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当尾 大門仏谷の摩崖仏 つづきの続き

 唐臼の壺でおにぎりを食べてちょっと休んだら浄瑠璃寺に向けて出発です。ここまでほぼ一本道でスイスイきましたが、それもこの先にある「藪の中三尊磨崖仏」までです。ほかにぜひ見ておきたい石仏があと3体ありますが、それらはいずれも浄瑠璃寺までの道筋から外れていて、同じ道を行ったり来たりすることになります。


藪の中三尊磨崖仏
藪の中三尊磨崖仏 東小(ひがしお)という集落の「あたご灯籠」というところに来ました。歩いてきた道はここで浄瑠璃寺から岩船寺まで乗ったコミュニティーバスで通った道と合流します。合流点から左へ、浄瑠璃寺方向にちょっと行くと「藪の中三尊磨崖仏」があります。道路からすこし引っ込んだところで、その名のとおり竹藪を背にしています。コミュニティーバスで通ったときは全然気づいていません。
 地蔵菩薩と十一面観音菩薩が正面の岩に、阿弥陀如来が左隣の横を向いている岩に彫られています。当尾の石仏は銘が刻まれたものが多いそうですが、この石仏の銘にある弘長二年(1262年)は年号銘中の最古と解説の立札に書いてあります。1262年といえば鎌倉時代中期です。3体ともけっこう崩れていて色も黒ずんでいるから表情ははっきりしませんが、そこそこの大きさもあって存在感のある石仏です。当尾の石仏巡りの前段はここまでです。数分歩けば浄瑠璃寺です。

長尾阿弥陀磨崖仏 浄瑠璃寺では国宝で秘仏の吉祥天立像を公開中です。この季節に当尾の石仏巡りを企てた理由のひとつです。ゆっくり観たいところですが、あまり長居せずに石仏巡りに戻ります。が、その前に・・・、唐臼の壺で出会ったキツネの顔を買っていた男の人がそばを食べたと言っていた、門前のそば屋を覗いてみます。ここかな、と思われる店に入ってみると、いらっしゃいませ、の言葉はありません。客は数人ですが、ついさっきまで混んでいたんでしょう、空いているテーブルはどれも食べたあとの器がそのままです。食べてもいいかなと思って入ったんですがやめました。先を急ぐ方がいいみたいです。時間を無駄にしそうでした。ここからは残りの3体の石仏を探して行ったり来たりしないといけません。

長尾阿弥陀磨崖仏
 浄瑠璃寺の参道を出て、近鉄奈良駅からバスで来た道へ入ります。カーブした道の脇、やや高いところに「長尾阿弥陀磨崖仏」があります。バスの窓からはちょっと気が付かないでしょう。ぼくらもバスからは見ていません。石仏の彫りは浅いものの表情は見てとれます。目と眉が笑っていますが、どこか暗い印象です。珍しく笠を載せています。もちろん笠も石ですが、それが落ちそうにも見えて、しかも阿弥陀仏の頭上から頭をかすめて45度の角度でヒビも入っていて、なんだか危なっかしくも見えます。この先はなにもないので、来た道を藪の中三尊磨崖仏まで戻ります。

東小阿弥陀石仏
東小阿弥陀仏 藪の中三尊磨崖仏の前で分かれている道を左へ入ったすぐのところ、倉庫のような建物のうしろに、藪を背にして阿弥陀如来坐像の石仏が立っています。磨崖仏ではありません。道端のお地蔵さんスタイルです。説明の看板によると、あごの線が切れているようにくっきりしているからと「首切地蔵」と呼ばれているようですが、それほど明瞭な線ではないし、なんてつまらない名前を付けるんでしょう。よく見ると表情は愁いを含んだようにも見えて、ちょっと心惹かれる顔をしています。石は側面と背面がガタガタのラフな加工の花崗岩で、阿弥陀仏は光背型の窪みの中に彫ってあるところをみると、元は磨崖仏だったものを切り取ってきたのかもしれません。この石仏も弘長二年(1262年)の年号銘があるそうです。ぜひ見ておきたい石仏はあと1体、当尾で最大最古といわれる大門谷の阿弥陀磨崖仏を残すのみとなりました。

大門谷大磨崖仏
 きのうまでの雨でできた水たまりが残る山道を左へ緩やかにまがりながらくだっていくと谷側の傍らに道しるべがありました。丸太の杭に取り付けられた三枚の板きれが、それぞれ別の方向を指しています。そのまま進めば「加茂青年山の家」、来た道を戻れば「浄瑠璃寺」です。そして谷の方を指している板の文字は「大門仏谷(だいもんほとけだに)」となっています。谷を挟んだ向かい側の斜面に阿弥陀如来の大きな磨崖仏があります。でも、ここからは見えません。足元を見れば下におりていく細い道があるのか、草に人の通ったらしい跡がぼんやりとついています。
大門谷阿弥陀磨崖仏 おりて行こうとすると、行けないんじゃない、とミキオ君が心配します。だいじょうぶだよ、と言っておりて行くと、思った通り谷へおりる道です。下に着くと、真正面に磨崖仏が見えています。でも、まだ距離が結構あります。

 この磨崖仏は平安後期の作で丈六だそうです。丈六は如来像のサイズをいう言葉で一丈六尺のこと。立像で約4.8メートの高さです。大きなお寺のご本尊はみんなこのサイズです。
 この磨崖仏を見るのは初めてでした。もっとも当尾は40年ぶりだったから、ここまで見てきた石仏はみんな記憶がはっきりしていたわけではなく、どれも初めて見たのと変わりません。
 それはともかく、丈六の坐像です。3メートル近い像高があります。つまり、よほど大きな岩に彫られていることになるんですが、葛でしょうか、上も脇も草が覆っていて岩の大きさはわかりません。知らなければ、岩だということすらわからないかもしれません。実は、この磨崖仏の50年ほども前に撮られた、草が伸びる前の春先の写真を見たことがあって、母岩は磨崖仏が小さくみえるほど大きな岩です。またその写真には周囲に木は写っていなかったのに、いま目の前に見えるのは植林された杉がすぐ横に立つ光景です。その杉の木がつくる影が阿弥陀仏にだいぶかかっています。天気も良く光線の具合も良いのに惜しいなぁ、どうしてこんな際まで植林したんだろう、と思うのは、よそ者のくせに大きなお世話だと言われたとしても、それが人情でしょう。

 もっと近く、すぐそばまで行けるはずですが、草が茂っていて道がよくわかりません。まあ、行ってみるか、という気にはなりませんでした。そこで、阿弥陀仏の表情をもっとよく見ようと、カメラのレンズを210ミリにして覗いてみると、四角い顔に細い目で、肉髻(にくけい:如来の身体的特徴で頭のてっぺんの盛り上がり)が帽子のようにも見えて、なんとなく「寅さん」に似てないこともありません。が、眉間に眉を寄せていて、どちらかというと厳しい表情です。彫りは深くないようですが、興福寺の板彫り十二神将像のように影がうまくできるのか、あごがはっきりとし胸のあたりは盛り上がって見えます。わらい仏や唐臼の壺阿弥陀仏、東小の阿弥陀仏などとは、はっきり雰囲気が違います。ちなみに大門仏谷の大門というのは地名で、この辺りに浄瑠璃寺の大門があったからだそうです。


 上の道に戻って「加茂青年山の家」のほうへすこし歩くと向かい側の斜面が見えていて、さっき谷までおりて見てきたばかりの阿弥陀磨崖仏が白く光っています。でも小さい。遠望と言って良い見え方です。そこにあると知らなければ気づかないでしょう。つぎ来るときは、草の枯れているころにします。(2017年11月日10 メキラ・シンエモン)

写真:メキラ・シンエモン


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