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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

あんずよ花着け あんずよ燃えよ 淡いピンクのあんずです

 この冬はあんなに雪が降ったのに暖冬だったそうです。平均気温から言えばということのようですが、気象台の判定は暖冬でも生身の体はそうは言っていません。今日は暖かいけど昨日は寒かったとただそう思うだけの季節を感じることのない冬でした。では自然はどう判断したんでしょう。例えば草木なら、オウレンの花が咲いたのは早くもない遅くもない普通だったから、自然にとってこの冬は平年並みでした。でも1月に雪の中に咲く花にだけ訊いてそう決めてしまうのは早計かもしれません。それならあんずにも訊いてみましょう、いつ花を着けたのか。大乗寺丘陵公園で孤独のあんずは3月14日にはもう咲いていて18日は満開まであともう一歩でした。去年よりいくぶん早いようです、五日ほど。暖冬だった去年より早いのなら、自然も気象台を支持して暖冬を主張しているみたいです。

咲きはじめ 2021年3月14日


 そこにたった一本立っているあんずの木の前で、その淡いピンク色をした花の写真を撮っているといろんな人が話し掛けてきます。これは桜ですか、とどこかのお婆さんが訊いてきたのは花が五分咲きのころでした。梅ですかと訊くのならまだしも桜ですかはないだろうと思い、あんずです、と思わずつっけんどんに答えると、あんず・・・きれいですね、と言って、そのお婆さんはしみじみして眺めているからちょっと気の毒になりました。八分咲きのころには、ここはよく咲きましたね、と言う人がいて、すぐ上の梅林と比較しているようでした。もう少しで満開だろうかと思った日、年配の夫婦が足を止めて、きれいですね、わたしもカメラを持ってくればよかった、そう言うとスマホを出して撮っていました。ふたりは梅だと思っていたような気がします。
 夫婦が行ったあとうしろでいきなり、雪でやられて白くなってしまって・・・、という声がして振り向けば結構な年のお爺さんです。よく登って来られたもんだと思うほどのO脚でヨタヨタ歩いて来て、もっと赤くないと、赤いから犀星は燃えよと言ったんだ、と怒ったように言います。たしかにこのあんずはほとんど白に見えるほど薄いピンクですが、なにもそこまで言うことないのに・・・、しかし、ということはこのお爺さんはこれがあんずだとわかり犀星の詩も知っていたわけか、と感心しかけて・・・、いや待てよ、雪でやられて・・・とはどういう意味だろう、雪が多いと白くなるというのなら金沢は犀星のころの方が断然雪が多かった、雪と花の色に関係などあろうはずがない、炎のように赤い色のあんずの花ってあるんだろうか、第一、見ず知らずにそんな勝手な言い分をいきなりぶつける無作法はないだろう、と思ったから、このお爺さんは直ちにぼくの感心を失いました。

もうすぐ満開 2021年3月18日


  あんずよ
  花着け
  地ぞ早やに輝やけ
  あんずよ花着け
  あんずよ燃えよ
            (犀川河畔の犀星の詩碑)

 犀星の「あんず」の詩は暗喩などではない、春を待ちわびる雪国金沢の人々の気分なんだとストレートに感じるぼくは「あんずよ燃えよ」は春になって光り始めた生命(いのち)の息吹のこと、だから「地ぞ早やに輝やけ」なんだ、そう思っています。


 今年の金沢の桜の開花予想は3月26日で去年の開花日と同じです。今日、犀川の岸を通ったら桜が咲き始めていました。開花宣言はまだです。気象台のソメイヨシノの標本木は蕾のままなのか、それとも咲いているもののまだ5輪に達していないのか、桜は気象台の規則に従って開花します。奈良の人は東大寺二月堂の修二会が終わると春が来たと思うそうです。金沢の人は兼六園の雪つりが外されるのを見て、そろそろタイヤを交換しようか、春になったから、と思います。うつろう季節のどこかに線を引いてここからが春だと決めるなら、なにかのきっかけが要るでしょう。このごろぼくのそれは大乗寺丘陵公園の孤独のあんずになっています。今年は去年より早く春になりました。(メキラ・シンエモン 2021年3月20日 春分の日)



写真:メキラ・シンエモン



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