:密教的および神道的儀式を主導)」「処世界(しょせかい:最年少で雑務を担当)」などの名前が付いていて役割も決まっています。煩わしいので全員のそれを書くことはしませんが、その名前役割から練行衆が11人である理由は見えない気がします。それに昔はもっと大人数だった時期があったり、前半と後半でメンバーは入れ替わっていた時期もあったといいます。しかし宗教では数字は大きな意味を持ちます。そこで妄想ですが、修二会のご本尊が十一面観音菩薩であることから、十一面に合わせて11人にした、と言うより11という数字を持ってきてご本尊を称えているんだろうと思います。ちなみに十一面観音の十一面とは観音菩薩本体の顔、頭上の正面に3面(慈悲深い菩薩の顔がみっつ)、左右の側面に3面ずつ(牙をむいて脅す顔がみっつと目をむいて怒っている顔がみっつ)、そして頭の後ろに飛び出して1面(大笑いして軽蔑する顔)の合計11面です。観音様は人を救済するとき、その人にもっとも相応しい面を見せるというのですが、それがなぜ11という数になっているのかは知りません。本体の顔を含めず頭に11面を並べた例もあるといいます。また法隆寺には九面観音という頭上の顔が2面少ない多面観音菩薩像が伝わっています。

 練行衆はお水取りの期間中、二月堂下の参篭宿所で寝泊まりするのですが、それに先立ち2月20日から別の宿坊に籠ってお水取り直前まで修する前行(ぜんぎょう)に入ります。すなわち修二会に入る前に心身を聖別し道具の準備などをするための合宿をするのです。今年は新型コロナ感染防止対策として前行の前に14日間の隔離生活をしたというから、修二会も含めると一月半も世間との交渉を絶っていたことになります。もちろん家族とも会えない。ぼくらとはちがって修行の積んだお坊さんとはいえ、心身ともに健康な人にとってそれは並々ならぬ試練だったでしょう。練行衆は11人ですが全員が東大寺のお坊さんというわけではなく全国の華厳宗のお寺から選ばれて参加しているお坊さんも含まれています。東大寺のお坊さんだけでやっていてはお寺のルーチン業務をする人が足りなくなるからでしょう。それに毎年同じ人が続けてやるのは、お水取りは寝食を切り詰めたかなりの荒行だから、やはり大変なんでしょう。それで、年に一度のことでもあるし、前行は練行衆を外の世界から隔絶して聖別するという目的のほかに、手順の復習や声明の練習、新人の教育という実施上の必要性といった現実的な側面もあるのだと思います。合理的ですが、この合宿もまた"行"なわけです。
 この前行のために籠る宿所を別火坊(べっかぼう)と呼んでいます。常設の宿坊ではなく、林に囲まれて静寂のなかに建つ戒壇院の庫裡に期間限定で開設されます。別火坊とはいい名前です。別火とは、火を別にするということですが、火は煮炊き、暖房、入浴、照明など生活一般に必要不可欠だから、別火は生活を別にするという意味で、聖別のために世間から隔絶して生活する前行の外観を表す言葉だと言えます。直接的とは言えないどちらかと言えば象徴的な名前ですが、このような人の営みに基づく血のかよったなにか感じさせる命名には、二月堂の命名とはまた違った、センスの良さが感じられておもしろいと思います。お水取り関連の施設の名前ばかり気にしているんじゃないの、と思うかもしれませんが、そうなんです、そういうことに意識がいく傾向がぼくにはあるんです。大安寺の嘶堂もそうだったでしょう。でも、名前は意味だけでなく雰囲気や気分も持っているわけで、人と言わず物と言わず、名前から受けるそういった精神的印象にぼくらは、感情はもちろん思考までも、目に見える形や色から受ける物理的印象以上に支配されているんじゃないでしょうか。


 NHKの番組には出なかったお水取りはこのくらいにして中継がどうだったのか、そろそろぼくが観たお水取りに話を移そうかと思いますが、それがどのくらいの分量になるのかわからないし、今回ももう結構な字数になっているので、それは次回にしようと思います。また疲れたんですか。そう疲れました、こればっかりやっているわけではないので・・・。最近あまり本を読んでいないようだしクラシックもほとんど聴いていないんじゃないの、ほかにもなにかやっているって偉そうだけど、どうせプラモデルなんでしょう。(2021年9月1日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン



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