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佐保路シリーズ

追憶の佐保路 ―佐保路から帰ったあとに―

 35年もご無沙汰だった奈良の古刹巡りを再開して5年目の今年は奈良市内で最後に残った佐保路へ、COVID-19が下火になったかに見えた10月中旬に出掛けました。それが残念なことに途中で頓挫してしまって・・・。十日ほどしてからミキオ君からメールが来て、不退寺の雰囲気が好きだったけど奈良交通のバスが当たり前のように15分遅れるのは田舎だから納得するしかないなどと書いていました。彼は日を改めて残りの佐保路をひとりで最後まで巡っていたんです。それならとぼくも残りの佐保路を遠い昔の記憶で辿ってみます。


水上池
 航空自衛隊の幹部候補生学校が奈良市にあったのは全くの偶然で、入れば週末毎に仏像巡りができることに心惹かれても、受験を決めるときにそれを考えたわけではありませんでした。幹部候補生学校は法華寺町にあって、うわなべ古墳、こなべ古墳というセットみたいなふたつの巨大な前方後円墳に挟まれています。近くの平城宮跡には朱雀門も大極殿もまだなくただの広大な空き地でした。

 4月になったばかりの青い空に白い雲がほとんど動かずに浮かんでいた日、入校式はもう少し先でまだ教育訓練が本格的に始まっていないぼくら一般大卒の候補生は昼食のあと、鼻の穴が大きくて色の黒い鬼瓦みたいな顔をした背は高くないもののガッシリした体格のいかにもベテランの教育職という感じの一等空尉に運動場に集められ、これから平城宮跡へ行く、と告げられました。あんなところへ行ってもなにもないけどな、と思ったものの、外に出られるのは大歓迎でした。
(一等空尉は大尉に相当し一尉と略して呼びます。教育職は教育部隊で教練や体育などの教育訓練を担当する職種で、ぼくらはこの一尉からラグビーを教わりましたが、知り合ってみると優しい人でした。)

 ウキウキしながら基地の衛門を出て右へ、こなべ古墳の堀の縁をしばらく歩いたところで一尉はいきなり行く手に見える小山を指さして、あれが磐之姫御陵である、と教えるように言いました。磐之姫は仁徳天皇の皇后ですが、そういうことを知っていそうな顔はひとつもないのに、いわのひめってだれですか、とだれも訊きません。一尉もそこまで話さなかったは知らなかったからなのか、それとも知っていてもどうせこいつらそこまでは関心ないだろうと決めつけていたからだったのか、そのどちらかだったんでしょう。
 左へまがって池の中を通る道を行きます。池は万葉集にも詠まれているという古い溜池で水上池といいました。このあとも何度か通る機会がありましたが、水の上を渡っているような感じがして、ぼくはここを歩くのが好きでした。

 平城宮跡に着くと一尉は向こうに小さく見える大きな建物を指さして、あれが奈良名物のジャスコである、と自慢気に言います。だれかが小声で、そんなもんどこにでもあるがな、とつぶやくのが聞こえました。穏やかな春の日の午後、のんびりと時間が流れていました。

海龍王寺
 最初の土曜日に、それは初めての外出でしたが、一番近いお寺、海龍王寺へ行きました。衛門から続く道をまっすぐ数百メートル行くと右に四脚門が見えます。海龍王寺は藤原不比等の邸宅跡に建てられたお寺で平城宮の北東隅にあったところから隅院あるいは隅寺とも呼ばれたといいます。海から遠い平城京で海龍王という名が付いたのは、玄ム(げんぼう)という僧が乗った遣唐使船の無事を祈るために光明皇后が建立した寺だったからで、無事に帰って来た玄ムは海龍王寺に住んだそうです。隣には後に法華寺が建つ皇后宮がありました。玄ムと光明皇后はどんな関係だったんでしょう。
 表の門を入って少し歩くとまた門があって、その先は、テレビなどで見ると今はきれいに手入れが行き届いていますが、そのころはそれほど手が入っているようすはなく、どこか寂しい感じがして、でもその寂しさがぼくは嫌いではないと思いました。

 境内を一番奥まで進むと小さなお堂があります。奈良時代の建物を鎌倉時代に修理したという西金堂です。西金堂が残っているということは、はじめは中金堂と東金堂があったということで飛鳥寺や興福寺と同じですが、興福寺の東金堂よりずいぶんと小振りです。この小さなお堂には天井までとどく五重塔が収まっていました。ミニチュアではなく室内に置くために造られた、れっきとした五重塔だそうで国宝になっています。創建時から西金堂にあったといいますが、お堂の中の五重塔はいかにも奇妙に思えました。
 中金堂の跡に建つという本堂は見ているはずですが、どんなご本尊だったのか、なにも憶えていません。候補生のときぼくが海龍王寺へ行ったのはこの時の一回きりでした。


 海龍王寺と境内を接する法華寺へは何度か行きましたが、不退寺と般若寺へは一度も行っていません。もし来年仕切り直して佐保路を再び歩くなら、きっとミキオ君が案内してくれるでしょう。(2020年12月29日 メキラ・シンエモン)



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