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近ごろは金澤と書くのがはやりです ―金沢らしさの風景―

金沢マラソン 走る人も応援する人も

 先日、今年の金沢マラソンの抽選がありました。ぼくは走りません。でも、抽選結果の発表を待っていました。というのは・・・。

 2015年の第一回から去年まで毎年沿道に出て応援しています、と言って、コースが自宅のそばを通っていて二階の窓からランナーの顔が見えるほどの近さだから、そう自慢できる話ではありません。これでも若いころは陸上競技、短距離をやっていたから陸上ファンなんです。

 スタートから10キロほどのところなので、号砲から30分が過ぎたあたりに家を出て、沿道に並ぶ観客だか応援だかわからないたくさんの人たちに混ざって先頭が来るのを待ちます。金沢マラソンはスタート地点からゴールまで沿道の声援が途切れることはありません。

 もうそろそろ来てもいいはずなんだけど・・・、と思っていると、露払いの車が、もうすぐ先頭の走者が来ます、と放送しながら近づいて来て通りすぎます。沿道はちょっと緊張、そして静かに待ちます。
 日本語の「もうすぐ」がこんなに長い時間を意味する言葉だったとは知らなかった、と言いたくなるほど待って、漸く先頭走者の姿が見えてきます。みんなが拍手しながら、がんばれー、と一回言う間に通りすぎて、沿道はまた静かになります。

 しばらくして、ひとりまたひとりと来て走り去り、そのうしろに小さな集団がいくつか続いて来て走り去ります。がんばれー、とランナーが来るたびに沿道は拍手と声援を送りますが、どこか淡々としています。
 やがて道の幅いっぱいに広がったランナーの塊がやってきて、それが帯のように長くいつまでも続きます。真剣な顔で走る人、本気で走っているとは思えない人、沿道に向かって勝手に手を振っている人、仮装行列みたいな人もいて、その着ている物のカラフルなこと・・・。
 沿道もいつの間にか活気づいて声援も本調子となり、大声で叫んだり笑ったり手を振ったり、手に持ったなにかを打ち鳴らしたり、その騒がしいこと騒がしいこと・・・。

 スタートから10キロほどだからまだまだみんな元気で、最後尾もそれほど離されてはいません。最後の人が走り去ったそのうしろから落伍者を乗せる車がのろのろやってきたら、この場所の金沢マラソンは終わりです。


 最初の年と次の年はこんな風で、通過するランナーに万遍なくただ声援を送っていましたが、おととしと去年はすこし様子がちがいました。知り合いが走ったんです。おととしは女房の友達でぼくもよく知っている女性、去年は春に大阪から異動で金沢へ来た職場の同僚で男性でした。
 実力は判っているので、そろそろ来るだろうという時間が近づくと目を皿のようにして探します。それが見つけられない。団子になって次から次へと走って来るからです。では、どうするのか。
 向こうが見つけてくれます。

 ぼくが必ず応援に出ていること、その場所がどこかは、教えていなくても向こうはちゃんと了解しています。ぼくもなるべく見つけやすいようにと両隣の人から離れて立って、知り合いの顔を、どんな色のなにを着ているのか知らないから顔を探します。
 二回とも向こうがうまく見つけてくれました。
 抱きついてきて、会えたぁ、と嬉しそうに叫ぶと、あっと言う間にコースに戻っていきます。それが、ふたりがふたりとも同じことをしたから不思議です。
 ぼくはびっくりしているから、おお、○○さん、と相手の名前を言うのが精一杯で、離れていく背中に向けて、頑張れー、と叫べば、うしろ姿が見る見る遠ざかります。
 ほんの一瞬の出来事、カメラを持ってきたのに撮る間もありません。でも、ふたりともいい顔していて、心にしっかり焼きついたから、一生忘れることはないでしょう。ふたりとも4時間以内に完走しています。

 見つけた方が嬉しいなら、見つけてもらったぼくも嬉しい。嬉しいし、いきなり抱きつかれてびっくりするのがおもしろい。市民マラソンというのは、走るより応援に出る方がおもしろいのかもしれません。いや、そんなことまさか・・・、走る方がおもしろいに決まっています。でも、走る人だけが参加者ではなくて、応援する人も立派に参加していると言ってもいいみたいです。


 今年は知り合いがだれも走りません。落選したんです。ぼくも落胆です。

 過去四回はいずれも雨で、傘を差したりすぼめたりして応援しました。なんと金沢らしいことでしょう。でも、雨の中を走るのはやっぱりかわいそうだし、傘を差しての応援は様になりません。今年は "金沢らしいこと"になりませんように、ぼくを探してくれる人はいなくても・・・。(2019年7月4日 メキラ・シンエモン)




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