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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

犀星のあんず

  あんずよ
  花着け
  地ぞ早やに輝やけ
  あんずよ花着け
  あんずよ燃えよ
  ああ あんずよ花着け
             (抒情小曲集 小景異情 その六)

 室生犀星の詩です。あんずの木に早く花を咲かせて、と言っているみたいですが、抒情詩だからそんな単純な話ではないのだと言います。この詩の入っている小景異情という連作はどう解釈していいのか迷います。「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」があるからです。犀星さんは金沢が嫌いだった、いや、好きだったから自分にそっけなくする人々が憎かった、この詩もまた辛く苦しく寂しく悲しい心情なんだ、と解釈されているようです。
 でも、あんずって、そんな詩になる花でしょうか。梅に似て梅よりかわいい花です。だからこそ、辛く苦しく寂しく悲しい気持ちに寄り添ってくれる。そうなのかもしれません。それなら、癒しですか、それとも希望、それとも少年のような恋心。


 今年の金沢は桜が早いようです。今日は3月25日ですが、家のそばの高校のソメイヨシノはつぼみが明日にでも開きそうです。休みの日にいつも登っている大乗寺丘陵公園でもずいぶんと膨らんでいます。その遊歩道の脇にあんずの木があって今が満開です。それが、なにかの間違いで植えられてしまったみたいに、たった1本だけです。たった1本だと反って愛おしくどこか健気にも思えます。
 あんずは梅より後に桜より先に咲いて、梅と桜のあいだをつないでいるようです。それなら犀星さんの「あんずよ 花着け」は、そのころは今よりずっと雪の多かった金沢で、春が来るのを待ちわびる心でした。暗喩ではない、金沢人が季節の春を待つ気分です。そういうことにしようと、ぼくは思います。


 犀川に架かる桜橋の少し下流右岸にこの詩の碑が建っています。犀星さんはこのあたりの犀川が好きでした。この詩碑はぼくが小学生のころに建ちました。設計は鈴木大拙館を設計した谷口吉生(よしお)の父親谷口吉郎(よしろう)です。字は犀星さんの原稿をそのまま写したそうです。女の子みたいなかわいい字を書く人でした、顔に似合わず。
 ところで上に書いた「抒情小曲集」と比べてみてください。最後の一行がありません。まさか彫る時に忘れたなんてことはないはずです。なんでも亡くなる直前に自身で削ったんだそうです。どっちがいいのか、ぼくは詩碑の方がいいみたいです。


 明日3月26日は犀星さんの命日です。墓は野田山墓地にあります。所縁がある人やファンだという人が明日は墓参りに行くのでしょうか。それならぼくは今日、あんずの花を見たあとで行ってみようか。(2020年3月25日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン



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