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フィンランドの「空の真珠」 続き

 ブリュースターB−239バッファローはアメリカの航空機メーカーブリュースター社製の艦上戦闘機で、B−239はその社内名称です。アメリカ海軍での名称はF2A−1でした(原型XF2A−1はB−139)。また、イギリス空軍(B−339E、オーストラリア空軍、ニュージーランド空軍を含む)やオランダ空軍(B−339D)、ベルギー空軍(B−339B、降伏によりイギリスに回される)向けの機体もあり、イギリスはバッファローIと名付けました。ちなみにブリュースターのフィンランド語読みはブルーステルだそうです。
 F2A−1は54機が製造されましたが、10機が空母サラトガの第3戦闘飛行隊(VF−3)に配属され、残り44機は折りからソ連と戦争を始めたフィンランドに援助機として送られました。(この機数については資料によって若干の差があるようです。)
 F2Aのアメリカ軍での戦歴は、海兵隊第221戦闘飛行隊(VMF−221)のF2A−3(B−439)19機がミッドウェイ海戦に参加し、ミッドウェイ島攻略の零戦21型と戦ったのが唯一で、13機が撃墜され残りも撃破されて戦果無しでした。また、イギリス空軍とオランダ空軍は東南アジアで対日戦に使いましたが、零戦や隼には対抗できなかったといいます。

 こんな非力な戦闘機がフィンランド空軍の対ソ戦では大活躍して「空の真珠」(タイバーン・ヘルミ Taivaan helmi)と呼ばれました。


 写真は左がフィンランド空軍第24戦闘機隊第2飛行中隊のブリュースターB−239(機番BW352)、右はアメリカ海軍空母サラトガ搭載の第3戦闘飛行隊第3小隊2番機のブリュースターF2A−2(B−339)のプラ模型です。(キットはB−239がアオシマの1/72で、前のページの載せたのと同じ模型でF2A−2からカウリングや排気管などを改造してあります。F2A−2はレベルの1/72です。)


 スカンジナビアにあるフィンランドは、西のスウェーデンと東のロシアに挟まれていて、12世紀ごろからスウェーデンに支配されていたのが19世紀に入って帝政ロシア領となり、共産革命後のソ連から独立したのは1920年も暮の12月のことでした。
 しばらくは平穏でしたが1938年になって、ソ連がフィンランドに一部の領土、フィンランド湾の北側に広がるカレリアと呼ばれている地域などをよこせと軍事力をちらつかせてちょっかいを出してきました。ドイツの侵攻から国土を防衛するためで、レニングラードはフィンランド湾の一番奥にあったし、バレンツ海沿岸のムルマンスクはフィンランドのすぐ東でしたが、そのために領土を譲れなど、身勝手で理不尽な要求でした。フィンランド湾の南岸はエストニアだから、ソ連はバルト三国にも同様のことを要求しました。
 バルト三国は戦争して勝てる相手ではないからとソ連の要求を受け入れ、ついにはソ連領になってしまいますが、フィンランドは要求を撥ねつけ戦争を決意しました。
 その結果、フィンランドは1939年11月30日にソ連の侵攻で始まった「冬戦争」(〜1940年3月)と、ドイツのソ連侵攻に呼応して1941年6月25日にフィンランドがソ連領に進撃した「継続戦争」(〜1944年9月)の2度にわたりソ連と戦い、なんとか独立を保ちました。一方、フィンランドとは反対の道を選んだバルト三国が再び独立国家となったのはソ連崩壊直前のことでした。

 ブリュースターB−239が活躍したのは、この2度のソ連との戦争のうち「継続戦争」と呼ばれている2度目の方でした。「冬戦争」のとき、アメリカはフィンランドを援助するために44機のB−239を送りますが、機体をスウェーデンで組み立てているうちに戦争が終わってしまい間に合わなかったんです。
 「冬戦争」でのフィンランド空軍の主力戦闘機はオランダ製のフォッカーD.21でした。オランダから供給されたのは7機で、90機余りがフィンランドの国営航空機工場でライセンス生産されています。固定脚機のD.21はもう時代遅れになっていましたが大活躍し、撃墜したソ連機は280機、損失は42機だったといいます。しかし、この「冬戦争」では講和条約によりレニングラードに近いラドガ湖とフィンランド湾の間のカレリア地峡などをソ連に取られてしまいました。

 写真はフィンランド空軍第24戦闘機隊第1飛行中隊のフォッカーD.21(機番FR110)のプラ模型です。冬、凍った湖面から離着陸するために車輪をスキーに交換しています。(キットはパイオニア2の1/72です。)

 「継続戦争」は1941年6月22日のドイツのソ連侵攻に合わせてフィンランドがラドガ湖北部のソ連領内に進攻したことで始まりました。そのころのフィンランドはドイツの援助を受けていたんです。フィンランドにとっては「冬戦争」で失った領土を取り返す戦争でしたが、ドイツ軍はフィンランド軍をソ連侵攻で北方を担当する部隊だと思っていたし、ソ連軍はフィンランド軍をドイツ軍の一部のように考えていました。連合国は「継続戦争」には中立的か無関心で、イギリスがフィンランドに宣戦布告しますが攻撃することはなかったといいます。
 この「継続戦争」は長引きました。最終的に連合軍のノルマンディー上陸で形勢が逆転したためフィンランドはドイツと袂を分かち、ドイツ軍の駆逐を条件に1944年9月ソ連と単独講和を結びました。
 「継続戦争」でB−239は、たったの44機でソ連機を447機も撃墜したといいます。戦争の終盤ではB−239は20機にまで減ってしまい第一線を退き、ドイツ製のメッサーシュミットBf109G−2/6が主力になっていました。

 B−239が「空の真珠」と呼ばれたのは、挙げた戦果もさることながら、なりふり構わず使った多数の外国製戦闘機のなかで、パイロットに一番好まれたからでしょう。フィンランド空軍はB−239やフォッカーD.21、Bf109Gのほかに、ブリストル・ブルドッグ(イギリス)、グロスター・グラジエーター(イギリス)、フィアットG50bis(イタリア)、モラン・ソルニエMS460(フランス)、ホーカー・ハリケーンMk.I(イギリス)、カーチス・ホーク75(P−36の輸出型、アメリカ)などを使用し、ポリカルポフI−153(イー153)、ポリカルポフI−16(イー16)といった鹵獲したソ連機まで使っています。
 B−239を頗る気に入ってしまったフィンランドは、フムというB−239のデッドコピー機まで作っています。このフムは今も大切に保管されているそうです。

 戦後暫く、冷戦下のフィンランド空軍は保有機の数を60機に制限され、しかも西側機とソ連機の混成でした。今はもう機数の制限はなくなったようで、機体も西側機に統一され、主力戦闘機はボーイングF−18C/Dホーネットです。


 エストニアの名指揮者ネーメ・ヤルヴィが長男にフィンランドの名指揮者ベルグルンドの名前を付けたのは、マエストロにあやかろうとしただけではなかったのかもしれません。
 ガールズ&パンツァー劇場版でBT−42を登場させ、継続高校という名の学校の保有とし、ムーミンやスナフキン、ミイを思わせるキャラクターをクルーにしたのは、普通ならどう考えても勝てない相手に果敢に挑むことの象徴だったんでしょうか。

 ムーミントロールが誕生したのは第二次世界大戦終了の直後です。作者トーベ・ヤンソンがムーミンに平和への願いを込めたというのなら、そこには祖国の戦った戦争がすぐきのうのことで、フィンランドが再び戦争の惨禍にいつ放り込まれるかわからないという現実があったからだったような気がします。
 戦闘機という戦争の道具を「空の真珠」と呼んだフィンランドの人たちの心の奥底を、ただの判官贔屓でしかないぼくらがうかがい知ることはできません。(2019年5月14日 メキラ・シンエモン)

参考とした本
北欧空戦史 中山雅洋著 朝日ソノラマ
COLOUR POCET ENCYCLOPAEIA 第2次大戦戦闘機 ケネス・マンソン著 鶴書房
アメリカ海軍機の全貌 航空情報 臨時増刊No.231
万有ガイドシリーズ4 航空機 第二次大戦II 小学館
FLYING COLOURS William Green and Gordon Swanborough SALAMANDER BOOKS


模型制作と写真:メキラ・シンエモン



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