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プラ模型という趣味

 ぼくは仏像ファンですが、仏像ファンになるずっと前から飛行機好きのプラ模型ファンでした。「プラモデル」とは言わずに「プラ模型」と、ぼくは言っていますが「プラモデル」という呼び名は、昭和40年代の中頃まで東京浅草にあった日本で初めてプラスチック製模型組立キットを発売したマルサン(株式会社マルサン商店)の登録商標で、後発の長谷川製作所(今のハセガワ)や田宮模型(今のタミヤ)、エルエス(今はありません)、日本模型(今はプラ模型キットを製造していません)、大滝製作所(今はありません)など、ほかのメーカーは「プラスチックモデル」あるいは「プラ模型」を使っていました。もっとも世間はどのメーカーの製品でも「プラモデル」と呼んでいました。現在「プラモデル」は特定のメーカーの商標ではないのですが、ぼくは「プラモデル」と言えばマルサンのキットだけを指すという気分が未だに残っていて「プラモデル」とは言わずに「プラ模型」と言っているんです。


 マルサンのキットで今も忘れられないのは、小学生のころ父に買ってもらった1/50の「ノースアメリカンF−86Dセイバー」です。キャノピ、各動翼、スラット、フラップ、エアブレーキが可動、前脚も主脚も引き込み可能で、コックピットは射出座席まで細かくよくできていて、機首のレドームをはずすと中のレーダーアンテナを見られるようになっていたし、胴体は実機同様にタービンラインの前で切り離せるようになっていて、これもよくできていた「ジェネラル・エレクトリックJ47−GE−17B」ターボジェットエンジンが着脱可能なうえに、後部胴体とエンジンを載せるドーリーや唯一の兵装だったロケット弾(Mk.I Mod.0 2.75インチ FFAR マイティマウス)の運搬車まで付いていました。整備員のフィギュアも付いていて、塗装の指定は、当時、航空自衛隊小牧基地にいた第3航空団の所属機(F−86D−36−NA シリアルナンバーは04−8165)の初期のころのもので、垂直尾翼に3本の赤色のストライプと黄色のシャチホコを組み合わせた部隊マークを描いた機体でした。今でもF−86Dのベストキットに挙げてよいと思います。ぼくが上手く作れないでいるのを見た父が途中から交代して完成させました。

 写真は航空自衛隊小松基地に展示されていたF−86D(F−86D−45−NA シリアルナンバーは14−8217)で、同基地に勤務していたときに撮りました。尾翼のマークを見ると、元は千歳にいた第2航空団第103飛行隊の所属機だったようです。

 それからやはり1/50のキットで「ボーイングF4B−4」も思い出に残っています。これもぼくが小学生のとき父に買ってもらったキットでした。この飛行機は1930年代に使われたアメリカ海軍の複葉艦上戦闘機で、日本ではよほどの飛行機好きじゃないと知らないマイナーな機体を、プラ模型の黎明期によくもまあキット化したもんだと思いますが、エンジンの排気管が省略されていたものの全体によくできていました。それが、キットの箱を開けてみたら部品の入ったビニール袋のなかで、そのころのキットにはたいてい入っていた接着剤のチューブが破れていて、漏れ出た接着剤で一枚モールドの上下2枚の主翼が溶けてくっついてしまっていました。ぼくは父には言えずにどうしようかと考えた末に、こうなっていました、と書いた手紙をマルサンに送ることにしました。ダメになっていた主翼は送らなかったのですが、すぐに代わりの主翼が送られてきて、丁寧なお詫びの手紙も同封されていました。父はなにを送ってきたのかとビックリしていましたが、ぼくは飛び上がって喜んだのは言うまでもありません。これは自分で最後まで作り完成させました。マルサン商店が倒産したのは、それから2年ほど後のことでした。

 F−86DもF4B−4も、そのうち壊れてしまい、いつの間にか母が捨ててしまって、今は組み立て説明書だけが残っています。



 プラ模型を趣味にする人は大別してふたつの型に分かれます。作って集めることを楽しむコレクターと、工作のみを楽しむモデラ―です。ここで言うコレクターには、ほとんど作らずにひたすら珍しいキットや古いキットを探して集めるキットコレクターは含みません。キットコレクターはプラ模型ファンではないのです。模型屋さんの店頭で欲しかったキットを見つけて小躍りして喜んで、なけなしのお小遣いをはたいて買い、くんずねんずして、でも楽しんで、組み立てて色を塗って完成させることが、出来栄えはどうであっても、コレクターとモデラ―の共通の使命で、それがプラ模型という趣味だとぼくは思っています。(「くんずねんず」は金沢の方言で、ものすごく苦労すること。)

 買ってきたときのキットは生産されたたくさんのキットのなかのひとつにすぎませんが、自分が完成させた瞬間からそれはプラ模型、世界のどこにも同じものはない、たったひとつのプラ模型になります。苦労してワクワクしながら作ったプラ模型はとても脆くて、エントロピーの法則に従う前に、注意深くそっと手で持ち上げただけでも何かの拍子に簡単に壊れてしまうことがあります。でも、その儚さ(はかなさ)がプラ模型の大事な要素あるいは性質です。それは、この世には、この世界には、永遠なるものはなにもないことを知ることであり、なにより自分だけに解る価値があることを知ることです。そしてそれは、自分以外の人にもその人だけの他人には解らない価値があり、人それぞれに大事に思うことは異なることを知り、それを尊重しなければいけないと知ることに繋がります。


 中学生のころ、母がぼくに、何々君はプラモデルはとっくに卒業したんだって、と言ったことがありました。ぼくがプラ模型ばかり作って勉強しないもんだから、遠回しに勉強もしなさいと言ったみたいです。卒業しただって・・・、その子は入学願書も出していないよ、と心の中でぼくは呟きました。(2020年 2月1日 メキラ・シンエモン)


写真:メキラ・シンエモン



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