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東寺の両界曼荼羅と兜跋毘沙門天像 追記

追記

両界曼荼羅
 両界曼荼羅というのは胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅のセットをそう呼んでいます。写真ではない実物をこの目で間近に見られるというチャンスに恵まれたら、ああきれいな絵だね、と眺めて、この仏様がずらり勢揃いした2枚の絵にもなにか意味があるんだろうね、とだれもが思うでしょう。それ以上気持ちが発展しなければそれまでですが、ぼくは気持ちがちょっとだけ前に進んでしまったみたいで、東寺から帰ったあと、一般の人向けに解説したなるべく易しく書いてありそうな本をいくつか読んでみました。

 まず胎蔵曼荼羅の呼び名は、胎蔵界曼荼羅と「界」の文字を胎蔵のうしろに付けて言うことがあり、むしろその方が一般的のようですが、金剛界曼荼羅にあわせて「界」の文字を入れているみたいです。それで両界曼荼羅は両部曼荼羅と呼ぶこともあります。
 胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅のふたつ揃ってはじめて密教の説く教えの表現が完成します。またその作られた理由は修行あるいは儀式に使うためです。経典を文字の読めない人たちにビジュアル化してみせたという図画ではなくて、密教にとって、とくに修行において、ある意味経典より重要な道具(tool)あるいは装置(equipment)みたいなものだと言えます。

密教
 両界曼荼羅がなにを表しているかを知るためには、まず密教について少し知っておく必要があります。密教は大乗仏教のひとつです。秘密の教えだから密教といいそれに対して他の大乗仏教を顕教という、という解説をよく見かけます。秘密の教えというのは、ある条件をそなえた者しか知り得ないということでしょう。
 密教の発祥は5〜6世紀ごろのインドで、大乗仏教の最終バージョンだといいます。それまでの大乗仏教とどこが違うのかというと、悟りあるいは救いの対象が、従来の大乗仏教では修行者個人の悟りとともに大衆の救いを重要視しているのに対し、密教は修行者個人の悟りに徹しています。
 これだけではまだおおざっぱですが、仏像が好きで観て歩いているぼくらにはここまでが限度でしょう。はぐらかしているように見えるかもしれませんが、それ以上を求めると、中学生に微分方程式を教えるほうがはるかに楽、というくらい難しくなってしまいます。

大日経と胎蔵曼荼羅、金剛頂経と金剛界曼荼羅
 ここからが本題です。密教の中心となる経典は大日経と金剛頂経で、大日経が先に成立しています。このふたつの経典の違いは、大日経が慈悲による大衆の救済という大乗仏教らしさを残していて、その分世間受けしやすいのに対し、金剛頂経はもう完全に世間から隔絶していて個人の悟りのみを説いています。そしてこのふたつの経典が胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅に対応しています。すなわち両界曼荼羅は大日経と金剛頂経に説かれていることを、それぞれ胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅という2枚の曼荼羅に描いて表現しているということです。

 ではいよいよ、あの仏様の揃い踏みのような2枚の絵はなにを描いているのかということですが、胎蔵曼荼羅は中心に大日如来がいて内側は位が高く、外側に行くほど位が低くなるように如来菩薩などが配置されています。それなら大相撲の番付表に南と北も加えたようなものかというと、そうではなくて、これは、大日如来はすべての仏様の生みの親、すべての仏様は大日如来の変身であることを示していて、胎蔵は子宮を意味しているといいます。さらに大日如来は宇宙の創造主であることを表現しているという解説もあります。(それはちょっと違う気がしますが・・・。)
 そう言えば、かなり昔でしたが、胎蔵曼荼羅はすべての聖なる建物の設計図である、と言った西洋の著名人がいました。テレビ番組で見たのかなにかの本に書いてあったのか、言ったのが哲学者か思想家か建築家か、あまりに昔でまったく憶えていませんが、これは胎蔵曼荼羅には四方に門が描かれているからそう言ったのではなくて、なにか霊的な感性のようなもので捉えた言葉だと思います。密教にはなんの関係もない印象を語っただけのような言葉ですが、今こうして思い出してみれば、胎蔵曼荼羅をピッタリ捉えた表現に思えます。
 一方の金剛界曼荼羅は金剛頂経に対応していましたが、密教の悟りの世界を表しているといいますおせち料理の重箱みたいに、仏様がグループにわかれて行儀よく収まっている絵ですが、九つにわかれている区画のうち八つまでが金剛頂経の悟りの世界で残り一つは金剛頂経系の経典だという理趣経の悟りの世界です。そして金剛界曼荼羅は、密教の修行僧が即身成仏を成し遂げるための五相成身観(ごそうじょうじんかん)という修行をするときに用いるといいます。即身成仏は現世において悟りにいたることで、五相成身観は瞑想するときの手順みたいなものです。この瞑想とは如来菩薩の姿を心に実体のように思い描くことです。ではその悟りの世界とはどんなものなのかというと、読んだ限りの本にははっきりと書いたものがありません。きっと読んでいない本でも同じでしょう。修行した人だけにわかるなにか感じるものがあるんでしょう。

 ここまでです。もっと詳しい解説は、易しく解説しようとすると無理するからなのか、どうも中途半端のようでかえってわからなくなっている気がします。無理しないで書いている場合は読んでもなんのことやら意味不明です。曼荼羅を言葉で説明しようとすることは、猫におあずけをしつけようとするのと同じくらい無理、なことなんでしょう。
 空海は「請来目録」にこう書いています。
「蜜蔵は深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画を仮て悟らざるに開示す。」
これは、つまり、密教は奥深くて神秘に満ちた教えなんだから、言葉では伝え辛いんだよね、まして君らみたいな盆暗にはね・・・、それなら絵にして見せればいいのかな、といった感じのことを言っているんでしょうか。もしそうなら、空海もとんでもない勘違いをしたのか、それとも絵にしてもらってもよくわからないぼくが鈍いのか、勉強できない子の気持ちは勉強できる子には解らない、というのは昔からそうだったみたいです。
 いや、そうではないかもしれません。曼荼羅は経典を図画に描いていますが、曼荼羅を見てそれで元の経典が解るということにはならないでしょう。曼荼羅を見て経典を読む、経典を読み曼荼羅を見ることで、経典も曼荼羅も両方が解り、それで密教の説くところが解るというシステムになっているのかもしれません。それなら空海の言う「悟らざる」は経典を理解できない盆暗のことじゃなくて、これから悟りを目指そうとする人ということになりそうです。経典の読めないぼくらは、やっぱりふたつの曼荼羅をぼんやり眺めるしかないようです。でも、それでなにかを感じることがあるかもしれません。

空海と日本密教
 密教は師が弟子のなかから後継者を選んで伝授するという形で継承されていきます。日本の密教はおなじみの空海が唐に留学したおり、恵果(けいか)という密教の正当な継承者から見込まれて、その後継者として伝授されたことで日本に伝わりました。恵果から胎蔵曼荼羅(大日経)と金剛界曼荼羅(金剛頂経)の両方を伝授されたのは空海とほかに中国人僧がひとりのただふたりだけだったといいます。胎蔵曼荼羅は恵果の創作だそうです。密教は中国ではその後衰退し、朝鮮半島には伝わりませんでした。チベットとネパールには伝わり今も継承されていて、インド密教の形を色濃く残しています。そしてインド密教は13世紀に滅亡し、それがインドにおける仏教の終焉でした。

 ところで、慈悲の心で人々を救うことが大切と説く大日経(胎蔵曼荼羅)と、人のことは知りませんという金剛頂経(金剛界曼荼羅)の教えは相反しているともいえます。それで矛盾していないと説明することが大きな課題でしたが、空海の師匠恵果もうまくできなかったみたいです。この難題を解決したのがほかでもない空海でした。で、どうやったのかというと、それはいかにも日本的でした。無理やり矛盾をひとつにしてしまうというような強引なことはしないで、ここは大日経でそっちは金剛頂経であっちは両方で、という具合にシーン(scene)ごとに使い分けて密教の教えを説いたそうです。
 そこが空海の頭の良さで偉いところだというのですが、これで文句が出なかったのは、よほど巧みに説いたんでしょう。あるいはよく解らなくても、解説が立派すぎてだれも反駁できなかったのか・・・。もっとも徳一(とくいつ)という坊さんは、他人を救済してこそ悟りを得られるはずなのに他人に無関心じゃないか、と猛烈に反論しました。(徳一は平安時代初期に関東から東北にかけてたくさんの寺院を建て仏教を広めた法相宗の僧。)それはともかく、本来個人の悟りにしか関心のないのが密教なのに、空海が満濃池の改修などの社会事業に熱心だったというのもそのためだったようで、全国各地に湧水などの空海がやって来たという伝承が残っている所以です。


 この程度でも知っておけば、なにも知らないより少しはましで、この次、両界曼荼羅を目の当たりにしたとき、口をぽっかり開けて、ああきれいな絵だなぁ、だけで終わらずにすむでしょう。それとも、両界曼荼羅には、想いが募れば募るほど遠くにいってしまう憧れのあの子みたいな、悩ましい雰囲気がどこか漂っているような気がするから、いっそのこと、口をぽっかり開けて、なにかを感じることもなく、なんとなく眺めているほうがぼくには相応しいのかもしれません。(2018年6月19日 メキラ・シンエモン)

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 「東寺の両界曼荼羅と兜跋毘沙門天像」というタイトルなのに、両界曼荼羅曼についての記述があまりに少なかったとずっと思っていたので追記として書きましたが、長文になったため、あえてサイト内リンクという形をとりました。



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