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降三世明王 明王界のナンバーツー

 京都東寺の講堂は如来像5体(五智如来)、菩薩像5体(五菩薩)、明王像5体(五大明王)、天部像6体(梵天・帝釈天・四天王)、合わせて21体もの密教彫刻で埋め尽くされて仏像ファンには夢のような空間です。そのなかで際立つ存在感を放っているのは中心仏の五智如来ではなく、五菩薩でもなく、もちろん天部でもない、五智如来の化身とされている五大明王です。不動明王を中心に、その周りを降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王が取り囲みます。これが仏様かと思うような恐ろしい顔の異様なその姿は密教というものを肌で感じさせてくれます。


 おととしの4月下旬、大粒の雨が傘に激しく打ちつけるなか、靴を中まで濡らして「快慶展」を観るために訪れた奈良国立博物館の本館「なら仏像館」のご本尊は2メートルもある大迫力の降三世明王像でした。降三世明王は四面八臂(顔がよっつに腕が8本)で大自在天夫妻を足の下に踏みつけて立つ特異な姿の明王ですが、この像を観たとき、ちょっと変わった不動明王だなと思ったというのは、顔がひとつで手は2本、右手には剣ならぬ金剛杵(こんごうしょ)を持ち、左手は羂索(けんさく)を持たず、頭に冠を載せた坐像だったからでした。降三世明王だとわかって、これでも降三世明王、こんなのあり・・・、と思ったその強烈な印象が今も脳裏に鮮やかです。如来、菩薩とみてきて次は明王の番になる今回の仏像記は、そんなこともあって降三世明王を選びました。
(この降三世明王坐像は河内長野にある金剛寺金堂の大日如来の右脇侍です。左脇侍は不動明王坐像なので見た目のバランスを考えて一面二臂の坐像に造ったのだと思います。金堂の修理に合わせて行われた修復が終わって奈良博に単独で寄託されていました。その修復のとき、この三尊像は快慶の高弟子行快(ぎょうかい)の作であることがわかり国宝になりました。)

 明王は仏教が生み出した仏様ではありません。ヒンドゥー教の神などを仏教が取り込んだもので、明王の"明"は陀羅尼(だらに:ある種の呪文)のことだというから、呪文を具象化した王様というような意味になるんでしょうか。いかにも密教的ですが、その役割は人々を敵に勝利させることです。敵というのは、人であったり魔物であったり自分の心であったり、そういったもので仏教の教えに反するものや修行を妨げるものをいいます。それで、優しく言っても聞き入れない相手を正しい教えに導くために、威したり怒ったりと少々荒っぽい手段を使うのが明王で、教令輪身(きょうりょうりんしん)といって、如来が教えに導くために忿怒相を採った姿、すなわち如来の化身です。人々を救うことができるのなら、それがいき過ぎでなければ、これも慈悲のひとつの形でした。

 そこでその打ち負かすべき対象に応じてさまざまの明王が現れます。五大明王のほかに孔雀明王、愛染明王、大元帥(だいげんすい、たいげん(真言宗))明王、烏枢沙摩(うすさま)明王などがいます。
 孔雀明王は孔雀がサソリやコブラを食べる鳥なので、その習性を仏様にした災いや苦痛を取り除いてくれる明王で女神をルーツにします。それで孔雀に乗っていて腕は4本ですが、その性質故か元が女性だったからか、明王のなかで唯一菩薩の顔をしています。奈良国立博物館新館の「快慶展」で観た高野山金剛峰寺霊宝館の快慶作の像が代表例です。
 愛染明王は獅子の冠を被り全身が真っ赤です。愛染とはまた文芸的な趣のある名前ですが、煩悩即菩提、つまり煩悩があるから悟りがあるという、煩悩肯定の理屈から生まれた明王です。ある種の商売の女性に人気があるといいますが、なにか勘違いしているのかもしれません。彫像の作例は少ないようですが奈良西大寺愛染堂の秘仏が秀逸です。
 大元帥明王は戦争に勝たせてくれる明王で、それらしい極めて恐ろしい形相をしています。戦争と言っても仏様なんだから、専守防衛with集団的自衛権に徹しているんでしょう、きっと。戦争という政治を担当する明王だからたくさんは作られなかったようですが、奈良秋篠寺大元堂の秘仏がよく知られています。
 烏枢沙摩明王は不浄を清めるといわれる明王で、密教以外の宗派でも信仰されています。火の用心にも霊験があるみたいで、お寺の台所やお手洗いに祀られることが多く、禅宗寺院では決まって東司(とうす:お手洗い)のご本尊です。

 明王はその厳しい性格からほとんどが忿怒相で多面多臂の怪奇な姿です。ひとつだけでも恐ろしい顔がむっつもついていたり、目がいつつもあったり、手や足が8本も生えていたり、身体に蛇まで巻きつけているんだから、その気味悪いことといったら、いったいだれがどうやって思いついたんだろうと思うほどです。
 手足が多くて顔も目も多いなら一度にいろんなことができて便利なようですが、車の運転をしながらご飯を食べてスマホもいじくりまわすならきっと白バイに捕まるし、眼鏡を掛けるのも大変ならインフルエンザ予防にマスクをするのも大変で、もしスーツを着たいと思っても袖が何本のあるような服は売っていないし仕立ててくれる洋服屋もいないでしょう。人間は顔がひとつで目がふたつ、手足が2本ずつになっているわけがよく解ります。それが一番美しく機能的な姿だと・・・。
 とにかく恐ろしい姿だから、それが扉の閉ざされた薄暗いお堂のなかで頼りなさげに揺れるロウソクのか細い炎に照らされているなんてあまりに怖すぎて、昼ならまだしも夜は修行を積んだお坊さんででもなければひとりでは近くに行くことはおろか、お堂に一歩足を踏み入れることもできないでしょう。ぼくらが東寺の講堂に入るのは真っ昼間で、ワアワア騒いでいる修学旅行生や口を閉じることを知らない姦(かしま)しいおばさんたちに混じって五大明王を観るから平気なんです。

 五大明王の中心不動明王はそんな明王のなかでかなり庶民的です。各地に不動霊場札所があるし、街中のお堂や道端の小さな祠にも祀られていて、日本全国いたるところで出会える、観音様並みの信仰を集める人気の明王様です。それはその霊験もさることながら、顔が怖いと言ってもその顔はひとつだけで手足も2本ずつという人間の姿をしていて、どこか親しみやすく愛嬌すら感じさせるからなんでしょう。

 今回採り上げた降三世明王は普通にはあまりなじみのない明王です。そのルーツは古代インドの神話に出てくる乱暴者の魔神にあるようです。五大明王としてはアシュク如来の教令輪身とされていますが、大日経疏(だいにちきょうしょ)という真言密教の理論書には不動明王と降三世明王は同躰、つまり同じだと書かれているそうです。不動明王は大日経系の明王で降三世明王は金剛頂経系の明王でした。大日経と金剛頂経はともに密教の中心的経典なので、不動明王と降三世明王が同じだというのは、大日経の不動明王は金剛頂経の降三世明王に当たるという意味なんでしょう。仏教の特徴である多様性、言い換えれば統一性の無さと諸仏の独立性の強さを垣間見るようです。
 不動明王はルーツがヒンドゥー教の最高神シバ神で、はじめ大日如来の従僕でしたが後にその化身と考えられるようになった明王界のナンバーワンです。それなら降三世明王はナンバーツーと言ってもよいでしょう。それは大自在天夫妻を踏みつけていることからも言えそうです。大自在天(だいじざいてん)はシバ神のことで、その夫人は烏摩(うま)といいます。降三世という名前は三界の王と言われるシバ神を従わせるところからつけられたみたいです。異教の最高神をも打ち臥せる、強さを言えば不動明王以上なのでしょう。
(仏教では生まれては死に死んでは生まれ変わる輪廻の世界を欲界、色界、無色界のみっつに分けていて、その総称が三界です。)


 大日如来は普通脇侍を従えていませんが、金剛界の大日如来には不動明王と降三世明王が両脇侍として付くことがあるようです。奈良国立博物館「なら仏像館」に寄託されていた金剛寺の降三世明王像が儀軌(ぎき:造像規定)に従った四面八臂の立像ではない、不動明王像に似た姿の坐像だったのは、両脇侍の見た目のバランスをとるためだけではなく、不動明王が観音様並みの人気を博するほどに親しみやすい明王だったので、降三世明王もその姿に似せた方が本尊の大日如来と人々の仲立ちをする脇侍らしく見えていいと考えたからだったのかもしれません。(2019 年8月25日 メキラ・シンエモン)




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