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サンダーバードが消えた日

 ズルズルとアップを先延ばしにしているうちに十日が過ぎてしまった。記事を書いたら転送する前に必ず読み返すことにしている。たいそうなことを書いているわけではないから推敲というほどのことでもない漢字変換の間違いや脱字がないかの確認だが、何度も読み返すなかで表現を変えることがあるしときには文章をそっくり書き換えることもある。でもテーマまで変えることはなかったのが今回はまったく別の話になってしまった。


 司馬遼太郎に「二十一世紀に生きる君たちへ」という1989年に小学6年生の国語の教科書に載せるために書下ろした短い文章がある。読んだのはずいぶん昔のことでなにがきっかけだったのかはもう忘れたが、ああこれは「君たちはどう生きるか」の司馬遼太郎版だ、と思ったことを憶えている。もちろん吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のことである。ちなみに吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は中学3年のときに読んだが、ぼくはこの本からおおきな影響を受けた。そのころは同様の中学生が多かったと思う。ただしぼくの場合はコペル君の叔父さんのような物知りになりたいとも思った。もっとも思っただけでそのための努力をなにもしなかったのはぼくらしいことだった。
 いずれにしてもずいぶん前に読んだ司馬さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」を近ごろもういちど読みたいと思ってインターネットを探すとすぐに見つかった。ぼくが「二十一世紀に生きる君たちへ」をまた読みたいと思ったのは元日の能登半島地震が契機だった。

 去年の10月22日に「旧友 HP ORIGIN」をアップしたがそれを最後にHPにはもう記事は書かないつもりでいた。それがこうしてまた書いているのは元日の大地震で気持ちが変わったのかというとそうではない。3月15日を最後に北陸線から姿を消した特急「サンダーバード」のことを書きたいと思ったからだった。北陸新幹線の敦賀延伸で「サンダーバード」は敦賀止まりになって北陸線から姿を消した。姿を消したというのはちょっと大袈裟だ運行区間が短くなっただけじゃないかと言う人があればそれはまったく違う。敦賀止まりになればそれはもう北陸線の特急ではない。敦賀は福井県だが北陸ではない近畿だからだ。北陸トンネルで北陸と近畿がわかれる。だから北陸線の「サンダーバード」はもう消えてなくなったのだ。利用面から言えば列車で北陸と京都大阪を往還するには敦賀での乗り換えが必要になり頗る不便なことになった。列車の旅で乗り換えほど嫌なものはないと思うぼくはどうしてもというようなことがない限り京都大阪には行かないだろう。ということは奈良にも行かないということでそれはもう仏像巡りをしないことを意味するがぼくの奈良行脚は「サンダーバード」とセットだった。というようなことをもっとくどくどと書いていたのだが、ネコ科で気まぐれなぼくが一時の感情で考えることはすぐに変わってしまうし、前振りに書いていた能登半島地震が膨らんでしまい「サンダーバード」よりそっちが主題のようになっていたからアップはやめることにした。それで能登半島地震体験記に変更するのかというと先に書いたようにそうではない。金沢で震度5強という揺れははじめての経験でとても怖かったがただそれだけだったぼくの地震体験にだれかに話す価値などまったくなかった。「サンダーバード」を取り下げてもタイトルをそのままにしてあるのはそれがぼくの気分というものだった。

 あの元日の大地震で自然は怖いものだと改めて思った。日本中のだれもがそう思った。阪神淡路のときも東日本のときも熊本のときもそう思った。大きな地震のたびに日本中のだれもがそう思う。震災に限らず大きな自然災害があるたびにそう思う。しかし今度の能登半島地震はそれだけではなかった。選りによってどうして元日なんだ、新しい年がはじまるおめでたい日だよ、とみんなが思った。お正月が一瞬にしてどこかへ吹っ飛んだ。令和6年という年がまるごと蒸発した気がした。人間は自然に生かされているとよく言うがそれは平穏なときに思う恩恵に感謝という意味の表現で、能登半島地震ではそれとは違う意味むしろ真逆の意味で人間は自然に生かされていると知った。それは、人間は自然に支配されている、と言い換えることができるかもしれない。生かされていると支配されているではまるで意味が異なる。そのことが司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」に関係あるのかというと、ぼくにはあった。

 「二十一世紀に生きる君たちへ」は司馬さんがこんな文章を書くのかと思うほどにどこか新鮮でそれが司馬遼太郎だと思うとニコッとしてしまいそうだ。きっとずいぶん汗をかいて書いたのに違いない。司馬さんが「二十一世紀に生きる君たちへ」を書いたのは21世紀のかがやかしい担い手だと考えた小学6年生の"君たち"、たしかにその通りだが、その"君たち"に自分のいのちが尽きる前に伝えておきたいことがあったからで、その書き方は訴えているようでもあり、いや、そうではない、お願いしているようにぼくには思えたが、その伝えたかったことこそは司馬さんが歴史から学んだもっとも重要なことだった。

 人間は自然に生かされてきたと司馬さんは言う。そして古来人間は自然を敬ってきたとも言う。それが20世紀はその態度が少し揺らいで自然にたいして威張りかえっていたと断罪した。そしてしかし人間は愚かではないから21世紀には自然への態度をあらためて前よりいっそう自然を尊敬するようになるだろうと司馬さんは予言するように書いた。それは司馬さんが"君たち"に自然にたいして素直な態度であって欲しいと願ってのことだった。

 ところで司馬さんが1996年に72歳で亡くなってからそろそろ30年になろうという21世紀のまっただなかにいるぼくらは温暖化がこのまま進めば人類は滅亡すると言っても笑われることのない世の中に生きている。それは司馬さん流に言うと自然に対して20世紀よりもっと威張りかえっているということになるのなら、21世紀に入って人間は愚かになったのだろうか。どうなのかぼくにはわからないが、地震に関してはまったく事情は異なるということならわかる。
 人間が愚かだろうが賢かろうが地震は起きるし津波は来る。地震に遭遇するのは活断層が動いたときたまたまそこにいたというだけの話で人間の賢愚とはなんの関係もない。地震は46億年前に誕生したときから続く地球という惑星に特徴的な地質学的活動が地表面に現れたひとつの物理現象だった。それは地球の生理的現象と言ってもよい。その意味では地球の気象現象はみな同じで地球の生理的現象と言えるのかもしれない。それは人間がどうこうできる話ではない。能登半島地震を経験してぼくはそう思った。
 ぼくは自然を敬う必要がないと言っているのでは、もちろん、ない。地震のように人間の営みに無関係に起きる自然現象がもたらす災害と異常気象などの人間の営みが原因の自然現象がもたらす災害は一緒にできないと言っている。

 司馬さんは自然に対する態度を書いて次に「自己の確立」ということを"君たち"に提言した。司馬さんの考える「自己の確立」とは"自分に対して厳しく相手にはやさしく"ということだった。それが"たのもしさ"というものでそれはしかし本能ではないから訓練が必要だと司馬さんは言い、ではそれがどんな訓練かと言えば"相手の痛みを自分のこととして感じる"という訓練だと言った。「自己の確立」を自然に対する態度のあとに持ってきたというのはまず自然への素直な態度があってそれが「自己の確立」につながると言いたかったのなら、自然を敬うことを知っている人が自己を確立できる、あるいは自己を確立できる人は自然を敬うことを知っている、ということなのだろう。

 司馬さんは小学6年生の"君たち"に"たのもしい君たち"になって欲しいと思って「二十一世紀に生きる君たちへ」を書いた。そして、
  私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
  書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
という文章で「二十一世紀に生きる君たちへ」を結んでいる。
 ずいぶん"君たち"を持ち上げて楽天的だが、書き終えて気分が高揚した故の大袈裟ではなかったし最後にカッコつけてみたわけでもなかった。司馬さんは心からそう感じていた。

 「二十一世紀に生きる君たちへ」が教科書に載ってから34年がたって"君たち"は大人になり大勢が小中学生あるいは高校生のこどもがいるお父さんお母さんになっているはずだ。司馬さんの21世紀に生きる君たちへの君たちはどう生きるかという提言は"君たち"にちゃんと伝わっていてそれは次の世代に継承されている。ぼくは元日の能登半島地震でそれを見た。その継承はこれから先の世代にも続いていくにちがいない。それなら能登半島地震がいつかきっとまた日本のどこかで起きても日本のいたるところに"たのもしい君たち"がいる。
 最後は司馬さんにつられてかいつになくずいぶんと明るいことを書いてしまった。


 司馬さんにはこの世にたくさんのすばらしい友人がいたそうだ。友人は歴史の中にもいてみんなで自分の日常をはげましたりなぐさめたりしてくれたと「二十一世紀に生きる君たちへ」の冒頭部分に書いていた。ぼくには友人が少ない。いや、いるのだろうかとしばしば思う。ぼくは司馬さんのような明るい性格ではない。内向的でこどものころから人付き合いが苦手だったが今もそれは変わらない。これまで「通りがかりの者です」に何人かの友人を登場させたが、ぼくはただの知人を友人だと思っているのかもしれない。 2024年3月26日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)



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