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花蛙風月
今年もひと月ほど前から夜になると蛙の鳴き声が聞こえてくる。ゲロゲロゲロゲロともゲェコゲェコゲェコゲェコともグゥアグゥアグゥアグゥアとも聞こえる。少し遠く聞こえる。たくさんで鳴いている。鳴き声のする方角には池も沼も田んぼもない。学校のプールがあるが鳴き声はそこからだけとも思えない。鳴いていると思うとピタッと一斉に止み、あれっ鳴き止んだか、と思うとまた一斉に鳴きだす。それを何度も繰り返す。そこに規則性があるようでないようでもある。音頭を取るリーダーがいるようでいないようでもある。蛙の合唱と言うが鳴き声がそろっているようでバラバラのようでもある。蛙はどういう種類なのか目で見てもわからないものが鳴き声でわかるはずはない。鳴き声を聞き分けることなどもちろんできないから一種類なのか複数種なのかもわからない。明るい時間帯には鳴き声は聞こえないが周囲がうるさいのだから鳴いていないとは言えまい。窓の外が白くなってもう夜が明けたかと布団から出ると蛙の声が聞こえることがある。雨の日は心なし鳴き声が大きく聞こえるのはやはり蛙は蛙だからで湿り気が嬉しいのだろう。蛙が鳴いているという事実以外はなにもわからないが、世の中が寝静まったころ遠く聞こえてくる蛙の鳴き声はどこか情緒があって心地よい。そうだ花鳥風月と言うが鳥の代わりに蛙にしてみたらどうだろうか。花蛙風月。なんと読めばいいのか、カアフウゲツ、だろうか、読みづらいし字面も良くない。鳥の方がよほど良いからこれは却下だ。蛙の天敵はやはり鳥だった。軒に縄でも張ろうか。2024年5月8日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)
(「軒に縄でも張ろうか」は徒然草第10段を参照のこと。)
心の通りがかる先 −あとがきとして−
この記事は本来ならルール違反である。「通りがかりの者です」は紀行文だからである。はじめるときに自分で決めたルールだ。紀行文と言って随筆と言うほどのものではない。大旅行でもない日帰りの小旅行で見聞きしたことを書くのだから小学生が書く遠足の感想文と大差ない。違いは自分の手では書けない漢字を頻繁に使うことぐらいか。それとよく知ったかぶりをする癖がある。今回がルール違反なら前回や前々回、そのまた前、さらにその前の記事はすべて完璧にルール違反になる。かなり以前から紀行文ではない記事をたびたび書いている。なぜそうなったのかということだが第2部を始めるときにもっと自由にしようとややルールを緩めたのがいけなかった。そのいきさつは「再開にあたって」に書いたが、なにも地理的場所に限定しなくても自分の"心の通りがかる先"はもっといろいろあってもいいだろう、という柔軟にも見えてどこか都合のいい理屈だった。しかしルールというものは一度緩めるとこれくらいは許容範囲だともっと緩める。するともっと緩めてもいいんじゃないかと思うようになりますますルールは緩くなる。いずれ歯止めが効かなくなり、そのうちルールの体を成さなくなって、なんでもありにしてしまうのかと言えば、トレンドに乗って権利を主張する方々の所業を真似る気などさらさらない。2024年5月9日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)
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