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佐保路シリーズII

東大寺戒壇院 千手堂で鑑真和上に会う

 大安寺の僧普照、興福寺の僧栄叡の二人に、思いがけず留学僧として渡唐する話が持ち出されたのは、二月の初めであった。

井上靖の小説「天平の甍」冒頭、主人公の名前がはじめて出てくるところです。「天平の甍」は主人公の普照(ふしょう)が栄叡(ようえい)とともに遣唐使船で唐に渡り伝戒の師を探して招来するという物語です。十七歳で仏像ファンになっていたぼくはこの小説を読んで感動し二十歳の時はじめて唐招提寺へ行きました。鑑真和上像を観たいと思って行ったのですが通常は非公開だと知ってがっかり。そのころはこんな調子で闇雲に仏像を観てまわっていました。もっとも拝観の可否をきちんと調べないで出かけるのは今でもそうです。その後も今日まで唐招提寺の鑑真和上像を観る機会がありません。


戒壇院
 鑑真が日本で最初に授戒した人物は普照たちを唐に派遣した聖武天皇(すでに娘の孝謙天皇に譲位していました)でした。鑑真が戒壇を築いた場所は東大寺の大仏殿の前で、その戒壇を移したのが戒壇院の戒壇堂です。

 般若寺を出たぼくらはもと来た道を戻り、東大寺の戒壇院を目指しました。転害門の手前で国道から脇道へ入ります。転害門まで行くとさらにかなり先へ進んでから境内に入ることになり、戒壇院へは大回りして行くことになると思ったからです。でも入った脇道はわかっていて入ったんじゃなくて、適当にこの辺でどうだろうかという、ぼくのいつものおおらかなやり方、つまりいい加減な勘でした。こういう場面ではいつも慎重なミキオ君が異議を申し立てなかったのは諦めていたからでしょう。うしろから黙ってついて来るときはたいていそうです。それでちゃんと行けたのかというと、行けたんだから不思議でした。どこをどう歩いたのか暫く行くと右手に転害門がありました。転害門を境内から眺めて通り過ぎ少し行くと左手に池(大仏池)が現れ、その向こうに大仏殿が見えています。こっちでよかったのは確かでした。道が突き当たっていたので大仏殿とは逆の方へ曲がるとすぐ左手に戒壇院の千手堂へ上がる緩やかな階段状の参道がありました。思わず、やった、と心の中で密かに叫んでいました。ミキオ君はホッとしていたことでしょう、きっと。しかし別に近道になったわけでなかったんです。あとで地図で見たら似たようなものか、むしろ少し遠回りをしていました。でも知らない道を歩くのはおもしろかった。

千手堂
 戒壇堂は令和2年7月から耐震化工事をしています。新型コロナで参拝者が少ない今がチャンスということなのかもしれません。もちろん拝観はできないから、国宝の超人気仏塑造四天王像は東大寺ミュージアムに退避しています。その代わりに同じ戒壇院の千手堂が公開中です。7年ぶりだそうで期間は戒壇堂の工事が終わるまでの約3年間です。実はぼくは千手堂をその存在すら知りませんでした。例のテレビ番組BS-TBSの「奈良ふしぎ旅図鑑」で存在と公開を同時に知ったんです。去年でした。でも去年は時間の都合がつかなくて漸く今年来ることができました。

千手観音菩薩立像
 千手堂のご本尊は厨子に収まった像高1メートルほどの小振りの千手観音菩薩立像です。だから千手堂なんです。同じ厨子にご本尊とバランスの取れた四天王像も収まっています。どちらも鎌倉時代の檜の寄せ木造りです。観音様は金泥仕上げ、四天王は彩色仕上げです。テレビで見たときなんときれいな観音様だろうと思いました。四天王もきれいでした。厨子の扉や内側に描かれた明王や天部の絵もきれいでした。そして実物を観れば、観音像と四天王像は精緻の一言です。その整った美しさは感動的でした。やっぱり実物は違うな、とは、それがどんなものでも写真や映像などで知っていたものを自分の目で見たときだれもが口にする決まり文句ですが、この千手観音像と四天王像それに厨子の絵を観て思わずその決まり文句が口から出そうになってグッと堪えました。そういうことは言わないことに決めているんです。なぜって陳腐すぎてつまらないでしょう。ではなんと言ったのか。ただきれいなではあんまり平凡すぎるし、と考えているうちにミキオ君が、きれいやなぁ、と素直に言ったんです。先にそう言われては、そだね、と相槌を打つしかありませんでした。きれいというのは美しいというだけじゃなくて、この場合は汚れていないという意味も含みます。鎌倉時代の仏像なのに剥落も少なくほとんど煤けてもいません。四天王像はそれぞれの顔の色の違いまではっきり分かります。精緻さに感動したのもこのきれいさがあったからでした。

鑑真和上
 ご本尊の左右の間にも仏像が安置されています。どちらも等身大です。向かって左が愛染明王像で右は鑑真和上像です。ぼくが千手堂で期待していたのは、実は、ご本尊よりこの鑑真和上像でした。この小旅行の第一の目的でした。
 千手堂の鑑真和上像は写真で知っている唐招提寺の脱活乾漆像そっくりです。唐招提寺像を忠実に模刻したものなんです。こちらは江戸時代の木造で、だからそっくりといっても質感の違いはあります。脱活乾漆像は長年の乾燥でどうしても硬さが出てしまいます。ひび割れも普通にあります。唐招提寺の鑑真和上像にはそれがほとんどないのですが・・・というような話の展開になると思ったかもしれませんが、ぼくは唐招提寺像を写真でしか観ていないのでそういうことは言えないんです。
 ぼくが言う質感というのは時代の気分とでも言うべき印象で、脱活乾漆造りには天平の香りが、たとえ写真だったとしても、漂っているんです。実物を観ていないのならそれはもっと言えないのではないですか、と言われればそのとおりです。でもぼくは脱活乾漆と聞くだけでそう感じてしまうんです。天平の気分です。金銅仏なら飛鳥の気分。でもこの江戸時代に彫られた木造の鑑真和上像を目の前にしてそれは、質感云々は関係ありませんでした。今ぼくが観ている肖像のお坊さんは「天平の甍」の鑑真和上聖武天皇らへの授戒を終えて日本へ向けて海を渡った日々を懐かしく思い起こしている鑑真さんでした。そして普照と栄叡もいっしょに・・・。(2022年6月7日 メキラ・シンエモン)


次は東大寺の三月堂へ行きます。


写真:メキラ・シンエモン


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